9月6日に発生した、北海道胆振東部地震。北海道の地域医療を支える北海道大学病院にもその影響は及びました。しかし、毎年実施されている災害対策訓練などの不断の努力によって改善を続けてきた結果、現場では指揮系統が乱れることなく、ライフラインも保たれ、大事には至りませんでした。
加えて、被災地の病院でありながら、災害派遣医療チーム「DMAT(Disaster Medical Assistance Team)」を派遣することもできました。今回、DMAT隊メンバー(村上壮一 助教/方波見謙一 助教/早坂光司 臨床検査技師/石川幸司 看護師・北海道科学大学 助教/山口仰 診療放射線技師/亀田拓人 診療放射線技師)に取材を行い、当日の様子とそこにいたるまでの軌跡についてお話を伺いました。
地震直後はどのような状態だったのでしょうか。
村上: 震度5強以上になると、招集がかかります。札幌市では北区をはじめ多くのエリアで5強を観測していましたので、病院に行く準備をしました。
方波見: 緊急時の対応はマニュアル化されていて、そこに自動参集基準が記載されています。基準以上になったら、スタッフは速やかに集まりしょうという取り決めが病院内にあります。それが震度5強です。DMAT隊で一番早く反応したのが私で、3時8分に地震が発生して、その4分後にはメンバーにLINEで連絡しました。その後、急いで病院へ向かいました。
村上: 災害時はLINEが一番強いですね。
病院では多くの医療機器が絶えず動いていますが、停電の影響はあったのでしょうか。
村上: 北大病院では非常用の電源を用意していて、自家発電だけで3日はもつようになっています。地震当日には2,000キロワットのものが2機動いていました。平時だと、およそ9,000キロワット使用するので、50%弱の供給ができていました。あくまで非常用ですね。
方波見: 通常の検査や手術は難しいと判断して、その日はやらないことにしました。
電源が確保できたのは大きいですね。水はどうだったのでしょうか。
村上: 電源があったので地下水を汲み上げることができました。それを使って、トイレを流せました。飲料水は備蓄の物を使いました。
患者数は普段より多かったのでしょうか。
村上: 患者数は普段通りでした。地震特有のケガで運ばれてきた人はほとんどいなかったと思います。ただ、札幌医科大学附属病院が手一杯だったということもあり、そこに行ったかもしれない患者が北大病院に来ていた可能性はありますね。
方波見: もちろん患者が増えた場合の準備はしていました。多くの患者が来た場合は院内の1階フロアに集められるようにしていました。結果的には普段と変わらない患者数だったので、使うことはありませんでした。
災害対策本部の壁一面に貼られている掲示物はなんですか。
方波見: クロノロジー(経時記録)といって、災害時にはこういうのを書いて記録しなさいという訓練を私たちは受けています。タイムライン形式で記録を残していくことで、誰がいつなにをしたのかといった現場の状況が把握しやすくなるんですね。また、記録はあとで振り返るための材料にもなります。今後も、これを見ながらスタッフ間で反省をしていくと思います。
緊急招集されてからずっと働き詰めだったかと思います。一区切りしたのはいつ頃だったのでしょうか。
方波見: 7日の15時に災害対策本部が解散して、ようやく一区切りつきました。しかし、さらにそこから北海道庁の要請があったので、DMAT隊として出ていきました。
早坂: 札幌医科大学に札幌医療圏の情報を統括する活動拠点があり、私たちDMAT隊は一時的にそちらの所属になりました。我々が参加した時点では、札幌市内の病院の状況を把握することが第一のミッションとなっていました。災害時の医療情報を司るシステム「EMIS(Emergency Medical Information System/広域災害救急医療情報システム)」に各チームで分担し確認できた情報をどんどん入力していきました。
本来は各病院の担当者自身で入力するものですが、緊急時ということもあり、私たちで病院に電話して現状を把握し、代行入力しました。連絡がつかない病院には、DMAT隊が直接訪ね、担当者に確認しました。それすらできない場合は外観だけ把握して帰ってくることもありました。そういった地道な活動を続けて、札幌医療圏の病院410弱の内、380ほどの病院を確認しました。DMAT隊としての活動を終えたのは9月9日で、地震発生から4日目のことでした。
