一方向からの風を受け続けた樹木が曲がって成長するように、植物の成長は風や接触、重力など外部からの刺激の影響を受けます。これは言い換えれば、外部刺激によって植物の成長をコントロールし、林業や農業に活用することが期待できる、ということです。そのためには植物が外部からの刺激に対してどのような応答を示すのか、を調べる必要があります。本研究では将来的に植物の成長をシミュレーションして成長を管理することを目指し、植物の力学応答を知るために必要不可欠である植物細胞の力学特性を計測しました。
【長南悠・工学院修士2年】
工学院で植物を研究する理由
私は工学院で植物の研究をしています。植物の研究というのは農学部や理学部のイメージが強いでしょう。実際、既存の植物研究は大学の受験科目でいう生物・化学の分野に関わる遺伝やしかし、上述のように植物の成長を制御するためには力学特性を調べるという物理学的な視点が必要になります。そこで、学部で材料力学をはじめとした力学を学んできた私のような工学院生の出番という訳です。
物体のふるまいを考える指標、力学特性
では工学院生らしく、力学特性という材料力学用語について説明させてください。力学特性とは簡単に言うと、物体が何らかの力を加えられたときにどのように変形するかを表すパラメーターのことです。引っ張ったときにどれだけ伸びるか、どれだけの力で曲げると折れるか、押し込んだ時にどれだけ潰れるか、など評価基準は多岐にわたります。鉄棒にぶら下がることはできても発泡スチロールの棒にぶら下がろうとすると折れてしまうように、物体はそれぞれ固有の力学特性を持ち、基本的に数値が高いほど固くて変形しにくいです。また、同じ材料でも引っ張りには強くて押し込みには弱いなど、考慮するパラメーターによって評価値は異なります。今回は代表的な力学特性のひとつで、力と変形量の比例関係を表すヤング率について計測を行いました。
植物細胞を囲む細胞壁
植物細胞の構造を力学特性から見てみると、細胞の最も外側に細胞壁という殻のような器官があります。この細胞壁はスクロースという糖を主成分としており、植物細胞中の他の器官と比べて非常に固くなっています。細胞壁は2層に分かれており、外側は一次細胞壁という比較的薄くて柔軟な層で、内側は二次細胞壁という厚く強固な層になっています。お豆腐は固いパックに入っていますが、そのパックを金庫ぐらい頑丈にして、さらに強化段ボールで梱包したようなイメージでしょうか。つまり、植物細胞の力学特性を計測するには細胞壁の影響が非常に大きいということがご理解頂けると思います。
(植物細胞の構造)〈出典:P.レーヴンその他: 2006『レーヴン・ジョンソン生物学〈上〉』 培風館〉
押し込む試験、引っ張る試験
細胞の力学特性を調べる方法はいくつかありますが、今回は原子間力顕微鏡 (Atomic Force Microscopy, AFM) による計測と、マイクロピペット吸引法による試験を行いました。
押し込む試験としてはAFMを使用します。カンチレバーというシリコンチップについた先端の曲率半径が7 nm程の超微小な探針で細胞を押し込み、その押し込みの深さとカンチレバーにかかった力の関係から力学特性を計測します。このAFMの操作が非常に複雑で取扱説明書も英語版しか無かったため、計測の準備をするだけで2日ほど費やしてしまったりもしました。
引っ張る試験であるマイクロピペット吸引法は、先端の直径が数µmのピペットで細胞を吸引し、その吸引圧と変形量の関係からヤング率を計測する方法です。実験に使用するピペットはガラス管を熱する機械を用いて自分たちで作製するのですが、曲がったり割れたりで綺麗にできるものは限られますし、吸引試験でも頻繁に異物が詰まって使えなくなるので、試験が成功するまで何十本ものピペットを作製するのは大変な労力でした。
(AFMの概略とピペット吸引の様子)
研究の今後
細胞の計測が完了したら、次は組織レベルの大きさでの測定に移行します。細胞と組織の力学特性の関係が解明できれば、植物の成長制御に近づくことでしょう。植物の形を自由自在にコントロールできる未来を目指して、小さな細胞から大きな野望に繋げていきます。
この記事は、長南悠さん(工学院修士1年)が、大学院共通授業科目「大学院生のためのセルフプロモーションⅠ」の履修を通して制作した作品です。
長南さんの所属研究室はこちら
工学院 人間機械システムデザイン専攻 マイクロバイオメカニクス研究室(大橋俊朗教授)