北18条の遠友学舎前の歩道脇に、球体のフードに覆われた街灯が並んでいます。このフードの上半分には、光を効率よく歩道に届けるために銀色のコーティングが施されています。フードを外から見ると、あたかも周囲の風景がまるごと封じ込められたかのように、それでいて広大な空間を感じさせるように反射しています。これは、原理的には「球面反射鏡」といわれるものになります。
球面反射鏡というと、かのM・C・エッシャーの作品『反射する球を持つ手』を想起する方もいらっしゃるかもしれません。エッシャーは、内側だと思っていたものが外側だったり、上だと思っていたものが下だったり、図だと思っていたものが地だったりと、我々の日常世界における認識枠組みを根底から覆す作品を多数この世に送り出しています。
ところで、冒頭に触れた「遠友学舎」という建物の名称は、かつて新渡戸稲造夫妻が、貧しさから教育を受けられない若者たちのために現在の札幌市豊平橋付近に開いた男女共学の夜学校、「遠友夜学校」に由来します。これは、いわば大学の「内」から「外」への「越境」と言えるでしょう。まさに今日の大学のアウトリーチ活動の先駆、それどころか当時にして、今日のずっと先を行く活動だったと言えるかもしれません。
一方、現代の社会的要請に応えるために、大学には多様な人材が外部から参画して教育研究活動に従事しています。これは逆に、「外」から「内」への「越境」と言えるでしょう。さらに産学連携などは、双方向の越境が同時に起こっていると考えられます。
このように、現代の大学における様々な「外なる内」「内なる外」の存在は、私たちが大学というものの境界線、役割、そしてアイデンティティを改めて考えるきっかけを与えてくれます。
あらゆるものごとの内と外が入り乱れ、その境界線がますます流動的になりつつある現代において、両者の関係を鋭く問うエッシャーの作品群は、新たな示唆を私たちに与えてくれるように思います。街灯に封じ込められた景色を眺めながら、そんなことを考えさせられました。