近年、ますます注目を集める韓国文化。K-POPや日韓関係は私たちの身近な話題となりつつありますが、その背景や歴史、社会との関わりについて深く考える機会は少ないのではないでしょうか 。
そこで今回、日韓のポピュラー音楽や文化の「トランスナショナル」な側面を研究されている、金成玟(キム・ソンミン)先生(北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 教授)にお話を伺いました 。韓国出身でありながら日本に19年間住んでいる金先生の視点を通して、日韓関係や観光のあり方、今後の展望といった多岐にわたるテーマを掘り下げます 。
この記事が、私たちの「当たり前」を問い直し、新たな視野を得るきっかけとなれば幸いです 。
【入江優斗・法学部一年/髙田ひかり・総合理系一年/武田耀・水産学部一年/原健太・総合文系一年/森建真・教育学部一年/米澤史奈・総合理系一年】

トランスナショナルな歴史を読み解くことで、自由になる
金先生の研究テーマはなんですか ?
金先生: 基本的には、音楽とメディア文化、特に「大衆(People)」から生まれるもので、その時代の社会や空気を反映するポピュラー音楽を通じて、日韓のトランスナショナルな歴史を探り直し、理解することです 。
「トランスナショナルな歴史」とは ?
金先生: 国境を「超越」しながら、モノやコト、人が常に交わり融合していく――。
私が扱うのは、そうした一国主義では捉えきれない現象やその歴史です。それを「トランスナショナルな歴史」といいます。 具体的には、K-POPを例にとると、それを単に「韓国の音楽」としてではなく、日本とアメリカなどの「近隣国」との活発な相互作用を通じて発展し、世界の若者たちが共に形づくっているグローバルな文化現象として捉えます。
J-POPとK-POPの関係においても、明確な線引きが難しいほどの融合や相互作用が見られ、日韓の音楽産業や文化はますます密接に関わり合うようになっています。 その歴史をたどっていくと、「日本」と「韓国」という枠組みを超え、東アジアあるいはグローバルな水準で変容してきた音楽と文化の姿が浮かび上がります。
したがって 、メディア文化やポピュラー音楽のトランスナショナルな歴史を探る私の研究は、日韓を軸にしつつグローバルな視点を交え、より多くの人びとが多様で豊かな認識とまなざしを共有できることを目指すものだと言えます。
なぜ、それらの視点からの研究が大事なのですか ?
金先生: 「ナショナル」、つまり一国主義的な枠組みから自由になることで、「自己」と「他者」の概念が広がり、さまざまな抑圧から自由になれるからです 。音楽やメディアを通じて、これまでの当たり前の考え方や枠組みに「亀裂」を与え、自分自身のことを問い直し、世界を捉え直すことにつながります 。
一国主義的な考え方だと視野が狭くなり、他者との間に「日本人」対「韓国人」のような線引きをしがちで、排外主義的な考え方につながりやすくなってしまいます 。つまり、単一の「ナショナル(国家/国民)」という枠組みだけでは捉えきれない多様な動きや意味を問い直すことで、これまで「当たり前」と思っていた日々の認識・信念や、自分と他者に対する見方が、まったく異なるかたちで立ち現れてきます。
排外主義をさけるための試み・・・ ?
金先生: はい。私は、その点にも強く関心を持っています 。排外主義は、一見すると「自分へのプライド」を掲げているように見えますが、実際には「他者への恐怖」がより強く働いていることが多いのです。その恐怖の根源は、たいていの場合、「差異」にあります。
しかし、私たちは異なる他者とのさまざまな相互作用の中でしか自分を形成できない――そのことに気づけば、差異の意味もまったく違って見えてきます。 他者を排除するのではなく、むしろその違いを受け入れることで、自分自身も豊かに成長していく。そうした人間の歩みを、数多の共同体が盛衰を繰り返してきた人類史そのものが物語っているのだと思います。
つまり、一国主義的な枠組みから自由になるということは、「われわれ」という感覚をより多様で魅力的なものへと広げ、結果として自分自身を豊かにすることにつながる。 そう考えると、「トランスナショナル」に思考するとは、結局のところ、「他者とは一度も離れたことのない自分」を発見することでもあるのです。
J-POPとK-POPの間で
少し話を変えて、音楽について触れます。K-POPと比べて、J-POPは世界で人気を獲得できていないように思います。どうしてでしょう ?
