2014年11月21日

活動報告

リスクコミュニケーション実習で「福島の今」を取材

 

2014年11月9~11日、今年度選択科目「リスクコミュニケーション実習」の受講生が、福島県大熊町、川内村、田村市などを訪れ、現地の方々に取材しました。この実習では、放射線と食品に関するリスクと福島の現状について2週間に1回のペースで、本科・選科・研修科の有志8名が集まって議論し、来年2月のサイエンス・カフェ開催に向けて準備を進めています。

 

3日目に訪れた川内村


いま、福島では住民の帰還へ向けた動きと除染が、復興へ向けた大きなテーマとなっています。しかし、日本全体としては次第に東日本大震災に関する報道は少なくなり、記憶の風化が着実に進んでいるように見えます。被災地への無関心は、原発や放射能問題への思考停止を招き、再び悲劇を呼ぶことになるのではないか。こうした問題意識から、福島で現地取材を行いました。


今回の福島取材には、中島悠貴さん(理学院修士課程2年)、池田貴子さん(獣医学研究科博士課程修了・社会人)、渡邉綱介さん(生命科学院修士課程1年)の受講生3名と、スタッフの早岡と郡が参加しました。また取材にあたっては、NPO大熊町ふるさと応援隊・理事の川嶋茂雄さんが全面的に協力してくださいました。


左から渡邉さん、池田さん、中島さん

 

調査に協力してくださった川嶋茂雄さん(左)

 

 

復興へ向けて歩みはじめた大熊町へ


初日は大熊町の居住制限区域で放射線量の計測から始めました。また帰還に向けて町内の見回りなどを行う元大熊町職員の方々(NHKスペシャル「無人の町の"じじい部隊"」2014年3月7日放送にも出演)のお話を伺った後、復興へ向けて動き出した町内を案内していただきました。

 

居住制限区域と帰還困難区域の境界で放射線量を計測

 

大熊町の現状と未来へ向けた取り組みについて伺う

 

食品放射能分析検査のために捕獲した鮭から卵を取り出す

 

 

国道6号線で原発の存在を感じる

 

今年9月15日より開通した国道6号線を走りながら、車中で線量の計測を行いました。国道6号線周辺は廃墟と化し、車から降りることはできません。福島第一原発に近づくにつれ、線量計のアラームが大きくなり、「危険」の文字が表示されて車内に緊張感が走ります(車内だと線量はおよそ半分)。

 

改めて原発がもたらした被害の大きさを実感することができました。ただ原発近くでもそれほど線量が高くないところもあり、汚染にはばらつきがあることも分かってきました。

 

原発に近づくに連れ線量計の数値が上昇


その後、原発から遠くない川内村や田村市などにも滞在しましたが、ほとんど札幌と線量は変わらないところも多かったです。福島の原発周辺というだけで過剰に警戒するのではなく、きちんと線量を計測して比較・確認する放射能リテラシーが必要だと感じました。

 

 

原発事故当時と避難指示解除まで


2日目午前は、旧警戒区域(原発より20キロ圏内)で、いち早く今年4月に避難指示を解除された田村市都路地区を訪れ、震災当時の様子と避難指示解除の時の状況についてお話を伺いました。つい最近まで避難していたとは思えない溌剌とした方々で、こちらまで元気になってくるようでした。

 

「取材に殺到するメディアは、とにかく作りたいストーリーを作る。原則的に非日常のことしか伝えない。」というお話が印象的でした。取材される側の声を伺ったことで、福島のイメージが歪んで伝えられていることに気づかされました。

 

田村市都路地区のペンションでお話を伺う

 

 

午後はいわき市にある大熊町の仮設住宅を訪れ、避難されている皆様にも原発爆発事故当時の緊迫した状況と、現在の暮らしについてお話を伺いました。

 

大熊町の住民が避難している仮設住宅でお話を伺う

 

「大熊にいたというだけで、同じ県内でも子どもに肩身の狭い思いをさせている」と涙をこぼす女性や、「何かあったら貴重品を持って温かい格好をして逃げなさい。私たちと同じような思いをもう誰にもしてほしくない。」と実感を込めて語ってくれた女性。近くに泊原発がある私たちも他人事ではないと感じました。原発周辺に暮らしていた人々が遭遇した過酷な体験に言葉を失い、震災当時の苦労が私たちの心にも刻まれました。

 

 

福島の農業再建へ向けて

 

3日目は、農業再建へ向けた取り組みについて、先祖伝来の土地で農業を続ける川内村の秋元美誉(よしたか)さんに、震災前から行っているアイガモ農法などについて伺いました。


秋元さんは、2014年3月に上映された映画『家路』(出演:松山ケンイチ、内野聖陽、田中裕子、監督:久保田直)にも全面協力しています。ご自宅と田んぼは、美しい日本の原風景としてロケ地に選ばれ、映画の台本も秋元さんへの取材を通して内容が少し変わったそうです。

 

川内村の農家・秋元さんからお話を伺う

 

2011年に収穫した米からは、放射性物質は検出されませんでしたが、すべて破棄することになりました。けれども、秋元さんは自分の信念に従って米作りを続け、2013年にようやく米を出荷できました。収穫した米を「福幸米(ふっこうまい)」と名付けてイベントで販売したところ、すぐに完売しました。

 

 

エゴマ農家の渡部芳男さんと奥様。テーブルの上にあるのは、エゴマとエゴマ油。

 

最後にエゴマを栽培する農家の渡部芳男さんにお会いしました。エゴマの油にはほとんどセシウムが移行しません。育てやすいことから福島でエゴマ栽培を広めていきたいと、奥様と笑顔でお話いただきました。

 

 

CoSTEPでの報告会


取材の2日後11月13日に、中島さん、池田さん、渡邉さんが報告会を行いました。実際に現地に行き、放射線量を測定し、現地の多くの人々と話をする中で、福島のイメージが大きく変わったそうです。復興に悲観的な見方をしていた一人は大きく見方がかわり、復興は夢ではないと感じたと話してくれました。


福島報告会の様子

 

こうした経験をどのように今後のリスクコミュニケーションに生かしてくれるのか、受講生たちの今後の取り組みに期待したいと思います。