2011年11月15日

授業レポート

「科学者と「価値」の問題」11月2日/松王政浩先生の講義レポート

講義モジュール6「トランスサイエンス」の第3回目は、北海道大学大学院理学研究院教授の松王政浩さんに、「科学者と『価値』の問題」と題してお話いただいた。


「科学者は価値中立的か」という問題をめぐって、50年ほど前にラドナーとジェフリーの論争が発端となった。ラドナーによれば、科学者は価値中立的でない。というのも、科学者が例えば統計的判断を含む場合に仮説を受容あるいは拒絶するとき、仮説をどのくらい厳しく見積もるか、リスクをどう評価するかに関して、社会的・倫理的な価値判断が伴うからである。一方、ジェフリーによれば、科学者は価値中立的である。というのも、科学者が仮説を受容あるいは拒絶するとき、彼らは単に仮説に確率を付与するだけであって、そこに価値判断が入ってこないからである。


1980年代に入って、マクマランは価値を二種類に分類した。予測の精確性、理論の整合性・説明力・単純性などの「認識的価値」と、政治的・社会的・倫理的価値といった「非認識的価値」である。彼自身は、科学は前者の価値を伴うが、後者の価値を伴わない、とした。


今日では以上のような議論を受け、ダグラスの主張を中心に論争が展開されている。ダグラスは、科学には共通して「認識的基準」があると主張する。これは、理論が整合的であること、これまでの経験やデータを十分に説明できること、予測が有効にできることなどといった基準である。彼女はその基準を踏まえて、科学に認められる価値の働きとして、「直接的役割」と「間接的役割」をたてる。前者は、科学の最初のステージにおいて、どの方法を採るか決めるときに直接働く価値であり、社会的・倫理的価値がそれにあたる。後者は、例えば統計で仮説検定するとき何%に有意水準を定めるか、証拠をどう解釈するか、といった判断をするときに補助的に働く価値であり、社会的・倫理的な価値も関わってくる。それにくわえて、理論の間違いを効果的に見つけるために機能する認知的価値も関わる。


ダグラスはこうした整理を行ったうえで、「科学は価値中立的ではない」と主張する。科学者の営みにはこのようにいろいろな場面で価値の要素が入り込むので、科学者は自分の研究結果について考慮することは「道徳的義務」であると述べる。この義務を放棄すると、科学者の自律も放棄することになるという。従って、科学者は自分たちの営みにどのような価値判断を用いたのか、一般の人々に明らかにすべきであると彼女は主張する。そのことによって、市民は適切に意見や判断を形成することができ、科学者の価値判断は社会と接点をもつのである。


松王さんは、ダグラスの議論で不十分な点をいくつか紹介して、次の2点を指摘して講義を締めくくった。科学者や科学コミュニケーターの社会における立ち位置を考えるうえで、科学(者)と価値の関係は無視できない。それは、震災後の科学が直面している課題を考察するうえで重要だろう。その後、質疑応答が交わされた。


「科学は事実だけを述べ、価値について関係ない」とよく言われるが、それは本当だろうか。講義で紹介された議論を踏まえれば、肯定するにしても否定するにしても、科学における価値とはどのようなものか、科学者はどのような価値にコミットしている/していないのか、といった問いについて考察すべきであろう。科学を伝えるコミュニケーターも、そうした問いに関わる概念や議論を整理してみる必要があるのではないか。