6月10日は時の記念日です。現在の暦で671年のこの日、天智天皇が水時計を使って時刻を知らせたことが、日本書紀に記されています。札幌の時計といえば、190万都市の観光名所にもなっている、札幌市時計台です。今回は、時計台と北海道大学の歴史について調べてきました。
時計塔の設置
札幌市時計台の正式名称は「旧札幌農学校演武場」です。演武場は、1876(明治9)年に開校した札幌農学校の中央講堂として、1878(明治11)年に建設されました。当時の札幌の人口は3千人ほどだったそうです。演武場の完成当時には、時計塔はなく、講義の開始を知らせる小さな鐘楼が設置されていました。
時計塔の設置は、演武場の落成式に出席した黒田清隆開拓長官の鶴の一声で決まったといわれています。その完成は、3年後の1881(明治14)年でした。その澄んだ鐘の音を耳にする札幌の人々からは「農学校の大時計」として親しまれました。
重要文化財としての時計台
1903(明治36)年、札幌農学校は、校舎増築のため今の北海道大学の位置に移転しました。演武場と時計塔は、住民の強い希望により、そのまま残されることになり、時計台と呼ばれるようになりました。太陰暦から太陽暦への改暦(1872(明治5)年12月)をきっかけにして、明治期の日本では72の西洋式時計塔が建設されました。しかし、それらの時計塔の中で、今も当時の姿のまま時を刻んでいるのは、札幌市時計台だけなのです。時計台は、1970(昭和45)年には国の重要文化財に、2009(平成21)年には、稼働している国内最古の塔時計として、32番目の機械遺産に認定されています。
(吉村さんに案内をしていただきました)
今の時計台
時計台の内部は、札幌農学校と時計台の歴史を紹介する資料館になっています。吉村邦夫さん(札幌国際プラザ外国語ボランティアネットワーク)に、案内をしていただきました。高さ19メートルの5階建ての構造の時計塔には、錘の落下を動力にする、振り子時計が設置されています。時計の運針は正確で、明治21年には札幌の標準時に指定されたほどです。時計は、日々の手入れをかかさず、週2回人の手によって錘を巻き上げています。世界でも多くの塔時計が電動巻上げ装置に変わるなか、これは大変珍しいことだそうです。「ヨーロッパの塔時計の歴史が札幌で継承されている」と吉村さんは語ってくれました。
時計台は、明治の札幌農学校時代から札幌とともにありました。そして今も、未来へ時を刻み続けています。北海道大学の歴史とともに。
参考資料:
1) 鈴木水平原作・札幌市時計台外国語ボランティア編集『時計台のあゆみ〜創設から現在まで』
2) 札幌市時計台ウェブサイト