民族や社会問題に興味を持っていた私たち二人は、アフリカの農村をフィールドにして国際政治の研究を行なっている鍋島孝子先生(大学院メディア・コミュニケーション研究院、大学院国際広報メディア・観光学院)にお話を聞きに行きました。アフリカの紛争、難民というさまざまな困難の中でも見えた希望、人間の力など、とてもすてきなお話を聞くことができました。
【小畑悠紀子、竹中雄心・文学部1年】
アフリカでの経験
ケニアではどんなことがありましたか?
私は修士課程を終えたばかりの1994年6月から、国連難民高等弁務官(UNHCR)の研修生としてケニアの難民キャンプに1ヶ月間滞在しました。初めてのアフリカでした。難民は自国で生命や権利を脅かされた人たちです。私たちの中には、難民に対して着の身着のまま逃げてきて、教育の機会を失い、保健衛生の概念もない…、というイメージを持っている人も多いと思います。
しかし、私が難民キャンプで見た人たちは、そんな難民のイメージを覆すものでした。単刀直入に「この人たち、したたかだな」と思いました。もちろん、彼らの中には精神的にボロボロになってしまっている人もいます。しかし、難民キャンプではキャッキャと楽しそうに勉強している子どもたちもいるし、大人たちも職業訓練をやったり、キャンプではなかなか手に入らない食材や物資を工面して、自分達の国の料理や文化を再現したりしようとしています。かわいい赤ちゃんが生まれたら見せに来てくれます。そんな彼らの姿を見ていると、人間の再生力はすごいなと思いました。たとえ全てを失っても、人間は希望を失わない。再生していく力がある。彼らには明るさと強さがありました。
マダガスカルにも行かれました。
もともと国際機関で働こうと思っていました。そのためには途上国での実務経験が必要なので、ケニアから帰国して4ヶ月後に、マダガスカルの日本大使館で専門調査員として働き始めました。2年半ほどのマダガスカルでの経験を通して、私は農村の状況から国際政治を考えるようになりました。
私がいたころのマダガスカルは、社会主義体制の崩壊と民主化過程の時期にありました。アフリカがグローバリゼーションに直面すると、農村でも大きな変化が生じました。もともと、植民地や社会主義の開発独裁の時代に、農村における伝統的首長が自分の地位の保障を求めて政権側に加担し、農民を押さえつけていました。これに農民が反発する構造を、グローバリゼーションによる格差や貧困の中で、暴力的な集団が過激な反体制運動や民族中心主義に駆り立てるようになりました。こうして、一般の人を巻き込む民族紛争の構造がアフリカにできたのだと考えました。
マダガスカルで起こっていた農村の変化と農民たちの反発を見た時に、アフリカの農民は一見、政治と切り離されているようにみえるが、政治は農村を大きく変えていく、農民の人生をも変えていくと実感しました。マダガスカルの経験を通じて、政治と農民の関わりに興味を持ち、研究をすることにしました。
アフリカの未来
これからはどのような研究をしていきますか?
先ほど言ったような民族紛争は、アフリカの負の構造です。アフリカを研究していると、アフリカは政治も経済も全部ダメだ、民族紛争もなくならない、というようにどんどん暗い話になってしまいます。ではアフリカの人たちはずっと暴力的で、貧困から抜け出せないままなのでしょうか?
いいえ、彼らは「再生」していきます。私は、農村が壊されて、今までの価値観も失われ、伝統的権威も失墜する中でも、アフリカの農村や農民が再生する可能性を見つけたいと思っています。小さなことでもアフリカのプラスの面を見出していくことが、この先のアフリカ研究の課題だと思っています。アフリカの農民たちが自分の農業、土地、共同体についての意見を持ち、その意見を主張できることが、「自治的になる」ということです。
だから、アフリカの農業と大学の共同研究、開発プロジェクトを繋げることが重要となってきます。そのトランスナショナルな相互作用の中で、アフリカの人たちが自らの力で再生できて、少しずつアフリカの状況を改善できたらと思います。アフリカの農村が「自治的」になって、自分たちのルールの決定を他の国や他人の判断に任せるのではなく、自分たちで決めていけば、人間の生活の幅や文化的な価値観が広がるでしょう。もしかしたら、欧米の民主主義とは違う、新たな政治の可能性が出てくるかもしれません。今は、アフリカの農村の可能性を見つけることがアフリカ政治学を専攻する者の仕事だと思っています。
この記事は、小畑悠紀子さん(文学部1年)と、竹中雄心さん(文学部1年)が、学部授業「北海道大学の「今」を知る」(2015年度)の履修を通して共同で制作した作品です。