現在、世界では約2500の言語が消滅の危機にあると言われており、アイヌの言葉であるアイヌ語もその中の一つとして数えられています1)。アイヌが多く住むまち平取町二風谷では、この言語文化を復活させるため、教育現場を中心にアイヌ語普及に取り組んでいます。また北大には、公共交通機関と協力したアイヌ語放送のサービスを実現するなど、アイヌ語普及に尽力している研究者がいます。「アイヌを識る」最終回は、これらの取り組みを通じて描かれる、北海道の未来の姿を紹介します。
【田渕久倫・CoSTEP本科生/社会人】
アイヌ語の背景と現状
アイヌ語には大きく分けて、平取、様似、釧路、旭川などにもともと住んでいた人たちによる北海道方言と、第2次世界大戦後,サハリン (樺太) から北海道に移住した人たちによる樺太方言と、かつてウルップ(得撫)島(アイヌ語で紅鱒を意味するウルプから由来)以北の北千島に居住していた人たちによる千島方言の3種類があります。しかし、現在アイヌ語を話せる人がとても少なくなっています。それは、明治政府による「旧土人保護法」をはじめとする同化政策や、和人によるアイヌに対する差別の中で、アイヌ語を使う場が失われていったこと。そして就業をするために日本語を話さなければならないという社会的ニーズなどが原因です2)。2007年の推定によると、北海道に住む約1万5000人のアイヌの中で、アイヌ語を流暢に話せる母語話者は10人しかいません3)。アイヌの取材を通じて私たちが見たのは、この危機的状況と向き合いアイヌ語の復活に取り組む人たちの姿でした。
アイヌ語教育の実践
言語の習得には聞く、話す、読む、書くの4つのスキルが必要です。まず、「話す」スキルを学ぶ場所として、アイヌ語教室があります。アイヌ語伝承活動について、二風谷小学校でアイヌ語講師を務めている関根健司さん(二風谷アイヌ文化博物館 職員)に話を聞きました。関根さんはアイヌ語教室で市民向けの講座に力を入れる一方、平取町立二風谷小学校で2014年から実施されている総合学習の時間を利用したアイヌ語教育の講師も務めています。二風谷小学校のアイヌ語教育では、学校内の授業だけではなくアイヌ文化博物館や沙流川歴史館での調査・学習も行なっていて、12月には「ハララキ(アイヌ語で鶴の舞という意味)集会」でアイヌ語学習の発表会をしています。実際に二風谷小学校のハララキ集会に参加してみると、児童がグループになってアイヌの地名や料理、先祖供養方法などを模造紙やパワーポイントにまとめて発表していました。小学校関係者だけではなく、二風谷に住む一般の方も参加していて、小学生がアイヌ文化を学ぶ姿にとても感銘を受けていました。
関根さんの活動は二風谷内だけにとどまりません。道内各地、さらには東京など道外からもアイヌ語講師の依頼がきます。「アイヌ語が広まるならどこでも行きます。そこから熱心にアイヌ語を学んでくれる人が増えてくれるといいなって思っています。」と語ってくれました。
誰でも聞けるアイヌ語を目指して
次に、「聞く」ことにフォーカスを当てた取り組みとして、平取町では平成30年4月から路線バスの車内放送をアイヌ語で行うサービスがスタートしました。「アイヌ語が流れる公共の場を作ることが重要」と語ったのは、この取り組みの提案をした北原モコットゥナシ次郎太さん(北海道大学アイヌ先住民研究センター准教授)です。北原さんは、習熟度別や日常会話の場面別教材がないこと、教えることができる人が少ないことがアイヌ語の普及活動の課題になっていると考えています。人々が行き交う公共の場でアイヌ語が流れ、日常的に耳にすることで、最初の教材の代わりとなります。しかし、現在はアイヌ語を使う人が少ないため、その機会はほとんどありません。そこで北原さんは人々が日常で使う公共交通機関に着目。内閣官房アイヌ総合政策室北海道分室と関根真紀さんの協力により、道南バスでの実施が実現しました。
北原さんは、構想から実現に至るまで、道南バスと協力して入念に準備を進めていきました。計画を進めていくうちに、バス停の名前をどうするかという壁にぶつかりました。既存のバス停名のままではアイヌ語ではありません。そこで、二風谷の古い地図と照らし合わせて昔の地名を探し出し、それをバス停の名前とすることで課題を解決したのが、先ほどの関根健司さんです。ちなみに、アイヌ語のバス車内アナウンスは関根摩耶さんが担当しています。