北大病院では毎年9月頃に災害対策訓練をしていますが、訓練での経験は今回どういった形で役立ったと思われますか。
方波見: コマンド&コントロールの観点でとても役立ったと思います。災害時の医療現場では情報をどのように統制するかが大切で、それができてないと、みんな焦ってしまうばかりです。災害対策本部に情報をまとめて、部長は院長にして、命令をどう伝達して、といったイメージづくりを訓練の中でしておくことで、実際に災害に直面した場合にも焦らず対処することができます。
村上: 災害対策本部の立ち上げがすぐにできたことが大きかったですね。本部のできる場所が分かっていて、そこに人と物を集めるといった一連の動きが訓練で想定した通りにできました。
石川: 私たちの現場では、情報を制するものが災害を制するといわれています。情報の指揮命令系統を整理する意味でコマンド&コントロールは重要です。方波見先生がその方針でマネージメントしてくださったおかげで、私たちは院内の体制づくりをスムーズに進めることができ、情報を災害対策本部に効率的に集めることができました。
患者の状況以外にも、食料やライフライン、建物はどうなっているのかといった全体の情報を把握することができた結果、適切な指示出しへとつながりました。今回、北大病院の災害対策がうまくいった一番の要因だと思います。
北大病院のDMAT隊は2016年4月に発生した熊本地震に派遣されたと聞き及びました。そこでの経験は貴重なものだったと思います。具体的にどう活きていますか。
方波見: 熊本地震の派遣があったので、院内の体制を強化したり、スタッフを増やしたりといった準備ができました。あれがなかったら進まなかったと思います。それまで北大病院は災害時にDMAT隊を出していませんでした。というより、出すための準備が整っていなかったというのが正しいのかもしれません。熊本地震は北大病院として初めてDMAT隊を出すことができたので、その意味でははじまりといえますね。
石川: もうちょっと遡ると、2011 年の東日本大震災で、北大病院は医療班として活動はしましたが、十分な災害体制を整備できておらずDMAT隊は派遣していませんでした。その反省から災害体制を再構築するための作業部会を設け、準備を進めたことにより、熊本地震で派遣できたのは大きな一歩でした。そこからさらに DMAT 隊の訓練を重ね、院内の後方支援も強化しながら、この 2 年間でじっくりと準備してきた結果、今回の地震では比較的うまく対応できたのではないかと思います。
一つの目安として、病院が被災病院であるかどうかがあります。熊本地震ではDMAT隊を派遣することはできましたが、いくつか課題もありました。しかし、今回は被災病院であったにも関わらず、派遣することができたのは 2 年間の体制強化の大きな成果ですね。
今回の地震を通して、さらに改善できる部分が見えたのではないかと思います。具体的な構想がありましたら、教えていただけますか。
方波見: 地震発生の前日は強い台風が直撃していました。日本ではたくさんの災害が起こるので、災害専門の部署があってもいいのではないかと思います。日頃からそれくらい準備していないと、適切な対応ができない状況になってきていますね。それはすごく感じます。
石川: 国の教育方針が変わりつつあります。看護師の基礎教育の中にも災害時の対応について盛り込むよう、文部科学省や厚生労働省からいわれはじめています。北大病院は教育機関としての役割も担っていますから、その流れに合わせていくために、病院全体として整備していく必要がありますね。
国から激甚災害指定を受けるほどの大きな被害をもたらした北海道胆振東部地震。しかし、その中にあっても、北大病院はスタッフの不断の努力によって大事にはいたらず、無事に乗り越えることができました。その背景には、東日本大震災から少しづつ積み上げてきた体制づくりがありました。今回の地震から得られた課題を基に、現場ではさらなる改善が進んでいくことでしょう。
DMAT隊のみなさん、取材にご協力いただき誠にありがとうございました。そして、本当におつかれさまでした。