#43 少年ジャンプ連載作家に聞く、水産学部で学んだこと権平ひつじさん(漫画家)

現在、「週刊少年ジャンプ」で絶賛連載中の『夜桜さんちの大作戦』。2022年に連載3周年を迎え、11月時点の全世界累計発行部数は150万部を突破。大人気のスパイバトルコメディ漫画ですが、実はその作者、権平ひつじさんが北大のOBであることはご存じでしょうか。2014年に北大水産学部を卒業し、漫画家の道へ進んだ異色の経歴。大学では何を学び、漫画制作にどう活かしたか。一問一答でインタビューしました。

【江口 剛・CoSTEP本科生/水産科学院博士2年】【取材協力:集英社】

(最新15巻と権平ひつじさん近影)
将来の夢は「漫画家」ではなく「海洋学者」だった
なぜ水産学部から漫画家という進路を選ばれたのでしょうか

実は入学したばかりの頃、漫画家になるつもりは全くありませんでした。

なかったのですか!?

趣味でノートに漫画を描くことはありましたが、漫画家の素質が自分にあるとはとても思えませんでした。実際、小さい頃の夢は海洋学者です。昔から虫や植物が好きでしたが、特に海の生き物が大好きで。小学生の時にはじめてパソコンで描いた絵もミノカサゴでした。Windowsのペイントで描き、フロッピーに保存して…さすがにもうなくしましたが(笑)。

子どもの頃から生き物好きですね。

とりわけ深海生物は本当に素敵です。特にコウモリダコ。青い瞳、足を開いたときの傘のような優雅さ。「地獄の吸血鬼イカ」という意味の学名もおしゃれですね。実は『夜桜さん』の7巻コミックスカバーの裏表紙にも描いています。

(7巻の裏表紙にはコウモリダコの姿が)

大好きな海の生き物を勉強できると思うとわくわくして、高校時代から水産学部に行きたい気持ちが高まりました。北大なら大好きな漫画『動物のお医者さん』の舞台として知っていましたし、実家から自転車で通えるほど近いので。のちに水産学部生は進級途中で札幌から函館キャンパスに移行することを知り一瞬ためらいましたが、もう受験間近だったので「まあいいや」と腹をくくりました。漁師の祖父が函館出身だったことも後押ししたように思います。

では、漫画家を目指し始めたきっかけは。

大学1年の後期の頃に「試さずに諦めるよりは一度試してから諦めた方がいいかな」と思い立ち、ジャンプの月例賞に応募しました1)。数カ月経って出したことすら忘れた頃、一本の電話が入りまして。留守録に切り替わり「週刊少年ジャンプ編集部の…」という声が聞こえた瞬間、一気に思い出して急いで受話器を取りました。当時は東京の市外局番が03から始まることすら知らず、「迷惑電話だろうな」と呼び鈴を聞き流していたので……ものすごく慌てましたね。佳作を受賞した旨や担当がつくことを聞きながら、混乱して腰が抜けたまま受け答えした記憶です

19歳の時に初投稿で初受賞。人生最大の転機ですね。

漫画家になるなんて絶対ありえないと思っていたのが「もうちょっと試していいかも」と考えるようになりました。それから複数の読み切りや連載を経ましたが、いまだに自分が漫画家だと信じられず、時おり変な夢を見ている感覚になります。ただ、今思うと僕の頭じゃ学者になれないと在学中に痛感したので、漫画家を選んで良かったなとホッとしています。

(当時の水産学部の大講義室。授業前に早く来てネーム作業をするため一番乗りも多かったそう)〈写真提供:権平ひつじさん〉
水産学部では実験や実習も多いかと思います。大学生活と執筆活動、どう両立させましたか。

