高校卒業後、戦前~戦後にかけて研究所技手として北大で勤務した稚内出身の画家・因藤壽(いんどう・ひさし、1925-2009)。
因藤が北大で過ごした時間をヒントに現在の北大を探検していくのが、ミニシリーズ[因藤壽と北大]です。
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前回の記事では、因藤が北大の現・電子科学研究所(以下、電子研)を去ったあと、21世紀に入って新設された電子研の建物を訪れました。
そのなかに設置された電子研図書館には、因藤が自ら書いた回顧文を含む『北海道大学応用電気研究所50年小史』(1992)などの書籍群が収蔵されていました。
📄[因藤壽と北大]002 – 電子科学研究所へ行こう!~北キャンパス編~
因藤が電子研の研究所小史に寄稿した回顧文「超短波研究室~応用電気研究所 その戦中戦後の思い出から」(1992)は、現代ではひらがなで書く単語を漢字で書いていたり、言い回しも今では一般的に使われることのないレトロなものだったりして、読もうとしたとき少々歯応えを感じるところがあります。
ですが的確に推敲されたふうの文章の仕上がり、端的な表現、そして過去の同僚たちは言葉にして残そうとしない繊細な事柄も果敢に執筆してみせようとする真摯な態度には、因藤がその絵と同じく文章にも手練れの技術を発揮していたことがにじみ出ています。
というわけで、因藤が書いた文章を少し振り返ってみましょう。
今回取り上げるのは、因藤が研究所小史発行の翌年、68歳ごろに書いた制作論「私の制作に於ける下層上層の関係」です。
(*以下、引用は特筆がない限り同論より。)

「私の制作に於ける下層上層の関係」(1993)*1
「私の制作に於ける下層上層の関係」は、晩年の画家による自身の制作論といえるテクストです。
同論が掲載された冊子『ACRYLART』は、絵具メーカーとして知られるホルベイン工業株式会社によって発行されたもの。ホルベイン・アクリラ奨学制度の奨学者向け通信誌として、1986年8月から2000年4月まで発行されました。
同社によると、「当時まだ新しい素材であったアクリル絵具を中心に、多くのインタビューやレポートを掲載しながら素材と作家の未来について発信するべく」*2 製作されたということです。
この冊子内の企画「Underpainting 下層部の工夫から上層部の発展」で、因藤は画家・鏑木昌弥とともに、執筆者として1ページずつ寄稿しています。
あるひとつの作品の制作プロセスをつれづれなるままに書き留めた制作メモ的エッセイを提出した鏑木とは対照的に、因藤は制作を志した青年期の自筆ノートにまでさかのぼり、より総括的な制作思考をまとめようとしたようです。
構成を追いながら内容をまとめてみましょう。
序盤は企画の趣旨にあわせて、自作品のキャンバスや絵具といった物理的層構造と、制作のもとになるデッサンや作図、構想といったアイディア上の層構造について説明されていきます。因藤の黒っぽいモノクロ絵画は、何層ものジェッソを塗ったり削ったりして凹凸をつけ、その上から透明な紫色のうすい絵具層を何十と重ねて達成されていることでよく知られているので、このあたりはよく納得できます。
やがて、この制作スタイルに至った経緯を述べる段で、因藤は1956年にモノクロ絵画を始めたころにしたためた自筆ノートを引用しはじめます。いわく、その当時から、因藤の制作は「人間、生、存在、其の本質本性本源なるものを探り、その玄なる処を求めると言う事を其の第一義として来た」といいます。
しかしなぜそんなことを考えるようになったのか?因藤は続けて、この思想の「基盤たる下層構造」を構成したのは二つの要因に違いないと述べます。その二つとは、「一兵士としてのかつての復員時の体験、及びその前後に於ける北海道大学・応用電気研究所での研究生活の中に得た体験である」。
一つ目については、因藤の広島配属直前に原爆投下があり、奇跡的に「生かされた」と感じて全身に感動を覚えたということです。これが因藤にとって「戦後の総て」の起点となりました。
二つ目については、少々説明が複雑です。
直接因藤の言葉で読んでみましょう。
次いで前記研究所での超短波微電界の絶対測定法の研究実験中に体験した「場」の意識、其の見得ざるもの、触れ得ざる存在への開眼、それに連なる自然宇宙存在の持つ深々とした秘性に対する覚醒は、私をして一種の畏怖畏敬の中に立たしめる処となった。又前記研究の実験式の演算中、それが暫時整理簡潔化されて来た時、其処に思わず「美しい」との美的感覚を覚えた事を含み、其処に学んだ自然科学的思考、態度や、戦時中の電波兵器の研究実験中に体得した、モノの裏表、其の内界、外界の意識、感覚等、私の単色系の制作の直接的誘因となったものを含めて、現在に続く私の制作活動に対し、深く鞏固(きょうこ)な基盤としての、その替え難き下層構造を成しているのである。
美術に無縁だった科学者が、あるときその「彼方なるもの、命の奥底より語りかけ問いかけてくるもの」にいざなわれて、制作の世界に入っていったこと。そこから始まった自らの制作人生を因藤は「制作によって生かされて来た」とも「生の闘いである」とも表現します。この独特の表現からは、因藤にとって戦後の人生が、与えられたものでありながら毎日闘って勝ち取るものでもある、という恐ろしいまでの特別感を帯びていることが伺えます。
因藤はそんな日々のなかでつくられる自分の作品を、生や人間性への問いという下層から押し上げられて上層へ浮かんでくるものでもあり、同時に、下層をよりあきらかにするべく上層をつくっていく側面もあるだろう、と言います。
省みて私の作品は〔…〕その下層なるものをより顕わに明らかにすべく、此の上層への歩みが在るように思われる。
つまり、建設中のビルを高層にすればするほどそれを支える地盤のクオリティを明らかにすることになるように、絵具を重ねれば重ねるほど、因藤絵画は自らの基礎構造を掘り下げていっている。たしかに因藤の使った紫の絵具が透明色であることを考えれば、それを塗り重ねることは、不透明色の層を重ねることによる下層の隠ぺいとは違う作業にみえてきます。それはむしろ、下層をよくみるためのレンズを葺いていくようなことだったのかもしれません。
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因藤壽を手がかりに現代の北大を冒険していく本シリーズ。
今回は北大で活動した科学者時代を振り返る因藤の制作論を読んでみました。
今後もアイディアを広げていこうと思っていますので、どうぞお楽しみに!
*1……因藤壽「私の制作に於ける下層上層の関係」、『ACRYLART』Vol. 21、ホルベイン工業株式会社、1993年6月20日、pp. 18-19
*2……「アクリラート/ACRYLART」、ホルベイン工業株式会社ウェブサイト内「資料室」
https://www.holbein.co.jp/resources/acrylart.html