があっ
頭上から濁った鳴き声が降る。見上げると、ハルニレの枝先で黒い翼が空を叩いていた。
があっ があっ
威嚇の声だ。巨木の高み、枝わかれしたところに、小枝を寄せ集めた小鉢状の影が認められた。
そこから、漆黒の塊がまっすぐに降下してくる。
八尾清次郎は慌てて足を速め、柔らかな若葉が茂りだした草地を突っ切り、とっさにすぐ近くにあった昆虫学及養蚕学教室の建物に駆け込んだ。
(中略)
昆虫学及養蚕学教室は、正面入り口に時計塔を有した堅平な農学教室より、五十メートルほど正門近くに位置していて、並ぶ上げ下げ硝子窓と漆喰の白壁、さらに明るい青緑の屋根が、 モダンかつ爽やかな印象を与える建物である。真上から見れば、東西にある両翼の大きな教室を廊下で繋いだ、1の字を膨らませた形というのが、大雑把な表現になるだろうか。南に張り出した廊下の中央部分には、切妻屋根をのせた入り口があり、ドアの両側には付柱が装飾されている。農学教室や医学部の教室とは比べものにならないほど小さいが、雪の中でも緑の中でも目を引く建造物の一つだ。
乾ルカ『ミツハの一族』初出2015(創元社2017, p73)
八尾清次郎は北海道帝国大学の医学生。彼は札幌近郊の白石村小安辺の宮司の一族で、「烏目」と呼ばれる黒々とした瞳をもっていました。烏目をもつ者は「烏目役」というある役割を担わなければなりませんが、清次郎は一族の重荷から逃れるように医学の道に進んでいました。しかし鳥目役だった従兄の庄一の死により、その役を担うことになり、共に役割を果たす異能者「水守」と出会います。ふたりの役割とは・・・なぜ庄一は死んだのか・・・
第17回の「物語の中の北大」で紹介するのは、大正時代を舞台とする幻想的ミステリー『ミツハの一族』です。引用したのは清次郎が下宿へ戻るために、現在エルムの森ともよばれる理学部ローンと思われる場所を歩いている場面です。時代は大正13年(1924年)。季節は馬糞風が吹き、緑が芽吹くころと書かれています。
作者である乾さんの描写の特徴は、豊かな色彩のイメージにあるでしょう。「物語の中の北大」第13回で紹介した『私の忘れ物』の学生部庁舎の描写でも、やはり色彩が強調されていました。今作の引用部分でも、漆黒の烏、巣の影、若葉の草地、白壁と明るい青緑色の屋根の昆虫学及養蚕学教室と色彩が繰り返し描写されています。
昆虫学及養蚕学教室は1901年に竣工し、研究に使われていましたが、1937年からは北方文化研究室の居室になりました。そして1990年から10年間、放送大学北海道学習センターになりました。3年の空白の後、2003年からはインフォメーションセンターエルムの森となりました。2010年にそのインフォメーションセンターは正門すぐの建物に移転し、しばらく使用されていませんでしたが、昨年2023年9月にワイン教育研究センターとしてオープンしています。
それにしてもなぜ乾さんは北海道大学を描くのでしょうか。『わたしの忘れ物』でも北海道大学が物語の起点と終点になっていました。乾さんと北大の深い縁(特に昆虫学及養蚕学教室)については、同書の巻末に収録されている「北海道大学とわたし」にまとめられています。