両立自体はあまり難しくなかったです。人付き合いが苦手なので、時間はわりと余ってました。

例えば1年生の楡陵祭の時にクラスのTシャツデザインを担当したのですが、それがデザイン賞を受賞し副賞として約50人前のジンギスカンを頂いたことがありました。それで皆がジンパ(ジンギスカンパーティー)を開くからと誘ってくれたのですが、ほぼ話したことがなく。優しい人達だから内気な僕がいたら気を遣わせちゃうと思うとしんどくなり……丁重にお断りしました。そんな具合で友人は少なく恋愛とも無縁の大学生だったので、漫画制作の時間は悲しくなるくらいあったと思います(笑)。

授業料免除や給付型の奨学金のおかげで、アルバイトせずやりたいことに打ち込めた点も大きいですね。原稿料も貴重な収入源でした。ですが何より大きいのが、大学時代に出会った方々の誰もが優しくサポートしてくださったことです。

周囲のサポートですか。

遊ぶ友人こそ研究室の同期や先輩ぐらいと少ないものの、多くの人に支えられて研究と漫画を両立できました。あまり面識のない同期も漫画の感想を伝えてくれたり、サークルのライブに呼んでくれたり。大学の事務職員の方々も優しく、選りすぐりの漫画コレクションをプレゼントして下さる方もいました。

研究室の嵯峨直恆教授(さが・なおつね、現:名誉教授)や宇治利樹先生(うじ・としき、現:助教)の理解も大きかったです。たまに研究室の机でこっそりネーム作業をしていても目をつぶって下さいました。今思うと本当に申し訳ない限りです…。

(在学中も研究室でネーム作業。本棚の漫画は事務職員からの頂き物だとか)〈写真提供:権平ひつじさん〉

卒業論文でも宇治先生が付きっきりで面倒を見て下さって。「若手研究者も漫画家みたく将来への不安を抱えながらの仕事だから、少し気持ちがわかるよ」と、よく実験の傍ら親身に話して下さいました。

卒論テーマは海藻のストレス耐性、大学卒業後も研究生活
卒業論文はどのようなテーマで研究していましたか。

海苔の原料であるスサビノリのストレス耐性遺伝子についてです。ノリの生育環境が暑かったり栄養が少なかったりしてストレスがかかる時、遺伝子の発現にどう影響するか調べていました。

地道な作業をひたすら繰り返してデータを取ってましたね。パーティクルガンで細胞にDNAを入れて、PCRにかけて、電気泳動で確認して……友達とビーカーやフラスコを洗ったり、オートクレーブで滅菌する日々も全て楽しい思い出です

(スサビノリを特定環境下で育成し、遺伝子発現を調べる実験)〈写真提供:権平ひつじさん〉
楽しかった研究生活、大学院進学という道もあったのでしょうか。

大学4年の頃には既にジャンプ本誌に読み切り2)を載せたりと漫画家への道が固まりつつあったので、研究が楽しいとはいえ学部での卒業は決めていました。そんな折、宇治先生のご厚意で研究のお手伝いを少しさせて頂くことに。卒業した後も研究生として2ヵ月ほど大学に残り、院に進学した友達や先生と一緒に研究できたことはとても楽しく、本当に恵まれていたと思います。

(大学3年の冬、ジャンプ本誌での初読み切り『こっくり屋ぁい!』のカラー原稿作業)〈写真提供:権平ひつじさん〉

自分よりずっと凄くて尊敬できる方々に出会えた経験は漫画にも良い影響でした。それこそ小さい頃、僕は身の回りで誰よりも生き物に詳しい自信がありました。でもいざ水産学部に入ったら、僕より様々な魚を知っている人、自宅に大量の水槽を置いて生き物を飼育する人、さらには海鳥を遠目の姿や鳴き声だけで正確に種を同定できる人など…もう比べるのもおこがましいほど生き物ハカセがいっぱいいて。どんな分野にも素晴らしい人が沢山いると実感し、今の仕事にひたむきに臨むうえで大切な経験になりました。

