北大祭は北大生だけでなく、市民やOB/OGなど多くの人が来場するイベントです。なんと今年の入場者は12万人だったそうです。様々な人が北大を訪れる機会だからこそ、今、みんなで考えたい「貧困」と「飢餓」について研究者と語り合う、小さなイベントが開催されました。
夜のパン屋さん★札幌での出会い

夜のパン屋さん★札幌は、北大の18条門を出てすぐの本屋「Seesaw Books」で開催されています。多くの北大生がパンを購入したり、活動を手伝ったりしています。北大祭の実行委員の佐藤珠稀さん(農学部 2年生)もその一人。北大祭を機に、フードロスと飢餓の関係を考えたいと、夜のパン屋さん★札幌を主催する三上敦さんに声をかけました。そこからこの食の学校 in 北大祭の企画が始まりました。

この問題を考えるための話題提供として、アフリカの飢餓と貧困について国際政治学の観点から研究する鍋島孝子さん(メディアコミュニケーション研究院/ 国際食資源学院 教授)と、日本の貧困と隠れた飢餓について研究する佐々木宏さん(教育学院 教授)をゲストに迎え、飢餓の構造から私たちができる第一歩まで考えていきました。
アフリカの飢餓の問題は政治の問題!?
世界では8億人の人が飢えている、その多くがアフリカの人々です。なぜアフリカには飢餓が多いのか?鍋島さんは政治学の観点からこの問題を考えていきます。

元々、アフリカは共同体で食料を自給自足する社会でした。そして共同体は中央集権的なヒエラルキーがあるわけではなく、身分制、血縁、ジェンダーが複雑に絡み合った分節的社会を形成していました。制度や法律が確立されていない流動的なこの社会は、外圧に弱かったと鍋島さんは語ります。
帝国主義政策によって植民地化されるとアフリカの自給自足システムは崩れてしまいました。その後、アフリカではヨーロッパ市場向けの特定作物を生産する「モノカルチャー経済」が導入されました。コーヒーやピーナッツ、つまり自分たちの日々口にする食べ物以外の作物だけを作ることで、不作の際には一気に飢饉に陥るという脆弱な食料システムが出来上がってしまったのです。
植民地支配から独立しても、アフリカの政治的混乱は収まりませんでした。独立戦争や冷戦期の代理戦争などによる紛争は、農業に必要な労働力、食料を運搬するインフラなど食料生産システム全体を破壊していきました。飢餓を回避しようととられた農業の集団化や強制移住といった戦略も、現場の実情に合わず、人々の労働意欲を削いでいきました。
1990年代には、経済の新自由主義を推し進めるIMF・世銀による構造調整がアフリカの国内産業に打撃を与えました。その結果、農村は疲弊し、職を失った人々が都市に流入するようになります。さらにこれらの負のループによって問題が複雑に絡み合った結果、今なお飢餓が続いている、と鍋島さんは語ります。先進国による土地収奪、化学肥料への依存、気候変動、教育機会の欠如、紛争による子ども兵、インフラ不足、仲介業者による搾取、政府の腐敗など、飢餓は政治、歴史、文化が複雑に絡み合った複合的な問題なのです。
なぜ先進国で飢餓が生まれるのか?
さて、日本では統計上、極度な貧困ラインの人がほとんどいません。では本当に日本には貧困や飢餓の問題はないのでしょうか。世界銀行が定める国際的な「極度の貧困」(最低限の衣食住を満たすお金がない状態)の基準は、1日あたり3ドル未満です。日本円にして約480円、1か月で1万5千円ほど。しかし日本の物価に合わせると、1か月最低7万円ぐらいないと生活ができないと考えられています。

さらにこれは衣食住だけの話です。19世紀、イギリスで貧困の研究を先駆けて行ったシーボーム・ラウントリーは、人はパンのみに生きるにあらずという部分を強調しています。私たちの暮らしには、活動のための移動、情報へのアクセス、社会参加、人間関係の維持など衣食住だけではない活動があり、そこには当然お金がかかってきます。人間として暮らすためのお金が足りなくなった時、人は食を切り詰めていきます。人間として暮らすためのお金は決して贅沢ではなく、食と同等に大切な支出なのです。こうした人間らしい生活を満たすために必要なお金は今の日本では月15~20万円くらいだと試算されています。そして人口の約10%〜20%(1000万人以上)が、人間らしい生活を送るための経済的資源を持たない水準で生活しているとされています。
佐々木さんは、食の頻度を少なくしたり栄養バランスが偏る「欠食」という状態が日本の食の問題にはあると話します。また「欠食」は金銭的な理由からだけではなく、地方の買い物難民や多忙など様々な理由で生まれるそうです。先進国であっても、潜在的な飢餓、相対的な貧困が存在するのです。
私たちが向き合う問題として
話題提供の後はフロアと共にこの問題を考えていきました。例えば、貧困の個別性と「見えにくさ」。「8億人」「1000万人」といった数字の裏には、一人ひとりの異なる事情があります。また一括りに弱者だと見なされたくない、当事者自身が「貧困だと知られたくない」という心理も、問題を「見えにくく」しているのではないかという意見が上がりました。
鍋島さんはアフリカの少女の写真を見せてくれました。もしも彼女にお金をねだられたとき、あなたはお金をあげますか?と鍋島さんは問いかけます。お金をあげてもそのお金は彼女を働かせている大人に搾取されます。一方、お金をあげなければ、彼女はその日は何も食べられず、大人にぶたれるでしょう。これは支援のジレンマです。当座の援助では社会経済の構造は解決しないけれども、その場しのぎのわずかな金額もなければその人が今困ります。佐々木さんは「魚を与えるか(食料支援)、釣り方を教えるか(自立支援)」という議論は貧困研究ではよく語られるジレンマだといいます。ただ、どちらも必要であり、まずは生存基盤を確保した上で長期的な解決策を考えるべきと語ります。

支援は上から目線でもちぐはぐな支援になってしまいます。当事者の主体性、プライド、そして本当に困っていることは何かということを見極めなければ、自分たちが行ったことが裏目に出てしまう。アフリカで様々な農業政策が行われては失敗してきた現場を見てきた鍋島さんは、現場の実態を把握しない農業政策の非実現性について指摘します。佐々木さんは支援を押し付けることはできないが待つことはできると語ります。
そのためには、私たちにできることは、微力ながらも関心と想像力を持ち続けることかもしれません。華やかな北大祭の中でこのテーマのイベントに足を運んでくれた来場者は、まず関心があったということ。その関心を持ち続け、貧困問題を「自分ごと」として捉え、他者の状況に興味と想像力を働かせてみることも大切な一歩です。
ぜひ今日の話を家族や友人と共有してみてください、と鍋島さんは語ります。共感の輪を広げることこそ、この複雑で大きな問題を解決する足掛かりとなるのです。最後に三上さんから佐々木さんの書籍の一文が紹介されました。貧困の問題はジレンマを伴う問題です。それを見ないふりをするのでもなく、二律背反のどちらかを選択するのでもなく、そのジレンマを引き受けることこそ重要だ、という個所を三上さんは読み上げました。北大では課題を解決するだけでなく、解決できない問題に踏みとどまって考え続ける研究もあるのです。