金先生:まず言っておきたいのは、音楽はオリンピック競技ではないということです。 つまり、「J-POP 対K-POP」という構図そのものが、そもそも成り立たないんですね。そのうえで、J-POPとK-POPの違いや類似点、互いの関係性、そしてそれぞれが世界へ向かう道のりを見ていくと、そこから非常に興味深いトランスナショナルなあり方が見えてきます。
「J-POP」という言葉が誕生したのは1988〜89年頃です。 当時、音楽業界の人たちは、イギリスやアメリカとは異なる、日本独自のポップスがあると考えていました。 そして「J」というラベルをつけて、自分たちの音楽を定義し始めたのです。
当時のJ-POPは、従来の歌謡曲とは異なる新しい路線を志向していて、洗練されたサウンドやテクノロジーを取り入れたポップやロックが軸になっていました。 そもそも1970〜80年代の日本はすでに世界第2位の音楽市場でしたし、ROLANDやヤマハの楽器は世界中のミュージシャンに使われていました。 YMO(イエロー・マジック・オーケストラ、細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一の3人で結成された日本の音楽グループ) のような世界的アーティストだけでなく、日本のサウンドそのものが国際的に影響を与えていたのです。
つまり、J-POPは70〜80年代の音楽的・産業的・技術的遺産のうち、世界に最も近い要素を選択・集中して生まれた産物だと言えます。

金先生:しかし1990年代以降、世界の音楽シーンは大きく変化しました。 アメリカでは、白人中心の音楽から、黒人アーティストによるラップやヒップホップが主流となり、その潮流はインターネットなどのニューメディアの登場とともに、世界の音楽と若者文化に大きな転換をもたらしました。 一方で日本国内では、引き続きロックを中心としたJ-POPが主流だったため、世界的なトレンドとのズレが少しずつ生じていったのだと思います。 そして2010年代に入ると、「J-POPのガラパゴス化」が盛んに議論されるようになりました。
ただ、興味深いのは、 日本で「J-POPのガラパゴス化」が危惧されていたちょうどその頃、韓国を含む世界の音楽シーンでは「シティポップ・ブーム」が巻き起こったということです。 「いまの」トレンドとは合致しないからこそ、「いまにない」サウンドや感性を求める若者たちが、シティポップに熱狂した。 それは、J-POP、つまり「J的なもの」の文脈の中から新たに見えてきた「もうひとつの世界」でもあったのです。

いまではK-POPの方が、世界を席巻しているように感じますが、どうしてでしょうか ?
金先生:先ほどの話であったように、J-POPにおける「J的なもの」が歌謡曲からの遺産をもとに生まれたとするならば、K-POPにおける「K的なもの」は、既存の韓国歌謡のあり方を一度壊し、新たに築き直したものだと言えます。 1987年の「民主化」や1997年の「アジア通貨危機」など、大きな歴史的転換点を経ながら、韓国の音楽は過去の遺産を受け継ぐことよりも、あるいは「韓国文化の真正性」にこだわることよりも、むしろ新たに見えてきた「世界」との関係を重視しながら、「自分たちらしい音楽」を創り出していきました。 その成果として生まれたポピュラー音楽が、2000年代以降、世界で「K-POP」と呼ばれるようになったのです。
そもそもK-POPの原型が形成されたのは1990年代です。 当時からK-POPは、ラップやヒップホップといったブラックミュージックを積極的に取り入れ、メディアや音楽業界など既存の文化権力ではなく、「ファンダム」、つまりファン同士が作り出す独自のコミュニティ の力を中心に成長していきました。 すでに1990年代の段階で、K-POPの若いファンたちは「大人しく音楽を聴くオーディエンス」にとどまらず、音楽の生産から消費にいたる過程へと、積極的かつ闘争的に関与していきました。 その結果、従来の音楽産業では見られなかった相互的なコミュニケーションが、アーティストとファンのあいだに生まれたのです。
こうしたK-POPの性質は、ソーシャルメディアの時代と驚くほど相性が良いものでした。つねに最先端の音楽的トレンドを維持しながら、ファンが求める時代性に素早く反応する──。 K-POPが築いたこの新たな音楽・メディア空間には、世界中の若者が急速に参加し、グローバルなファンダムが形成されていきました。 そしてその音楽的・産業的・社会的な影響力は、アメリカのビルボード・チャートをはじめとする伝統的な音楽空間を超えて、世界各地で顕著に現れています。 その軌跡については、拙著『K-POP―新感覚のメディア』(岩波新書)に詳しく書いていますので、ぜひ参考にしてみてください。
J-POPはその点でどのように位置づけられますか ?
