「雪は天から送られた手紙である」。有名なこの言葉で知られる中谷宇吉郎氏は、世界で初めて北大で人工的に雪の結晶を作ることに成功しました。この功績をきっかけに昭和16年に創設されたのが「低温科学研究所」。以来,雪氷学や低温生物学の分野で発展を遂げ,北海道大学の顔ともいうべき研究所です。
現在の研究部門は、大きく分けて、水・物質循環部門、雪氷新領域部門、生物環境部門の3つと、3部門を横断する共同研究推進部があります。
この研究所の中に、マイナス50℃という超低温室があります。ここを管理している、研究支援推進員の斎藤 健(さいとう・たけし)さんにお話を伺いました。
研究支援推進員の仕事内容を教えて下さい
私は現在、雪氷新領域部門、氷河氷床グループのスタッフとして、南極で採掘されたアイスコア(氷柱)サンプルの管理をしています。
研究者からサンプルのオーダーがあれば、アイスコア全体を管理している国立極地研究所(東京)に申請をだすなど調整をし、オーダーに応じてサンプルを作ります。薄くスライスしたものや10cmほどの長さのものなど、いろいろ切り出します。
また、共同研究部門のスタッフも兼任しているので、来訪者の対応などアウトリーチ活動も担っています。
研究所で働くようになったきっかけは?
実は、2回南極に行っているんです。1回目は1993年~1995年、第35次南極越冬隊に参加しました。その時は、建築士として、ドームふじの建設とアイスコア掘削に携わりました。その時、北大の本堂先生(現:理事・副学長)と出会ったのがきっかけで、帰国後1996年からここで働いています。その後、2006年~2007年の第47次越冬隊として調査研究に参加しました。
ドームふじとは?
南極では、アメリカ、ロシア、フランスなどが、古くは1968年からアイスコアの掘削を行っています。日本の研究グループでは、1995年から掘削を始めたのですが、平均気温がマイナス50℃を下回る南極で掘削作業をするには、近くに基地を設ける必要があります。そこで建てられたのが、「ドームふじ」です。
ドームふじは、みなさんがご存知の昭和基地から1,000km程の場所にあります。1,000kmというと、札幌から名古屋くらいまででしょうか。しかも標高が富士山よりも高い、3,810メートルの位置にあって、南極で最も氷が厚い場所でもあります。そんな高い場所ですから、当然酸素も薄い。でも慣れるものです。
アイスコアはどうやって掘削するんですか?
氷の中を10mもの長さがあるドリルで掘り進めるのですが、氷の穴の中は、縮まろうとする圧力が働いているので、不凍液を注入しつつ、1回に2m程度しか進められません。コツコツと繰り返し掘り進め、2年かけて2,500mまで掘ったところで、ドリルが動かなくなってしまい、1回目の掘削は断念しました。その後、再度チャレンジし、3年かけて、2006年に3,028メートルの深さにある約100万年前のアイスコアを取りだすことに成功したんです。
300mもの長さのコアが採れた時には感動しましたよ。寒いからさすがにガッツポーズはしなかったけど(笑)。
もともとの専門、建築に戻りたいですか?
いいえ、もう氷床コアに愛着がわいてますから。採取の現場を知っている分、このコアがどれだけ貴重なものか良くわかっています。だからこそ、ここでの管理にも気を配っています。
いよいよ超低温室に向かいます。「100万年前の氷を管理する、超低温室(後編)」へ続く