森永乳業の別海工場では、クラフト社からフィラデルフィアの技術を導入して、地元、別海町の生乳でチーズを生産しています。そこで働く150人あまりの従業員を指揮している工場長の藤本雅久さん。2008年、13,900平方メートルの広さの土地に、フレッシュチーズの製造に特化した新工場を完成させるプロジェクトリーダーも務めました。現在、家庭用フレッシュモッツァレラチーズの製造では国内のシェア60%を占める重要な拠点となっています。その藤本さんから学部1年生へのメッセージを一部紹介しましょう。
〔内容は掲載当時のものです〕
未来の新しい、そして北海道のチーズをつくりたい!
2008年に、フレッシュチーズの製造に特化した新工場の建設プロジェクトに関わりました。国内外から集められた約300人のスタッフと一緒に「北海道で新しいチーズをつくる!」というスローガンのもと、事業をスタート、現在のライン稼働に至っています。建物の建設、製造機器の導入、電気・水道などインフラの確保、その他にも製造技術の導入など、あらゆる工程に関わりました。一つの大型プロジェクトに参加すると、多様な課題に直面し続けます。その一つ一つの課題を解決に導く。すると、目に見えてプロジェクトのゴールが形づくられていきます。そのプロセスを現場で実感しました。
頼りになるのは「人」
製造機器は、海外メーカーから設備を導入するわけですが、外国人との価値観の違いには苦労しました。一番の違いは「品質・衛生」に対する考え方。製造機器の洗浄回数や洗浄の仕方、工場や職員の衛生管理に対する考え方が大きく異なります。それでも互いの価値観を尊重しながら議論を積み重ねることで、妥協点を見つけていきました。トラブルはいろいろありますが、最終的に頼りになるのは「人」。小さな歯車(個人)の集合が、単なる足し算ではない大きなパワーに生まれ変わるのです。
大きな困難を乗り越えた先に
東日本大震災は、「森永乳業が一企業として何ができるか」問われた大きな出来事でした。特に大きな被害を受けたのは仙台工場です。当然、別海工場からの救援も必要とされました。人・ガソリン・電気がない…そういう中で、一人一人の瞬時の判断が試されます。北海道から発電機や軽油、救援物資を送り続けた結果、仙台工場の復旧が実現し、食料や飲料の供給再開へと繋がりました。スーパーに製品が並び始めたときは本当に感激しました。
ただ、一つだけ後悔していることがあります。仙台に救援物資を運搬しているとき「従業員の家族を助けること」は優先される使命だと信じていました。ある日、地域住民の方への配給が要請されました。しかし、即断できなかった。そのとき、仙台の同僚が「地域に配ろう!(自分たちは後回しでいい)」と号令をかけました。自分の一瞬の迷いを恥じると同時に、大局的な視野を持って判断する大切さを学びました。確かに震災は辛く悲しい体験でした。しかし、あの経験を通じて、会社も自分自身も大きく成長したことは事実です。初めて「自分が勤める会社が好きだ」と感じました。
別海町に遊びにきてください
別海町は本当に自然が豊かです。北海道のイメージが凝縮されている土地かもしれませんね。なんと、牛の頭数は人口の7倍以上もあります。
学生生活を振り返って、あの頃に戻りたいと思うことがよくあります。自分のための自由な時間をもてる貴重な4年間です。私は時間をつくって、インドやヨーロッパ、利尻島…各地を旅しました。部活の仲間、友人たちと過ごした時間は今でも大切な思い出となっています。実は妻は大学の同期です。みなさんにとって大切な出会いがこの4年間に訪れるかもしれません。いろいろなことにチャレンジして下さい。たとえ失敗しても、挫折しても(意外と)なんとかなります!別海の雄大な自然と対峙したら、悩みなんて吹き飛ぶかもしれません。
藤本雅久さん、ありがとうございました!