2017年05月31日

活動報告

2017年度CoSTEP開講特別講演「科学とアートのコミュニケーションが始まる。」を行いました。

2017年度CoSTEP開講式特別講演「科学とアートのコミュニケーションが始まる。」を5/13(土)13時に開催しました。ゲストは、音楽家・プロデューサーであり、札幌国際芸術祭2017 ゲストディレクターでもある大友 良英(おおとも よしひで)さんです。NHKの「あまちゃん」のテーマソングを作曲したことでも知られています。

 

 

 

技術はアートを変える?~エジソンが変えた音楽~

 

僕は音楽をやっていく中で、違う世界、違うジャンルの人たちとずっと仕事をしてきました。

最近、「音楽と美術の間」という本を出しました。音楽と美術、元々区別はなかったんですが、今は別々の世界として成り立つようになっちゃうと、お互いのことが分からなくなってしまいました。この本では、音楽と美術の間の断絶ではなく、元々は一緒だった二つの分野の間柄について考えています。

しかし、同じことは、音楽と科学の間、美術と科学の間に当てはめることもできます。

 

エジソンが発明した蓄音機は音楽をがらりと変えました。科学とアートの間、僕はさらに狭い音楽という分野にいますが、蓄音機の発明抜きには今日の音楽は考えられない。

音楽は蓄音機が発明されるまで、実際の演奏や歌を生で聞くものであり、日常の、もしくはハレの日に埋め込まれたものでした。しかし蓄音機の発明によって、音楽は録音されたものを聞くものになり、音楽が単独で鑑賞されるようになりました。また、レコード技術によって音楽自体も変わっていきました。例えば初期のレコードは最低音が再生しづらいため、低音のバスドラムはあまり音が響かないように後ろに下げて録音しました。その音楽を聴いた世代は、あまりバスドラムを踏まない音楽を演奏するようになる。

しかし、低音が録音できるレコードが生まれると、低音を生かした音楽、ロックンロールが生まれます。

 

 

1970年代になると、機械がビートを出すようになります。リズムマシーンをベーシックなビートとしてポップスを生み出した最初のグループがクラフトワークです。もう俺、この音楽最初に聞いたとき不愉快で(笑)。人間がやれよ!って思ったんですけど、それから10年後、リズムマシーンと区別がつかないようにドラム叩く人が出てくるんですよ。

人の感覚って、後戻りできないっていうか、もうクラフトワーク以前にいたような揺れ揺れのドラマーはもう生まれない。

メディアの技術が発明されることにより、それは単なる音楽の乗り物になるだけでなく、そもそも音楽自体が、そして、身体までが変化するんです。

 

役立たない機械、再現されないレコード

 

初期のメディアアーティストの一人、ナム・ジュン・パイクは役に立たないロボットを生み出しました。

科学者や技術者が見たら、もっとうまく組みたてられるだろう、って思うかもしれませんが、ナム・ジュン・パイクは手間のかかるロボット、要介護ロボットを作りたかったんです。要するに役に立つという基準がここにはないんです。

 

元々、僕が美術というものに強い関心を持ったのが、今度札幌国際芸術祭にも来るのですが、クリスチャン・マークレーのRecord without coverという作品に出会った時です。

この作品は片面にRecord without cover、このレコードはカバーに入れないでください、という但し書きだけあり、溝が刻まれていないレコードです。これが日本のレコード屋に入荷された時に、たまたま俺もそこにいて、傷物ですね、って言って安く手に入れました。当たり前ですよね、カバーに入っていないんだから。

これオリジナル版聞くとプチプチっていう音が入っているんですが、もともと入っている音なのか、輸送中に傷ついた音なのか区別がつかないんです。そのことに、俺、超感動したんです。それまでレコードとは生音に近い音を届ける技術だったんです。これは音楽を聴くという体験ではなくって、完全にこれはレコードそのものを聞く、いやレコードされていない音を聞くという経験なんですよね。

これを聞いて、俺がこれまで聞いてきた音楽って何だったの?って考えるきっかけになったんです。

 

新しい音楽は現象だ!

 

ただ僕は、それでも音楽が好きで、ノイズのような現代音楽をずっとやってきました。そんな僕が展示とかに興味を持つきっかけとなったのが、2005年に全く無名のアーティストの展示を大阪で見た時です。

 

これはそのうちの一人、毛利悠子さんの作品です。これ、四角形のアンテナとコイルのようなものがついていますね。

このコイルのようなものが高周波を出しているんです。近づいていったらコイルとアンテナがあるだけで、電源がどこにもないの。すると作家の毛利さんが、「あ、電源気になるんでしょう、大友さん。これ電源ないんですよ。コイルって発電するでしょう。これ自体が発電して、ピーという高周波を出してるんです」、って説明してくれたんです。