あとものすごく変わった人が多かったので……漫画のキャラ作りに多少影響したかもしれません(笑)。

(いろんな研究室のホワイトボードに落書きしていた権平さん。教授自ら赤字で補足を入れてくれることもあったとか)〈写真提供:権平ひつじさん〉
海の生き物が後押しする、荒唐無稽な物語
漫画制作において、水産学部の経験が活かせたと思う瞬間はありますか。

やっぱり大学で学んだ経験は、科学ネタ的な語りを漫画に入れる時にすごく助かっています。ただ、間違った内容や嘘ばかり描いているので「いつか怒られるんじゃないかな」と少し不安です…(笑)。

例えば『夜桜さん』の第74話で海洋大循環を利用するような説明があります。けどアレも本来、千年単位の現象と習いました。数年で沿岸諸国をくまなく網羅できる海流なんておそらく存在しません。そういったデタラメを本当っぽく妄想して描くのは結構楽しいですね。

(第74話のワンシーン。敵幹部の計画が明らかになる緊迫したシーンですが…)〈画像提供:集英社〉
確かに、海洋学の授業で習いました。

海洋大循環や春季ブルーム3)のような、温度や塩分、風といった様々な要因によって有機物や栄養塩がぐるぐる巡り、生き物が育まれる。精密で面白い機械の歯車みたいで「地球ってうまくできてるな~」と何となく嬉しくなります。ほかにも以前読み切りで描いた『幻獣医トテク』4)という作品では、遊び要素として架空の生き物に学名を付けていました。せっかくなら属名と種小名だけじゃなく、大学で勉強した亜属の概念とかも取り入れたら面白かったかもしれません。

大学で得た知識が漫画での「リアリティ」を生み出しているのですね。

SF映画とかでも「空気が無いのに音が聞こえる宇宙」や「水分が多く燃えないはずの畑で大火事」がありますよね。そういうSF要素を拙くても自分なりに描きたいです。何より海の中には、鉄の鱗を持つウロコフネタマガイや、ガラス質の骨格をしたカイロウドウケツ、不死と呼ばれるベニクラゲなど漫画みたいな生き物がいっぱいいます。僕の想像力なんかより現実はずっと広くて深い確信があるから、荒唐無稽な架空の物語も臆せずに作れるのかもしれません。

あと『夜桜さん』であった水産らしさは……第39話の水族館デートが一番それっぽいかもですね。この時はサラサラとネームが進みました(笑)。

(第39話のワンシーン。生き物のウンチクがズラリ)〈画像提供:集英社〉

ちなみに逆のケースですが、漫画を描く技術が大学で役に立った瞬間もあります。写真は授業であったクロソイの標本スケッチで、漫画を描く技術がこれ以上ないほど活きました。大学の授業では一番楽な時間だったと思います。

(クロソイのスケッチ。細やかな点描で表現されています)〈写真提供:権平ひつじさん〉
権平さんにとって、北大とはどんな場所でしたか。

適切じゃないかもしれませんが、札幌キャンパスは今も昔も大きくて楽しい地元の公園のイメージです。あと東京に引っ越してから様々な博物館に行きましたが、改めて函館キャンパスにある水産科学館の資料の素晴らしさを実感しました。もっと広く知れ渡ってほしいといつも思います。

今でも水産学部時代が懐かしくなった時は、YouTubeでバランスドオーシャン5)や水産科学院の動画を拝見しています。僕が乗った時の実習船「おしょろ丸」は4代目でした。数キロ先で見たクジラのジャンプは今でも目に焼き付いてますし、海洋深層水に触れた時の痛いくらいの冷たさや、釣りたてのイカで作ったイカそうめんの美味しさも覚えています。最近は「5代目おしょろ丸もかっこいいなー」とか思いながら見てますね(笑)。