金先生:J-POPとK-POPの成果を現在のビルボード・チャートだけで見れば、当然ながらJ-POPの方が遅れているように映ります。 そのため問いの立て方も、「どうすればJ-POPもK-POPのように世界で成功できるのか」といった方向に偏りがちです。 しかし、先ほども述べたように、音楽はオリンピックではありませんよね。「J的なもの」と「K的なもの」は、それぞれ異なるコンテクストのなかで形成され、変容してきたものです。 そして、その差異がもたらす活発な相互作用を通じて、両者は共通の世界、またそれぞれの「世界」と向き合ってきました。
1990年代から本格的に築かれていった「K-POPと世界」の関係においても、J-POPとの融合や相互作用は決して欠かせないものでした。 そして現在の「J-POPと世界」の関係においても、K-POPは重要なプラットフォームとして機能しています。 ファンダムを見ても、日本と韓国で明確に区別できない共同体がすでに形成されています。 音楽的にも、J-POPとK-POPは互いに持たない要素を貪欲に求め合い、影響し合っています。 たとえば最近の韓国におけるJ-POPブームを見れば、バンドミュージックや弾き語りなど、まさにK-POPには少ないジャンルや感性が注目されています。
一方、日本におけるK-POPの影響もますます拡大しています。 女性アイドルの例を挙げると、日本の女性ファンたちはすでに2010年頃から、KARAや少女時代、2NE1といったK-POPの「ガールクラッシュ」――つまり「強くてカッコいい女性アイドル」像を積極的に受け入れてきました。 そして2010年代後半には、TWICEをはじめ、K-POPのガールグループで活躍する日本人メンバーが爆発的に増加します。 さらに2020年代に入ると、XGのように、従来の規範とはまったく異なるスタイルの女性アイドルが次々と登場し、グローバルなファンダムを獲得しています。
1980〜90年代に、韓国のアイドルが日本の影響を受けて誕生した経緯を踏まえると、このように繰り返されてきた融合と相互作用は、まさに日韓におけるトランスナショナルな関係性を如実に示していると言えるでしょう。
その中で、ポピュラー音楽の価値は、一体何でしょうか ?
金先生: 私がポピュラー音楽について研究してきた理由の一つは、音楽そのものだけでは捉えきれない大衆・国家・資本の欲望が、そのなかで複雑に作用しているからです。 よくよく考えてみると、ある歌が大きくヒットしていく過程――つまり大衆の人気を集め、膨大な資本を獲得し、「国民的スター」として国家の文化的イメージまでも代表するという現象――は、音楽の良し悪しだけでは説明できません。ヒットした曲がすべて良い音楽とは限らないし、ヒットしていない曲のなかにも優れた作品は山ほどあります。
では、何がその差を分けるのか。私は、それを「時代性」だと思うのです。ポピュラー音楽の歴史を振り返ると、各時代のヒット曲には、人種・地域・国籍・ジェンダーといった多様な文化的アイデンティティをめぐる認識の変化、つまりその時代の価値観や空気が強く反映されてきました。ポピュラー音楽は、確かに「好き」という感情によって成り立っています。けれども、その「好き」に時代性を与えるのは、日々著しく変化していく〈大衆・国家・資本〉のあり方なのだと思います。 言い換えれば、時代の変化に最も素早く、そして敏感に反応してきたという点にこそ、研究対象としてのポピュラー音楽の価値がある――私はそう考えています。

前編では、トランスナショナルな視点から日本と韓国の文化について触れてきた。後編では、これからの日韓関係について探っていく。金先生は、いったいどんなことを考えながら研究に取り組んでいるのだろうか? 皆さんにぜひ読んでいただきたい。
《後半に続く》