CoSTEPとダイバーシティ・インクルージョン推進本部の連携企画、ロールモデルインタビューFIKA。
FIKAとは、スウェーデン語で甘いものと一緒にコーヒーを飲むこと。
キャリアや進む道に悩んだり考えたりしている方に、おやつを食べてコーヒーでも飲みながらこの記事を読んでいただけたら、という思いを込めています。
シリーズ13回目となる今回は理学研究院の今布咲子さん。
今さんはこの春に博士課程を修了し、北大理学研究院の助教に着任しました。ピアノの先生、高校物理の先生、となりたい自分を模索しながらたどり着いた研究者の道。
疑問に思ったことは納得するまで徹底的に調べ「研究テーマはまだまだやりつくしてない、もっともっと、世界でまだ自分しか知らないことを見つけていきたい」と話します。
【森沙耶・いいね!Hokudai特派員 + ダイバーシティ・インクルージョン推進本部】
ピアノの先生を目指す中、物理に出会って衝撃を受ける
両親が音楽が好きだったことから、将来は音楽か美術系の方向に進むものと漠然と考えていた今さん。高校生までピアノの先生になることを目指しながら芸術関係にも興味を持つ一方で、“電子とは何者なのか?磁石の中はどうなっているのか?”といった身の回りの事象に疑問や興味をもっていました。
そんな今さんが高校1年生のときに受けた物理の授業で、日常の複雑な現象を単純なものに分解して理解できる、ということに衝撃を受けます。「例えば力学で物体に対してどのような力がかかっているのかというのを一つ一つ整理して理解することで、このあと物体がどういう動きをするのかがわかる、というような考え方に『これだ!』と思いました」と物理学との出会いを振り返ります。
物理を知ってからは「どんな現象も最終的には物理で理解できるのでは?」と思うほど物理の魅力にとりつかれていったといい、「ブロックを集めて何かを作っても、それは単にブロックの集まりに過ぎないですよね。でも、原子核と電子の集まりである物質は、元素の組み合わせや構造によって、色んなものになるんです」と話します。
イメージできない物理に悩んだ学部時代
物理の面白さを知ってからは、高校の物理の先生になりたいと思うようになります。物理を教える時に大学レベルの専門的な物理の知識をもって生徒に物理の楽しさも伝えたいと考え、進学先を北大に決めます。
入学後は、今まで頭の中でイメージができるからこそわかりやすいと思っていた物理が、専門的になるにつれ、イメージがなかなかできないものもあり、「自分の言葉で説明できるまで納得して突き詰めて理解したいのに、イメージできない物理にぶつかると、それができずもどかしかったです」とそのギャップに悩んだといいます。
現実と現象の結びつきが見えず苦労していたときに受けた磁性体の講義で、今までイメージができずにいた物質中の電子の動きが想像できるようになり、面白いと感じます。
「実は昔から電子に興味があり、磁力の源である電子が物体の中でどうやって動いているんだろう、とずっと疑問に思っていました」と、ずっと今さんの中にあった疑問に答えを与えてくれる内容だったといいます。
この講義を受ける中で「先生はご自身の頭の中でしっかりとイメージができるまで理解し、それを伝えることができる方だと思い、この先生の元で学び、この先生のようになりたいと思いました」とこの講義を受け持っていた網塚浩先生の研究室に進むことに決めます。
目指していた教師像とのギャップに気づいた教育実習
専門分野を学びながら並行して教職の単位も取り、物理の先生になるという目標のために4年生のときには母校で教育実習を行います。
教育実習では、自分が理想とする授業と、求められている事や自分の実力との間でギャップを感じたといい、「私は学生の興味を引き出すような授業を目指していましたが、限られた時間の中でなるべくスムーズに理解できるような工夫も求められていました。結果的に私の授業はどちらも中途半端で、どこか一方的なものになってしまったと感じていて、授業を行うことの難しさを痛感しました」と振り返ります。
また、徹底的に調べたくなる性格から、授業の準備中に少しでも疑問がわくと不必要とも思えるところまで考え込むことが多く、とにかく忙しい状況の中で、自分に教職は合わないのではないかと考えるようになったといいます。
女性研究者になるイメージ・ロールモデルがない
教育実習前から専門知識をつけたうえで教師になりたいと考えていたため、修士課程に進むことは早い段階から決めていたという今さん。
両親から「先生になるのに大学院に進む必要はあるのか」と聞かれることもありましたが、「専門的なバックグラウンドを持ち、学生さんからのどんな問いにも答えられるような先生になりたい」と説得し、大学院に進みました。
