青木さんの大学時代の先輩が蔵田伸雄さん(文学研究科教授)で、ともに京都大学在籍中に科学哲学サークルに所属していました。かれこれ20年以上のつきあいで、最近では子供を通した「パパ友」としても交流しているそうです。
興味は哲学から軽音楽に。
京都大学に入学して、初めの頃は蔵田さんと一緒に科学哲学サークルに入っていたのですが、次第に興味は軽音楽に移っていきました。それで、軽音楽部 でテナーサックスを始め、ビッグバンドで代表的なカウント・ベイシーのコピーを演奏して楽しんでいました。働き始めてからは、サックスからすっかり遠のいていましたが、実はつい最近、子供たちと“きらきら星”のジャムセッションをしたんです。小学5年生の息子がピアノ、小学3年の娘がヴァイオリンを弾き、私がサックス。子供たちと演奏は楽しいですね。
***
青木さんとIPCCの紹介
1997年、第39次南極地域観測隊に参加し、昭和基地で越冬を経験。さらにこの10年間に7回も南極観測船に乗船し、南極海の調査を続けています。また海洋物理学者として、IPCC第5次評価報告書のLA(主執筆者)も務めています。IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change;気候変動に関する政府間パネル)とは、気候変動に関する最新の科学的知見を集約し、評価報告書を作成するための国際的な機関で、各国政府の地球温暖化防止政策に科学的な基礎を与える活動をしています。
***
IPCCのLA(主執筆者)としてどのような活動をされているのですか?
気候変動に関して現時点で確かだと考えられている情報の評価を目的としてAssessment Report(報告書)をまとめます。それは各国の政策決定の基礎として利用されるので、社会的な関心が高く、LAとしてプレッシャーを感じています。私の担当は第3章「海洋の観測」で、約20ページの原稿を10名程度のLAと共に執筆しています。ページ数はそれほどの分量ではありませんが、LAが書き上げた草稿は世界中の専門家に公開され、一つの章に平均して1000件以上のコメントが寄せられます。私たちLAは、それらのコメントすべてに対応しなければならず、結構タフな作業となります。来年(2013年)の9月に第5次報告書が完成しますから、それまでは少しナーバスな状態が続くかもしれませんね。 責任の重さを感じていますが、名誉ある仕事ですからしっかりと務めあげたいと思っています。
低温科学研究所について教えてください。
低温科学研究所は1941年に設立され、北国でしかできない雪氷学など、特徴のある研究を進めてきました。そういう意味で北大らしい研究機関といえるのではないでしょうか。中谷宇吉郎さんが種を蒔き、発展してきた研究を受け継いでいる仲間たちもいます。ここ、北大でしかできない研究をしているという矜持のような想いはありますね。学生にとっても恵まれた環境が用意されています。最先端の研究を吸収でき、やる気さえあれば南極に行くこともできます。また国際南極大学など、海外で学べる機会も用意されていますから、低温研でやりたいことを突き詰めてほしいですね。
国際南極大学とは、極地の環境を様々な研究分野から理解しようとつくられた国際的な大学間連携プログラムで、世界で13か国、18の大学・研究機関 が参画しています。北海道大学に所属しながら、タスマニア大学の講義や実習に参加できるなど、国や大学の壁を越え、国際的な視野で学ぶことができるのが特徴です。
青木さんのお宝を紹介していただけますか。
実は切手コレクターです(笑)。昔から好きでした。せっかく南極関係の仕事をしているので、南極観測の話を紹介するときのネタになればいいなと思って集めています。
センチメンタル・バリアが高くて捨てられない2足のブーツとウインドブレーカー
味も素っ気もないブーツですが、安全靴といって、足、特につま先を保護するために頑丈に作られているものです。初代のブーツは15年前、南極で越冬した時に使っていたもの。2代目は今でも観測に行くときに使っています。さすがに札幌では使いませんが(笑)
また、この薄手のジャンパーは第39次南極地域観測隊から支給されたものです。JAREのマークのドットは「沈まぬ太陽」を表しているんですよ。
青木さん、ありがとうございました。次回のランナーは、青木さんの同僚、大島慶一郎さん(低温科学研究所教授)です。お楽しみに!