アイヌ語バスアナウンスは、日高ターミナル発着の3つの路線が対象となっています。放送はいずれも1日当たり1~3便で、平取町内の新日東―荷菜摘間で行っています。またバス車内アナウンスをアイヌ語で行う他、乗客に向けたアイヌ語バス停のパンフレットも設置されています。
「バスアナウンスをやってみて、観光客にアイヌ語を知ってもらうとか、アイヌ文化に触れてもらうことが注目されているんですけど、私が大事だと思っているのはアイヌ自身がアイヌ語を聞ける場所が増えることなんです。」と北原さんはアイヌ語を広める意義を語ってくれました。北原さんは、自身もアイヌとしてアイヌ語を使いたいと思っています。そんな中で多くのアイヌと出会う中で、アイヌ語を学び直したいという人たちに出会いました。その強い動機の一つに「先祖との繋がりを確かめたい」という声が多かったそうです。
北海道の公用語へ向けた第一歩
アイヌ語は特殊な場所で使うものではなく、誰もが親しみを持って使えるものです。少しでもアイヌ語を使う輪が広がることを北原さんや関根さんは願っています。今、北原さんが大切にしているのが「イランカラプテキャンペーン」です。「イランカラプテ」はアイヌ語で「こんにちは」を意味する挨拶。アメリカのHello、ハワイのアロハ、沖縄のハイサイなどのような感覚で「イランカラプテ」を多くの人に使ってもらうことがアイヌ語の普及への第一歩になると考えています。「学校の校長先生に対して、朝礼のおはようの後にイランカラプテを使って欲しいとお願いしています。校長先生が日常的にイランカラプテを使うことで、先生や子どもたちがアイヌ語を使いやすい環境になります。」と北原さん。このキャンペーンがより効果的になるための工夫を考えています。
関根さんは「アイヌ語教育をもっと広げて、アイヌ語を北海道の公用語にしたい。」という夢を持っています。この壮大な夢には、ロールモデルが存在します。6年前に、同じく話者が激減していると言われていたニュージーランドのマオリ語が見事に復活していることを見たのがきっかけです。現地ではマオリ語によるニュース番組や子供番組が放映されたり、マオリ語の幼児教育が積極的に行われていました。マオリ語が使えることが観光資源となり、産業や需要を生んでいることにより言語存続の危機を回避した歴史を知った時、「どーんと、正解を見た気分になった。」と関根さんは語りました。関根さんは私たちを含めた北海道に暮らす誰もがアイヌ語を話せる未来を目指しています。
私たちはアイヌについて「北海道の先住民族である」という表面上の知識しかありませんでした。事前学習を重ねる中で、アイヌが歩んだ歴史的背景や、今を生きるアイヌの姿を知りました。北海道命名150年の節目にあたる年に取材を開始し、この記事を通して「アイヌについて、私たち取材班はもっと知らなければならない」という思いが強くなりました。二風谷を訪問し、アイヌに携わる多くの方々に話を聞き、取材を重ねました。それらを通してわかったことはアイヌの文化や歴史を守り継承するために、想像を超える様々な取り組みが行われ、多くの方々が関わっていることです。また、多様な視点・角度から研究をしている方々に話を聞くことで、アイヌ語復興へ描く未来を垣間見ることができました。そして北海道に住む私たちライティング・編集実習班も、アイヌの過去を学び、未来を自分ごととして考えることの大切さがわかりました。この「アイヌを識る」シリーズの記事を通してアイヌが歩んだ軌跡と思い、それを受け継ぐ人たちの活動を知ってもらえたらと思います。
参考文献:
- ユネスコ(国連教育科学文化機関)「Atlas of the World’s Languages in Danger”(第3版)」,2,2009
- ジェフリー・ゲーマン「危機的な状況にある言語・方言の保存・継承に関わる取り組みなどの実態に関する調査研究事業(アイヌ語)」『現在のアイヌ語保存・継承の状況背景』,2,2013
- Bradley, D. 「Languages of Mainland South-East Asia (2007) In O. Miyaoka, O. Sakiyama, and M. E. Krauss (eds.), The vanishing languages of the Pacific Rim,」 pp. 301–336. Oxford Linguistics. Oxford: Oxford University Press.