2020年04月27日

お知らせ

クエスチョンマークをはっきり!くっきり!(2020年度新スタッフ紹介① 原健一さん)

2020年4月、CoSTEPに新しく2人の専任スタッフが加わりました。これから2人の素顔を紹介するインタビュー記事を公開していきます。まず1人目は原健一さん。本記事では、インタビューを通して見えた原さんの魅力に迫ります。原さんはいったいどういう想いで、科学技術コミュニケーションの分野に飛び込んだのでしょうか。

 

 原健一(はら・けんいち)さん。1986年生まれ。北海道大学大学院文学院人文学専攻哲学宗教学講座修了。博士(文学)。19世紀後半から20世紀にかけて活躍したフランスの哲学者アンリ・ベルクソンの主著『物質と記憶』を主な研究対象としている。2020年4月より博士研究員としてCoSTEPに。

 

 

ものを見ることへの強い興味、ベルクソンとの出会い

 

ーーまず、原さんはどんなことをしてきたのですか?

 

哲学史の研究をしてきました。簡単に言うと、過去の哲学者の考えについて明らかにするという分野で、私はアンリ・ベルクソンというフランスの哲学者について研究してきました。ベルクソンは「見えるもの、知覚されるもの以外に記憶されるものが実在している」と主張しています。学部3年生の時にその考えに出会い、「これって俺がずっと考えたいと思っていたことじゃん!」と思ったことがきっかけです。

 

――ずっと考えたいと思っていたこと?

 

私はものを見るという経験と存在するという信念の関係について、小さい頃からすごく興味がありました。例えば、見えないものに関して、あるものは存在していると強く思い、あるものは存在しないと思う。隣の部屋とかアメリカ大陸とかいったものは、今は見えないけれど、絶対に存在していると思いますよね。ですが、同じく目に見えない心はどうでしょう?実物として存在していると思いますか?世の中には、このような、存在しているか、していないのかのグレーゾーンにある物が本当はたくさんあるにも関わらず、素朴に白(存在する)と黒(存在しない)が切り分けられています。「この白黒ってどうやって切り分けられているんだろう?」「本当にそれって白?」ということが気になっていたのです。

 

研究を進めると、「私たちはものを見る時に有用なものしか見ていない」ということがベルクソンの根本的な考え方であることがわかりました。ざっくりいうと、自分たちにとって便利なものだけ存在していると思うようになっているということです。例えば、隣の部屋は見えていませんが、今、敵から逃げて隣の部屋に行く時に部屋がなかったら困りますよね。今ここを生きていくために必要なものについては存在していると認めるのです。逆に、不便なものは実物として存在していないと思うようになっています。記憶はこれにあたります。過去の記憶を思い出していたら今目の前にある状況に対処できません。例えば、今、僕が誰かに殴られそうになったとします。僕はその人の一挙手一投足に注目しないとうまく避けられません。そんなときに「昨日のラーメンうまかったなあ・・・」といった過去の記憶を思い出していたらうまく対処できません。このように、記憶は目の前のことを対処するためにはないものとして扱う方が便利なので、私たちは実物として知覚していない、ひいては実在していないと思い込むということです。

 

――私たちが見えていない(あるいは見ようとしていない、見られないようになっている)だけで、記憶という実物は存在しているという考えなのですね。考えたこともありませんでした・・・

 

 

今の考え方を問い直せ!〜問いを大事にできる世界へ

 

――ベルクソンの研究を深めることもできたはずなのに、なぜ科学技術コミュニケーションの分野に飛び込んだのですか?

 

哲学者というのは、概念を創造する人々だと私は思っています。その時に用いられている考え方の枠組みに納得がいっていない人々です。そこで彼らは、概念を作り直して、もう一回、新しい仕方で考えられるようにしようとしています。哲学にはこうした既存の枠組みを問い直す力があるのです。

 

 

科学者の中にも、今の概念的な枠組みに満足していない人がいます。今の概念的な枠組みだけでは解けない問題がなにやらありそうだと。例えば、現在、脳とは別に心があるというデカルトの心身二元論のような考え方はほぼ捨て去られています。脳科学の発展に伴って、「脳について明らかにすること=心について明らかにすること」になっているのです。こうなると、脳とは全く別の心というものについて明らかにするということが、そもそもできなくなりますよね。そんなものあると思っていないから。その時に、過去の哲学者の考え方を参照することで、別の可能性を見つけることができるわけです。これは哲学史研究の魅力の1つでもあります。

