先日お伝えした恵迪寮の木彫り熊の記事で、熊の足裏に「アラキ作」と彫られていたとお伝えしました。その後、次のような記事が見つかりました1) 。冒頭には次のようにあります。
「1950年代半ばから60年代半ば(昭和30~40年代)にかけて北海道観光ブームが続き、木彫り熊をはじめとする数多くの木彫品が作られた。担い手はアイヌ民族に限定されないが、現在活躍中のアイヌ工芸家の多くがこのブームのなかで腕を磨いた。荒木繁さんもその一人である。」
この「荒木繁さん」が、木彫りの熊を彫った「アラキ」さんなのでしょうか? 今回はこの記事をお書きになった山崎幸治さん(アイヌ・先住民研究センター 准教授)にお話しを伺いました。
【原 健一・CoSTEP 博士研究員】
山崎さんは記事に出てくる荒木繁さんとどのようなご関係なのでしょうか?
荒木さんには何度かインタビューさせていただいています。先日、荒木さんに「恵迪寮の建物の古い材で熊をつくったことありますか?」と聞いたら、「つくったことある」とおっしゃっていました。なのでこれは私の記事に出てきた荒木繁さんで間違いないですね。
そうですか!
ええ。二つの古材で熊も2つのポーズのものをつくったとおっしゃっていまして…。
え! こちらの写真を見ていただきたいのですが…。実はもう一体の熊が発見されたんです。
あっ、きっとこれですね!
このミニサイズの方にも裏側に「アラキ作」と書かれています。
2タイプつくったと言っていたのはこれで間違いなさそうですね。荒木繁さんのご親族には何人も熊彫りの職人がいて、当時の繁さんは、お兄さんやお父さんのつくった熊と区別するためにカタカナで「アラキ」と銘(サイン)を彫っていたそうです。今はひらがなで「あらき」と彫っています。
記事には「毛彫り」という細かく毛並みを表現する技法を荒木さんがお父様とお兄様から受け継いだと書かれているのですが、恵迪熊のほうは毛彫りとは異なる技法のように見えますね。
恵迪の熊は焼いて磨くという技法をもちいたと荒木さんは言ってました。ときどき木彫りの熊でつかわれる技法なんですが、焼いて磨くと年輪がきれいに浮き上がるんですよ。恵迪寮の古材をつかっているということなので、好きな材木を用いてつくったわけではないですよね。木は水分が残っている状態のほうが彫りやすいんです。それを考えると古材というのは乾燥しているので、けっして彫りやすい木ではなかったのではないかな。材木のサイズの制限とかもあったと思います。それで毛彫りではない技法を選んだのかもしれません。制作時にどういう工夫をされたのかについてはご本人に聞いてみるとよいと思います。
恵迪寮の棟木を使っているという点での希少性はあると言えるでしょうか。
ええ、やはり珍しいと思いますよ。家の古材をつかったということは、まったくないわけではないのですが、なかなか聞かないですよね。荒木さんは今でも木彫りの熊をつくられていますし、年に何度か木彫りの講習会で講師もされています。
山崎さんからは木彫りの熊を観賞する際のポイントなどについてもご教示いただけました。そして後日、荒木繁さんからインタビューの許可をいただくことができました! 恵迪寮生と荒木さんとのあいだにどのようなやりとりがあったのかなど当時の思い出を荒木さんに伺いたいと思います。
《第3回に続く》