夢中になってシラーの詩に読み耽っていた園は、思いもよらぬ不安に襲われて詩集から眼を離して機械を見つめた。今まで安らかに単調に秒を刻んでいた歯車は、急に気息苦しそうにきしみ始めていた。と思う間もなく突然暗い物隅から細長い鉄製らしい棒が走り出て、眼の前の鐘を発矢と打った。狭い機械室の中は響きだけになった。園の身体は強い細かい空気の振動で四方から押さえつけられた。また打つ・・・・・・また打つ・・・・・・ちょうど十一。十一を打ちきると、あとにはまた歯車のきしむ音がしばらく続いて、それから元通りな規則正しい音に還った。
有島武郎『星座』1922(星座の会1989, pp21-22)
時計台の薄暗い鐘楼の中、静と動、静寂と轟音の鮮やかなコントラストを描く筆致は、読者を時計台にいるかのように錯覚させます。「物語の中の北大」第16回で紹介するのは、北大が生んだ文学者、有島武郎(1878-1923)の『星座』です。
本作は、札幌農学校の寄宿舎である白官舎に住む学生たちが学問や社会、異性に悩む、明治時代の青春群像劇です。引用した一節は、主要な登場人物の一人である生真面目で純粋な性格の園が、時計台の最上部である5階、鐘楼を一人で訪れる場面です。時に1899年5月4日11時。彼はこの場所で文学への憧れを捨て、科学へ進む決心をします。
『星座』には園のほかにも魅力的な学生たちが登場します。誰もが認める秀才ながら病床に伏す星野、社会主義に理想をみる野心家でがさつな西山、現実主義者で大酒呑みの偽悪者ガンベこと渡瀬、空想家の柿江、いつも帽子をかぶっている森村、どっちつかずの人見、熱心なクリスチャンの石岡。星野と渡瀬と園の、おぬいという女性をめぐる関係が本作の軸になっています。
今回引用した時計台は北海道大学の前身、札幌農学校の演武場として1878年に建設されました。時計塔部分は後に増築され1881年から現在まで運用されています。有島は札幌農学校予科に1896年に入り、翌年本科に進学した19期生です。園は有島とほぼ同世代で、有島自身を投影した人物と言えるでしょう。その有島は1923年に自殺をして世を去ったため、本作は未完のまま終わっていますが、その結末は、強い余韻を残し物語としてひとつの完結をみせるものとなっています。
札幌市のシンボルである時計台は文学的な想像力を喚起させるのでしょうか。本作以外にも時計台を描いた小説や随筆などがあり、あわせて7作品が1階展示室で紹介されています。園もその力に誘われてか時計台でシラーの詩集を読み、そして文学への思いを断ち切るため、詩集を時計台の機械室の梁の上に残して去りました。今もそこには彼の詩集があるのかもしれません。