修士課程に進学した頃は「自分が研究者になるとは全く考えていませんでした。そもそも物理学科には女性が少なく、女性が研究者になるイメージができませんでした」といいます。
修士1年の夏に参加した研究会で、はじめて多くの研究者と接し、研究をかっこいいと思い始めたといいます。
「中規模研究会だからこその研究者同士の白熱した議論を目の当たりにし、刺激を受けました。戦う議論ではなく、全員で作っていく、研究が進んでいく雰囲気でした」といい、様々な研究者がそれぞれ違うスタイルで研究を分担し、チームで研究を進める様がかっこよく、いつか自分もそのチームに加われたらいいと思うようになっていったそうです。
そこには少ないながらも女性研究者も参加しており、だんだんと女性研究者というイメージもできるようになっていったといいます。
周囲の理想像に振り回されず、自分の道を進みたい
研究が本格化していき、研究会と実験で就職活動どころではなく、だんだん就職から博士課程への進学にシフトしていきました。実験は予想通りの結果にならないこともありましたが、「自然界は人間の思った通りにはなっていない」ということがむしろ面白く感じたといい、期待通りの結果がでなくても「それをなんでだろうと突き詰める研究もあるんだな、失敗からあたらしい研究ができるんだな」と考え、あくまでポジティブに研究を進めることができたといいます。「インパクトは小さいかもしれないけれど、これを知っているのは世界で私だけ」だと思えることも楽しかったといい、今も誰も知らないことを実験で明らかにしていく過程に面白味を感じていると話します。
博士課程進学については、金銭面やライフイベントに関する心配から最初は両親に反対されたといいます。「学振が通らなければ経済的に自立することは難しく、アルバイトをしなければいけないような状況でした。網塚先生のご助言もあり、北海道大学アンビシャス博士人材フェローシップに応募し、金銭的な問題はなんとか解決できました」とフェローシップに採択されたことで、安心して研究に打ち込めたといいます。ライフイベントに関しては「研究を諦めたからといって結婚できたり子供ができたりするわけではない。とにかくこの研究をやめることは考えられない」という強い意志で博士課程進学を決意します。
進学に関する不安なことを乗り越えても、研究がすべて順調に進んでいったわけではありませんでした。研究は大型実験施設に出張してデータを取らなければならなかったため、取りこぼしたデータや追加のデータが必要でもすぐに得られるものではなく、「これも取っておけばよかった、こうしておけばよかった」と反省点が後から見つかり、その度にショックを受けることも多かったそうです。一方で、その実験施設では研究室の先輩である女性研究者がサポートしてくれたといい、一番身近なロールモデルとして憧れの存在になっているといいます。
物質の分析から合成へ、新たな研究とともに始まった研究者のキャリア
博士3年の時には論文執筆と並行して就職活動を行うハードな日々を送っていましたが、北大の助教に内定。研究者として順調なスタートを切ったように見えますが、助教に内定したときは「卒業後にすぐに助教というのは本当に光栄なことですが、もっとすごい人がそういうキャリアを歩むものと思っていました。私は、女性だから採用されたんだ、とか、実力が見合っていないんじゃないか、とか思われないように頑張らなきゃと力みすぎていた気がします」と自分自身が思う研究者像と照らし合わせた自分にプレッシャーを感じていたといいます。
それまで行っていた研究では物質の分析がメインでしたが、助教に着任した研究室では物質の合成がメインということもあり、新たな研究もはじまりました。これから始まる実験や新たな研究が楽しみになり、それまで感じていたプレッシャーも徐々に薄れてきたといいます。「新しいボスの先生も『自由にやっていいよ』と言ってくださっていて、これから研究の幅を広げていくことができるのが楽しみです」と話します。
まだまだ修行中、研究テーマもやりつくしていないと語る今さんですが、これから研究者を目指す女子学生には「周りがもっている理想像に振り回されないでほしい。女性とはこういうものだ、研究者とはこういうものだ、という周囲やSNSなどの声は気にせず、自分のやりたいことを突き詰めてほしい。やりようはいくらでもある。やりたいことをあきらめないで」と研究の楽しさを溢れさせながら力強くお話していただきました。
FIKAキーワード 【女性研究者のロールモデル不在】
(ワークライフバランスや育児との両立などと並び、ロールモデルの少なさが女性研究者が少ない理由として挙げられている)〈転載:内閣府「男女共同参画白書平成27年版」〉