メタバース空間を歩いていると、壁の角を曲がった瞬間、暗がりの中からヒグマの姿がふいに現れます。驚いて周囲を見回すと、森の360度画像のどこかに、迷彩服の人影が潜んでいます。自然写真家の髙橋忠照さんです。
富士フイルムのメタバース空間「House of Photography in Metaverse」で2月27日から3月13日まで開催された写真展「『探(たん)』動物撮影 方法論 〜導き出されたPosition〜」。
北海道大学教養深化プログラムおよび北海道大学 大学院文学研究院・大学院文学院・文学部の協力のもと、文学院・文学部の学生4名がキュレーションを主導した本展のギャラリートークに参加し、登壇者の方々にお話を伺いました。

「探す」が四つある——髙橋忠照の方法論

髙橋さんは元・陸上自衛隊狙撃教官(スナイパー)。「潜入」「トラッキング」「ストーキング」といった技術を野生動物の撮影に応用し、独自のスタイルを確立してきました。ギャラリートーク後、撮影の核心について伺うと、「探す」という行為には四つの歯車があるといいます。
- 動物と絡む可能性がある美しい風景を探す。
- 探した風景と動物が絡む時間軸を探す。
- 自分の撮影ポジションを探す。
- そして、フレーム内に動物をどう置くかを探す。
この4つが噛み合ってはじめて、作品が立ち上がります。
例えば、エゾユキウサギの作品。
一般的には足跡を追って寝床を探しますが、髙橋さんは逆に、あらかじめウサギがいそうな場所を見極め、寝床側からピンポイントで入り込んだといいます。太陽の角度、足跡が消える前の時間帯、雪面のコントラスト——そうした条件を読み取り、限られた時間内で撮影に至りました。


また、キジの作品では、スキー場帰りに偶然出会ったように見える場面も、過去の経験に基づいています。
「大雪の日にはキジが柿の木に留まる」という知識が、頭の中の“引き出し”として蓄えられていたからです。

普段からロケハンを重ね、風景や動物が結びつきそうな場所を見つけておくこと。
その積み重ねがなければ、目の前で起きる想定の範囲を超えた事象に対応できず、被写体に飲まれてしまうのだといいます。
「引き算」の構図——画角の中に何を残すか
今回の展示で監修・ディレクションを担当した中村香音さん(文学院 文化人類学研究室 博士後期課程3年)が、最も印象に残った言葉は「引き算」でした。
髙橋さんの作品づくりでは、何を入れるか以上に、何を外すかの判断が重要になります。
余計な要素が一つでも入れば、その写真は成立しません。その判断は、立ち位置、レンズ、時間帯、光——すべてを組み合わせた瞬間的な決断の積み重ねです。
この「引き算」は、写真だけでなく展示全体にも通じていました。学生たちは髙橋さんが提示した多数の作品候補から、テーマ「探」「導き出されたPosition」に合致するものだけを選び抜きました。
気に入った作品であっても、テーマに合わなければ外す。キュレーションもまた、「引き算」の営みとなっていました。
メタバースの壁を1マスずらす——学生キュレーションの舞台裏

本展の特徴は、写真展の核であるキュレーションを学生が主導している点にあります。
中村さんを中心に、江口佳穂さん(文学院 博物館学研究室 博士後期課程2年)、上村麻里恵さん(文学院 芸術学研究室 博士後期課程2年)、中山広貴さん(文学部 文化人類学研究室 学部4年)の4名が企画・準備に携わりました。

作品選定は、各自が気になる作品を持ち寄るところから始まり、最終的に17点に絞り込まれました。
空間設計では、メタバースならではの自由度が学生たちを悩ませました。壁の配置、写真の位置、キャプションとの距離——すべてを一から議論して決めていきました。
パワーポイントに作品を並べて印刷し、ハサミで切って模型をつくる。実際に空間に入ったときの見え方を、何度も確かめながら検討を重ねていきます。
リアルな会場では壁や天井の位置は動かせませんが、メタバースではそれ自体が設計の対象になります。
特にこだわったのが、ヒグマの作品の配置です。入り口からは見えず、壁の角を曲がった瞬間に現れるように設計されていました。
来場者に作品を「探して」もらうための仕掛けであり、展示テーマと呼応する空間となっていました。