最後に、学生に向けメッセージをお願いします。

この仕事をしていると、他の漫画家さんも編集者さんも個性的で面白い方ばかりですが、大学で出会った学生や教員、関係者の方々も引けを取らないくらい面白い方ばかりでした。きっといい出会いや気づきが沢山あると思います。人生の中で時間や行動の自由度が最も高い時期だと思うので、ぜひ伸び伸びと過ごして下さい。

あと最後に、もしお暇があれば僕の漫画を手に取ってみて頂けると嬉しいです。


編集後記:塩分濃度と塩分の話

「水産の卒業生がジャンプで連載しているらしい」。北大水産の学生間でよく話題にあがる噂話です。実際に権平さんからお話を伺うと「本当に卒業生なんだ」と実感する瞬間が何度もありました。

例えば海洋大循環のくだりで権平さんは「温度や塩分、風といった~~」とお話しています。「塩分濃度」ではなく「塩分」です。

というのも、海洋学において「塩分濃度」は使いません。「塩分」は「塩の濃度」を意味するので、「塩分濃度」だと「塩の濃度の濃度」という意味になってしまうからです。権平さんは半ば無意識でのご返答だったと思いますが、水産学部で学んだことが強く息づいていた瞬間でした。

なお今回の取材は『夜桜さん』連載3周年を迎えたばかりの非常に多忙な時期であったにも関わらず「多くの方々にお世話になったので、少しでもお役に立てるのならば」とご快諾頂きました。

権平さん、改めてありがとうございました!

権平ひつじ

北海道出身。小学生の頃の夢は海洋学者や天文学者。気象予報士に憧れた時期もあり、試験用の教材を購入するも物理が苦手で断念。教材は将来の楽しみとして捨てずに保管している。

2011年に第43回JUMPトレジャー新人漫画賞に『IBIS』を初投稿し佳作を受賞。同年に『少年ジャンプNEXT!』にて『チャコの脱獄論』を、翌2012年『機械仕掛けの神父様』を掲載。2013年に読切『こっくり屋ぁい!』で『週刊少年ジャンプ』の本誌掲載デビューを果たす。

2014年3月に北海道大学水産学部を卒業。卒業後も2カ月ほど海藻の研究を手伝うも、その後は漫画制作に専念。2015年に『幻獣医トテク』をジャンプ本誌に掲載,第10回金未来杯にてグランプリを受賞する。2017年には魔界王子の人間界外遊コメディ『ポロの留学記』(全2巻)でジャンプの本誌連載デビューを果たし、2019年から家族愛を描いたスパイバトルコメディ『夜桜さんちの大作戦』を連載開始。現在も絶賛連載中であり、2022年11月時点で既刊15巻。

趣味は生物標本の収集で、特にカイロウドウケツのアクリル封入標本がお気に入り。在学時には北大の水産科学館用の展示パネル「北海道昆布分布図」を作成した。水産科学館によると「現在は展示していないが、倉庫に保管している」という。

  1. IBIS』権平さんの初投稿作。空を飛び子どもを届ける仕事「コウノトリ」と家族愛を描いた作品。第43回JUMPトレジャー新人漫画賞で2011年に佳作受賞。
  2. 『こっくり屋ぁい!』週刊少年ジャンプ2013年12号に掲載した読み切り作品。狐のこっくりさんと不良少年との友情を描いた、ジャンプ本誌への掲載デビュー作品。
  3. 春になって日差しが強くなり、海面が温められることで起きる植物プランクトンの大増殖。
  4. 『幻獣医トテク』週刊少年ジャンプ2015年39号に掲載した読み切り作品。第10回ジャンプ金未来杯でグランプリ受賞。架空の生物に学名が付けられており、人狼ならHomo lupus、スライムならAmoeba multus、ドラゴンならDraco deinusと名付けている。
  5. 北大が提供する海の分野に関するオンライン型の教育プログラム。Youtubeでの動画教材チャンネルのほか、教育システムのMoodleを用いたeラーニング教材を公開している。