写真のまん中(左から3人目)に写っているのは、中谷宇吉郎。「雪は天から送られた手紙である」という名句を残し、雪の研究で知られています。
1940(昭和15)年ころに撮影されたこの写真。全員、理学部物理学科の教授たちです。教授とはいえ、みんな40歳前後。なんと若いことでしょう。
右端手前に写る池田芳郎は、理学部教授となる前、工学部の教授でした。東京帝国大学を卒業したあと、なんと29歳で北海道帝国大学工学部の教授に迎えられたのです。そして理学部ができるにあたり(35歳のとき)、工学部から理学部に異動しました。
1876(明治9)年に開校した札幌農学校は、その後、医学部を加えて北海道帝国大学となり、さらに工学部、理学部と、学部を増やしていきます。そして新しい学部をつくる時はいつも、東京や京都から、若くて優秀な人材を教授に迎えたのです。
写真の場所は、理学部の南側、いま「エルムの森」と呼ばれているあたりです。右手奥のほうに、桜が満開です。春の陽気につられてか、芝生のうえでくつろぐ若き教授たち。当時の大学の、はつらつとした雰囲気が偲ばれます。
北海道大学には、「大学文書館」があります。北海道大学の歴史にかかわる資料を収集し、多くの人たちが利用できるよう整理し保存する活動をしているのです。上の写真も、その大学文書館に保存されている数多くの資料の一つです。
大学文書館のオフィスがあるのは、附属図書館の建物の4階。エレベーターを降りると大きな看板が出迎えてくれます。北海道大学雨竜研究林の ホオノキ に彫ったものだそうです。
二人の専任の館員が、学内外からの問い合せに対応しつつ、調査・研究も進めています。
「この写真に写っている、中谷宇吉郎以外の方の名前を教えていただけますか」と尋ねたところ、翌日にはメールで回答が届きました。
横向きの姿からでも、誰だかわかるんですね。さすが、プロフェッショナル。
資料の多くは、学内の別の場所にある、8つの部屋に保管されています。貴重な資料が多くあり、海外の研究者からも注目を集めています。私たちが訪れたときも、ハーバード大学で科学史学を専攻する大学院生が、博士論文のための調査に来ていました。
建物内にひっそり居を構える、地味な存在ですが、国際的に貢献しているのですね。
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最後に、写真に写っている5人の教授たちの名前と、その後の活躍などを紹介しておきましょう(左から円陣に沿って順に)。
梅田 魁:素粒子物理学の分野で先端的な研究を行ない、のち東京理科大学教授となる。
堀 健夫:分光学の研究者。のち2度にわたり低温研究所の所長も務める。第三高等学校(京都)の物理学の授業で、湯川秀樹や朝永振一郎を教えたこともある。妻は、朝永振一郎の姉。
中谷宇吉郎:雪の結晶についての研究で、1941(昭和16)年に帝国学士院賞を受賞。戦後は氷も研究。科学随筆も数多く著わした。
茅 誠司:強磁性体の研究者。1942(昭和17)年に帝国学士院賞受賞。戦後は、東京大学総長や日本学術会議会長などを歴任。
池田芳郎:漂砂(波や水流によって起きる砂の移動)の研究を進めた。のち防衛大学校教授となる。
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この記事の最初に掲載した写真は、北海道大学大学文書館所蔵の 堀健夫旧蔵写真「北大理学部南の芝生の上にて」です。