江口さんは、「自由すぎるからこそ、どこまでもこだわれてしまう」と振り返ります。

「交点」を撮る——動物の越し方と行く末のあいだで
上村さんが印象に残った言葉は「交点」でした。
野生動物がこれまで生きてきた道筋と、これから進んでいく方向。その中に、自分がたまたま立ち会った瞬間があります。
その交わる一点を撮るのだと、髙橋さんはそう説明します。

上村さんは、エイズ危機時代のポートレートを研究対象としています。亡くなった人々が残した作品、そして作品や人々の声を語り継ごうとする人が紡いできた資料から読み解くことが、研究の基盤です。
一方で今回の展示では、存命の作家から直接話を伺いながら、作品の背景を掘り下げていくことができました。何を書き、何を書かないことで伝えるか——キャプション制作の過程で得たその感覚は、研究のあり方そのものを見つめ直す機会にもなったといいます。

おばあちゃんの大根——撮影を支える人間関係


髙橋さんは、動物だけでなく地域の人々との関係も撮影の土台になるといいます。
ニホンザルを撮影している山形の農村では、住民のサルに対する感情はさまざまです。敵対的な人もいれば、協力的な人もいます。
あるとき、親しくなったおばあさんから「大根を猿に取られないよう見張ってほしい」と頼まれたことがあったそうです。一時間ほど見張っている間に、サルの群れは山へ消えてしまいました。
おばあさんに報告すると、缶コーヒーを渡され、そのまま長話に。結局、サルを探すのにさらに数時間かかったといいます。
江口さんは、髙橋さんがこうしたエピソードを「とても楽しそうに話される」ことが印象的だったと語ります。動物と人との関係、その全体を感じてもらいたい——そんな思いが、キャプション制作にもつながっていきました。
24時間、どこからでも——メタバース空間の可能性
髙橋さんは、メタバース展示の魅力を「24時間、全国どこからでもアクセスできること」だと話します。
現地に足を運ばなくても、自宅から気軽に鑑賞できる。何度でも訪れることができる。

上村さんは、全国の博物館やギャラリーにポスターを送るなど、広報活動にも主体的に取り組みました。「誰かに届けば」という思いからだったそうです。
メタバースという新しい展示形式は、学生にとっても未知の挑戦となっていました。
「探す」体験を共有する展示
野生動物を「探す」写真家。
作品の意味を「探す」学生たち。
そして、その展示を体験する私たち。
この写真展は、それぞれの「探す」が交わる場でした。作品を見るだけでは終わらない、思考のプロセスそのものを分かち合う——北大生たちがメタバースに立ち上げたのは、そんな展示でした。
本展には、北海道大学教養深化プログラムと北海道大学 大学院文学研究院・大学院文学院・文学部が協力しました。教養深化プログラムは、大学院で学んだ専門知識を実社会で役立てる実践力の育成を目指しています。髙橋さんは今回の取り組みについて、「リードタイムを設けて仕事を進めるといった経験も含め、社会の即戦力になるための実践の場として、これ以上ない機会だったのではないか」と語ります。
※一部の画像は、富士フイルム 宮坂さん、中村香音さんよりご提供いただきました
写真展情報
※本展の会期は終了しています。
「探(たん)」動物撮影 方法論 〜導き出されたPosition〜
日 程:2026年2月27日(金)10:00〜3月13日(金)9:30
場 所:House of Photography in Metaverse パノラマギャラリー
主 催:富士フイルム House of Photography in Metaverse
作品撮影:髙橋忠照(公益社団法人 日本写真家協会(JPS)会員)
協 力:北海道大学 教養深化プログラム/北海道大学 大学院文学研究院・大学院文学院・文学部
観 覧:無料
展示情報: https://www.let.hokudai.ac.jp/event/28323