2014年10月31日

活動報告

〈レポート 2 〉「生命に介入する科学II〜受精の前から始まる次世代コントロール 〜」第77回サイエンス・カフェ札幌が開催されました。

カフェの前半で紹介した石井哲也さんと児玉真美さんのお話は〈レポート 1 〉をご覧下さい。ここからは、後半のディスカッションタイムで交わされた意見などを紹介します。また、カフェに参加されたみなさんからお寄せいただいたメッセージも紹介します。

 

 

参加者のみなさんは8つのグループに分かれて、「人としての尊厳について」「胎児の検査について」「胚の検査について」「胚の改変について」意見を交わしました。グループファシリテーターを務めたのは、池田貴子さん、小倉加世子さん、佐藤はるかさん、内山明さん、平野港さん(いずれもCoSTEP本科受講生)と、教員の石村源生、早岡英介、滝沢麻理です。会場のみなさんへの4つの問いかけに対して各グループで意見を交わし、最後にアンケートを取りました。その詳細結果については〈レポート 3 〉をご覧下さい。

 

 

この〈レポート 2 〉では、胎児の遺伝学的検査について「胎児の染色体や遺伝子の異常を調べる検査をあなたは受け入れますか?」問いについての参加者の意見を、2013年12月に実施された第73回サイエンス・カフェ札幌「生命に介入する科学〜不妊治療・出生前診断の光と影〜」で行ったアンケート結果と、大手新聞各社が公開した世論調査「胎児の染色体異常の検査をあなたは受け入れますか?」と比較しながら示します。

 

(ある程度の専門的科学情報や児玉さんのような当事者から話題提供を受けた市民と世論調査との違いがわかります。)

 

【参加者から寄せられた意見や感想(一部)】

 

出生前の検査で障害の有無を調べることばかりに目がいっていたが、児玉さんの話を聞いて、人生の途中で障害を背負った場合のことを考えさせられた。途中で障害を負うこともあるのだから、胎児(胚)の遺伝子検査をしても意味ないのでは?障害を持ったとたんにその人は排除されてしまうのだろうか、考えさせられました。

 

自分の価値観や状況とほかの方々の見方とは違うので、難しい問題だと思います。ぜひまた次回も企画してほしいです。

 

障害にかかわらず人が生きやすい社会って何だろうか。もっとさまざまな方の立場から発せられる言葉を聞いて、当事者の気持ちを自分のことのように考える人が増えたらいいなと思います。

 

生殖医療において、科学の発展ばかりが目立ち、倫理観や障がいのある方を受け入れる制度が整っていない気がします。

 

私が初めての出産をしたのは、当時高齢出産といわれていた30歳でした。大変こわく、不安だったのを覚えています。不安の原因は、やはりダウン症が大きかった気がします。羊水検査は危険に思え、受けませんでしたが無事に生まれてくれて本当にホッとしました。ですから、出生前診断(現在の血液検査によるもの)があれば受けていたと思います。ただ、遺伝学的検査、というのは、どこまでのものなのか?また全てのゲノム情報が開示されたとして、そこからどういう選択が可能なのか、考えさせられます。

 

科学技術が発達しても、人の心、尊厳は大切だと考えます。尊厳死も含めて。

生まれてすぐ、臓器移植が必要な体とわかる異常が、お腹の中にいるうちに治るなら、そのほうがいいと思うことがある。それが、遺伝子を改変することについては、考えてしまう。

 

児玉さんのお話を拝聴し、「コントロール幻想」というご指摘がありましたが、全くそのとおりだと思います。その背景には、やはり西洋的な「抑圧」思想があろうかと思い、このような現状の中で東洋的な自然や環境との「共有」思想が重要になってくるのではと思われます。不安や心配があっても「あるがまま」に受容していくことが重要だと思います。

 

望ましい社会とは何でしょう。その時代、時代で変わっていくものであり、どこで産まれたかで変化していくもので、自分では良くわかりません。でも、望ましい社会と考えていくのは、永遠に続いてほしいと思います。

 

障がいを持つ人が、どのような生活をしているのか、マイナスイメージだけでなく、プラスイメージについても知ることが大切だと思った。

 

生殖補助医療の肝心な問題は、結局何か?健常な他人が異常を持った子を望む夫婦の意思決定にこんなに干渉してよいのか?

 

まだまだ議論が足りないので、別の機会に続きを開催してください。

 

障がいが性格の違いのようなものに過ぎない、といえる社会になったらと願います。そもそも「障害」という言葉にも疑問を持ちます。「害」という言葉に違和感を感じます。でもこの意見は、障害のない自分だからと思ってしまうことなのかもしれません。「害」といわなくてはいけないほどの辛い思いをされて来た方に言わせたら、もしかしたら、キレイゴトの思いかも知れません。そうだとしたら申し訳ないです。ですが、「障害の有無」によって出産を判断しない人たちが増えて、そうなる社会に向かっていくことを願います。

 

私には発達障害の兄がいます。両親亡きあと、どのように関わっていったら良いか、とても悩んでいます。本日児玉さんのお話を聞き、障害を持っている当事者の方、家族関係、社会とのかかわり方について、改めて考えてみたいという気持ちになりました。また自分の立場だからできることを見つけて取り組んで生きたいという気持ちにもなりました。

 

このテーマは絶対にシリーズでやった方がいいと思うので、ぜひ継続して3年、5年と開催していってください。その間に考え方や技術も変わっていくと思います。その変化をぜひ追っていくべき。

 

生む前にいろいろ考えなければいけない社会のほうが問題なのかと思う。ほかの国はもっと何も考えずに子宝が一番と気楽に子供を産み育てている。子供も幸せそう。障害があったとしても。

 

この問題が当事者以外にとっても望ましい社会のあり方を考える問題だということに改めて気づかされました。

 

出生前診断について、個々の夫婦の問題と考えていましたが、今日のお話を聞いて、社会をどういう仕組みにするかや人間の生き方、幸せの定義の問題と考え直しました。

 

卵子/遺伝子改変の実情を知ることができました。自然の摂理に反していると思います。

 

健康、健常、正常といったような言葉は気をつけて使う必要があろう。

 

児玉さんが仕事を辞められたように、障害児が生まれて、人生が制限されるのは女性なので、子供を持とうと思えなくなりそうです。

 

医学の進歩に人々が置き去りという意見に納得した。もっと話し合い、知識を身につける機会が全ての人に必要だと思う。

 

児玉さんがおっしゃったように、私も価値感がぐらぐらです。

 

社会から障がいがなくならないことに納得した。ありのままのそれぞれを大切にできる社会となればいい。

 

※ 参加者のみなさんの記述のとおり、掲載しました。

〈レポート 3 〉につづく

 

(ディスカッションタイムの様子)

 

 

 

 

 

 

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