札幌農学校の時代から行なわれていた、農産物や畜産物を食品に加工する実習。その長い歴史を、アグリフードセンターに今も残る品々を通して垣間見せていただきます。案内してくださるのは、若松純一さん(フィールド科学センター 准教授)です。
いつごろから行なわれていたのですか
札幌農学校が開校したのは、1876(明治9)年8月。その翌月には、広さ約100haの農黌園(のうこうえん)が開設されました。そしてさっそく、牛乳やバター、ソーセージ、ベーコンなどの製造が始まりました。お雇い外国人教師や、寄宿舎の生徒向けの食材として使われていたようです。
(バターの包装箱。左端は、農場が農学部附属だったころのもの。右の2つは、フィールド科学センターの一施設となった今のもの。)
時代がぐっと下って第二次世界大戦後になると、国民の間に、肉をたくさん食べ牛乳を飲むという習慣が根づき始めます。それに呼応して、牛乳を瓶につめて学内の人々に販売することが1957(昭和32)年から始まりました。ほとんど手作業で、1日2000本ほど製造したようです。その後、全自動の連続製造ラインが導入された時期もありますが、器械の老朽化と人員削減により、1987(昭和62)年に中止されました。
(牛乳瓶と紙製の蓋。蓋には「85℃15秒殺菌 北大附属農場畜産製造部 札幌市北区19条西9丁目」とあります。アグリフードセンターが今の場所にできるまで、畜産製造施設は獣医学部の北側にあったのです。)
古そうな器械が残っていますね
これ(上の写真左)は、昔、ハムを作るとき肉を袋(ケーシング)に充填するのに使っていた器械です。今のもの(写真右)と比べると、時代を感じますね。
これは、バターチャーンという器械です。牛乳から生クリームを分離してこの容器の中に入れ、生コンのミキサーのようにぐるぐる回して撹拌(チャーニング)し、バターにしていきます。30年ほど前、私が学生の時に使った器械ですが、今も現役で働いています。
いかにも古そうなこの器械は、ジュースを瓶に詰めたあと、王冠で蓋を閉めるのに使います。これで1本ずつ蓋をしていくのです。
若松さんがこの分野に進んだのは、どうしてですか
出身は京都で、小さいころから北海道にあこがれ、家から出たいという思いもあって北大に来ました。
部活はアメフトでした。それで「肉」というものに対し、食べものとしても筋肉としても、とても興味があったのです。そんなところに先輩から「畜産は面白いぞ、来いよ」と言われたものですから、農学部の畜産学科に進んでしまいました。
大学には「理1系」で入学したので、受験科目は物理や化学でした。生物に関係のないところから畜産に進学したのですが、やってみたら本当に面白かった。それで大学院まで進学し、食品メーカーに就職しました。その後、8年ほどたって再び大学に戻り、研究者になったのです。