俺、これ見た時、すごいこんな音楽家が出てきたか!って思った。

 

もう一人の作家、梅田哲也さんの作品は、ヘリウムガスが入った巨大なバルーンの奥にスピーカーを置いてぎりぎりの重低音をそこで出しているんです。

そうするとどうなるのかというと、科学の実験で、レンズを使って像をひっくり返すように、音の波形がそこでひっくり返るんです。これは多分、素人には分からない。この作品では重低音の位相が、風船の近くになるとひっくり返るんですが、自然界ではまず起こらない現象です。作家の梅田さんが不思議そうにうろうろしている俺を見て、「初めて気づいてもらいました。」って言ってて、超分かりにくい作品です。

その時もすごい音楽家が出てきた!と思った。

 

科学についてもいえると思うんだけど、科学者も自分の研究がどう役に立つかということを考えながら研究しているわけではなく、その現象を知りたいから、面白いからやっていると思うんです。科学者になったことないから分かんないんだけど。

アートもそれに近いと思う。毛利さんや梅田さんの作品はその現象を起こすこと自体が面白いと感じて生み出された作品だと思います。

こういう現象がなんで起こるのかということを考えると科学者の方に近づくんだけど、アーティストの場合は「とりあえず現象が起こるからなんかしよう」ってなるんでしょう。

「とりあえず現象が起こるからなんかしよう」が、「役立つ」という方向に向かうと、もしかしたら製品が生まれたりするのかもしれない。

ただ、この「役立つ」という発想はとても危険で、人が考える「役立つ」の背景には現在の社会に何が必要かという思想が必ず入っています。しかしもう少し引いた視点で考えると、現在の「役立つ」が未来の「役立つ」につながるとは限らないんです。もちろん「役立つ」方向で考える人がいないと社会は崩壊するけど、「役立つ」という方向だけを向いてもやはり社会は崩壊すると思います。人間の想像力は、なんだか分からないものに対して開いていく、そのように開くことによって得られる豊かさの方が僕は尊いと思っています。

 

深く掘っていく人、鉱脈をつなげる人

 

話をアートとサイエンスのコミュニケーションが始まるというテーマに戻しますと、僕はアーティストがアーティストだけで何かやらないことが重要だと思っています。

アーティストだけに任せちゃうと、とてつもない難解なものになってしまうんです。そのような難解なものの先には、周りに人がいない、俺だけが楽しい世界。

専門家はとても極端な方向に穴を掘りがちだけど、穴を掘っていく過程で捨てていった鉱脈もたくさんあると思う。もっと社会は色んな方向に開いていていい。

例えば、科学で現象を掘り下げていくことも大事だけど、アートのように現象を見せていくという方向にも開いていていいように。

 

難解な世界と普通の社会がある、というだけでなく、多分その間にとてつもない豊かな鉱脈と、他の世界に通じる鉱脈があるはずなんです。ただ、その二つの世界を通じる鉱脈を素人が発見するのはとても難しい。

両極端の世界の間にある豊かな鉱脈をつないでいく役割ができるのが、コミュニケーターなのではないかな、と思うのです。

プロのコミュニケーターは専門家の方ばかり向くのではなく、専門の世界と違う世界に通じる道を発見していかないといけないんです。多分、深く掘っていく人は、それを発見できない。科学と芸術の間だけじゃない、あらゆる分かれちゃっている二つのものの間にある鉱脈をつなげる人がコミュニケーターだと思います。

 

もう一回、最初の話に戻ります。エジソンのおかげで、生演奏に近い音楽が普段から聞けるようになりました。それはとてもいいことだけど、そのせいで、音楽は音楽だけで完結しちゃうようになっちゃった。

でも、現在、音楽が売れなくなってきて、ふと、音楽って録音したものを聞くだけだっけ?って立ち止まるんです。

もう僕らはエジソンの発明前には戻れない。では、音楽の次を見据えるためには、単線的な音楽の発達の歴史から予想するのではなく、エジソン以前の世界や日常的な音楽、そしてきわめて個人的な歴史、そんなことをつなげて複合的に未来を見ていく必要があると思います。

 

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特別講演の閉会の挨拶は、オープンエデュケーションセンター長の松王雅浩教授にお願いしました。大友さんの話から受けた印象を含め、科学者とアーティストがともに考えていくことについて話していただきました。

 

 

 

一般入場が可能だった特別講演の後には、大友さんを囲んでCoSTEPの受講生限定の談話会を行いました。

 

 

40分間という時間があっという間に感じるほど、熱い質問と答えがあり、まさに科学とアートのコミュニケーションが行われているような様子でした。二つの領域を繋ぐための役割、その担い手の一つとして科学技術コミュニケーターがあり、この1年の学びが始める時やる気を課題を同時にいただける講義だったと思います。