風が強い。建物を覆うように垂れ下がっている巨大な幕が、生き物みたいに波打っている。そこにこそ巨大な心臓があるというように、筆で書かれた文字たちが大きく大きく拍動している。
「始まる」
集団の中の誰かが、大海に一滴を落とすように、言った。
すると、地上にいる人たちが、自分の両隣の人と肩を組み始めた。それに従っていないのは、与志樹たち四人ぐらいだった。
寮歌「都ぞ弥生」。その大合唱が、年に一度のストームが、いよいよ始まる。
朝井リョウ『死にがいをもとめて生きているの』初出2016-2018(中公文庫版2022, pp332-333)
「物語の中の北大」第2回は『死にがいを求めて生きているの』から。全10編のうち2編は、ジンパ禁止問題や恵迪寮自治問題が渦巻く中、何かを成したいともがく北大経済学部2年の安藤与志樹を中心とした物語となっています。
与志樹は1年生時、北大祭での出来事に大きな影響を受けます。そして本編のラスト14ページに費やされているのが、その翌年の「一万人の都ぞ弥生」です。校歌「永遠の幸」から始まる式の手順だけではなく、応援団員の装束や太鼓の位置までが描写されています。
物語の舞台は2010年代初頭。平成の始めに生まれた若者たちの苦悩を描いています。それから10年がたちました。今年2023年のストームに加わっている学生たちの爆発的なエネルギーを目の当たりにすると、一見、苦悩とは無縁のようですが、その胸中や如何に。人の心には、時代によって変わる部分もありつつも、変わらぬ何かがある、繋がりうるものがある。そう思わせてくれるのが、かつて学生だった者たちも加わる「一万人の都ぞ弥生」なのです。