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#40 ユニークな資料を誇る、附属図書館「北方資料室」

2013年07月10日

 

「貴重資料室」に入ると、見るからに古い本や巻物などが、ロッカーや特製の書架にずらりと並んでいます。室内の環境は、資料にカビが生えたり虫に喰われたりしないよう、空調設備でコントロールされ、照明はLEDを採用して、資料を傷めることが少ないよう配慮されています。

 

 

 

代表的な資料を、いくつか紹介しましょう。

 

 

アイヌ絵

 

画家として江戸時代から明治時代にかけ活躍した小林永濯(こばやし えいたく、号:鮮斎永濯)が描いた「アイヌ風俗図」です。

 

 

蝦夷地の古地図

 

上は古地図の一例。江差湊(今の檜山郡江差町)を描いた、巻物の地図「東蝦夷図巻 乾」です。右上の説明文には、1500~2000軒の家があって「繁盛の地なり。北国往来の船はここにて荷役する。・・・姥神町に姥神の社あり・・・市中の上の方に大地の寺あり町もあり、新地に遊女あり芝居あり」と、江差の繁栄ぶりが記されています。

 

巻物や写真などの一部は、特注の木製収蔵棚に納められています。

 

北方資料室には、蝦夷地の古地図が系統的に収集されており、開拓使時代の手書きの原図もあります。明治以来の北海道の地形測量図もほとんど揃っています。アイヌ絵や、書画、開拓使時代の建造物図面なども合わせると、地図や図類だけで約5,000枚に達します。

 

 

写真

 

明治5年頃の、札幌中心部。今の創成川通りから西を望んだ組み写真の一枚です。

 

 

「ペリー函館応接之図」を写真に撮ったもの。1854年に幕府との間で日米和親条約を締結した海軍提督M.C.ペリーは、開港される箱館港を下検分するため、5隻の艦船を引き連れて函館にやってきました。「ペリー函館応接之図」は、そのときの様子を描いた図(石版画)です。

 

 

旧家の文書

 

 

江戸時代から明治の初めにかけ、蝦夷(北海道)では「場所請負人」と呼ばれる商人が、毎年 運上金(税金)を納めることと引き替えに一定地域の交易を任され、経済に大きな影響力を持っていました。そうした商人たちの簿冊(会計帳簿)が数多く集められています。

 

 

歴史家にとって貴重な資料ですが、旧家の子孫にあたる人たちが調査に訪れることもあるそうです。

 

 

北海道大学に関する資料

 

札幌農学校の初代教頭、ウィリアム・S・クラークの雇用契約書(オリジナル)です。赤い封緘の右に、William S. Clark と署名があります。

 

明治36年頃、クラーク未亡人から当時の総長・佐藤昌介に、クラークの肖像画が贈られました。これは、それを写真に撮ったもので、クラークに関しては最もよく利用される資料だそうです。

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

北方資料室には、膨大な資料があります。明治の初めに御雇い外国人などから開拓使に送られた報告書や書簡(ほとんどは自筆)が約5000通、北海道に関するパンフレット類が約12,000冊、江戸時代の蝦夷地に関する写本や木版本などが約4,500冊、などなど。しかも、今も、少しずつですが増え続けています。

 

海外からの利用者も年に数人あるそうです。日本人でも読むのが難しい資料を、外国人が使って研究しているんですね。皆さんも一度、利用してみませんか。写本や、古文書、書簡、地図類、写真などはオンラインで検索できますし、一部の資料は「画像」や「本文」を見ることもできます。

 

※ 閲覧時間は平日の9時から17時までです。


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