 

科学者と非科学者としての哲学者がお互いの知見を総合して研究を進めることは、一つの科学コミュニケーションだと私は思っています。CoSTEPの公募を見た時、今まで理論的に研究してきたことを実践できると考えました。

 

また、私たちが生活していく中で作られている価値観を創り直すということにも興味があります。例えば、健康って良いことだと思いますよね。私もそれには同意します。ですが、健康であるかどうかということが、よい人間と悪い人間を区別する基準になってしまうことがあります。健康・不健康というレベルで素朴に人間を分類してしまうと、非常に人間の見方が貧しくなってしまうという側面があります。そういった考え方から解放されて、別の仕方で人間を評価できるようにした方がよい場面もたくさんあります。このような価値観や倫理観は、科学者や哲学者といった特定のコミュニティにおいてではなく、私たち全員が生活していく中で作られるものです。なので、こうした価値観や倫理観を問い直そうとするならば、大学だけでなくて、市民の方々と一緒に何かをしていかなければならないと思っています。

 

「今まで自分が考えてきたことは本当に正しいことなのかな?」という、そのクエスチョンマークを植えつけてあげることが私の仕事です。私が何か明確な答えを持っているというわけではなく、私自身もそうした問いの中で変容しなくちゃいけないと思いますし、私自身に今まで気づいていなかったクエスチョンマークが出ることもあるかもしれないですね。

 

――2021年から始まる第6期科学技術基本計画の議論を眺めていると、人文系の存在や役割がますます大切になりそうだと感じています。原さんは、これからの世界をどのように思い描いていますか?

 

もっと問いを大事にできる世界にしたいと思っています。今の世界には、持っていても言葉にしちゃいけない問いがたくさんあります。これはあくまで一例ですが、実際に、ある哲学者が「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いを立てた時に、新聞に批判記事が掲載されたことがありました。「不謹慎だ。そんなことは普通の子どもなら問わない」というような批判です。他にも「そんなこと問わなくても良い」と言われることが世の中にはたくさんあります。しかし、そういったところにこそ問うべきことが本当はあるのではないかと私は思っています。本当に問うべきことが周りの人によって見えなくさせられている状況があると言えます。それらを問うことで初めて得られる良い気づきがあるかもしれないのに、です。

 

どうやら、哲学を学ぶとクエスチョンマークに気付く力が強くなるようです。皆さんが持っているクエスチョンマークや、持ってはいるけどちゃんと言い表せていないクエスチョンマークをはっきりくっきりさせるということをしてあげたいと思っています。

 

――科学や科学技術だけでは答えられないことはたくさんあります。発展することによって新たに生まれる問題もありますし・・・「問い」の役割について改めて考えさせられます。

――最後に、CoSTEPでの意気込みをお願いします!

 

現状に満足していない人、疑問をもっている人がCoSTEPには集まります。そういった人たちが問いをぶつけ合うことのできる場所にCoSTEPをしていけたらなと思っています。今年度はライティング・編集実習を担当します。みなさんが既に持っている疑問・問いをはっきりと形にする力を一緒に鍛え上げていきたいです。

 

――ありがとうございました!

 

 

〜取材後記〜

原さんと話していると、「そもそも自分はこういう考え方をしていたのか!」という気づきが生まれることがあります。ぼんやりしていたものに線引きができるようになる感覚です。この点に関しては、原さんから「自分が何を考えていたのか後からはっきりわかるということが、哲学のすごく面白いポイントの1つ」とコメントをもらいました。多様な価値観を認め合う中で、皆さんはどのような立場で活躍したいですか?「自分は中立だ!」と思っていても、実はある主義主張に基づいた考え方を無意識のうちにしているかもしれません。ぜひ、原さんとじっっっくりと議論して、自分の新たな一面を発見してみてはいかがでしょうか。

 

「哲学者」と聞くと、考えることに特化した人と思う方もいるかもしれないが、原さんは行動することを大切にしている。学部4年生の時に映画の専門学校に通った経験ももつ。趣味も幅広く、「映画鑑賞」「音楽鑑賞」「南インドカレー」「ハロプロ」など、いろいろなことにハマっては飽きてを繰り返しているそう。