橋床泰之さん(農学研究院 教授)を中心とするグループは、新しい事実を「逆転の発想」で発見し、今年の7月、学術雑誌に発表しました。その発見は、これまで培養できなかった微生物を培養できる、新しい培地の開発に役立つものです。
乳酸菌や納豆菌、いろいろな病原菌など、私たちはたくさんの種類の微生物とともに暮らしています。これら微生物について研究するには、それらをガラス容器などの中で育てる(培養する)必要があり、科学者たちは、育てるための場(培地)を何種類も開発してきました。
それでも、この世にいる微生物のうち、培養できるのは全体の1%ぐらい、多く見積っても10%ぐらいでしかありません。もし残りの微生物も培養できるようになれば、新しい薬の開発につながる手がかりが得られるなど、多くの成果が期待できます。
そこで橋床さんの研究室を訪問し、発見の内容や意義についてうかがいました。
橋床さんは、何を発見したのですか?
今から150年ほど前、パスツールやコッホが研究を始めた頃からずっと、寒天を使った培地が微生物の培養に使われてきました。でも、この寒天培地では育たない微生物が少なくないのです。
ところが私たちは、寒天から、ある物質(2種類のフランカルボン酸)を取り除いて培地を作ると、それまで育たなかった微生物のいくつかが育つことに気づきました。逆に、それらの物質を寒天に加えると、成育が止まることも確認しました。
ひとつのプレートに1マイクログラムの100分の1というわずかの量を加えるだけで成育が止まります。このことから、この物質は微生物を殺してしまうのではなく、動かないように指令することで微生物の成育を止めていると考えられます。
こうして、これまで寒天培地で培養できなかったのは成育を抑える物質が働いていたからだとわかりましたので、その物質を取り除くなどすれば、これまで培養できなかったいくつかの微生物が育つ培地を開発できる、ということになります。
どこが「逆転の発想」なのですか?
近ごろ、寒天の代わりになる「ゲランガム」という物質に注目が集まっていました。寒天培地では育たない微生物でも、ゲランガムを使った培地では育つことが多いからです。ただしゲランガムでも、軟らか過ぎたり、培地によっては固まらないなどの欠点があったのですが。
そのゲランガムについて、多くの研究者たちは、微生物の成育を「促進する物質」があるのではないかと考え、その物質を見つけ出すことで、培養できない理由を探ろうとしていました。
それに対し私たちは、逆に、生育を「抑制する物質」のほうに注目しました。寒天の粉末をメタノールなどでよく洗ってから培地を作ると、これまで寒天培地では育たなかった微生物のいくつかが、ゲランガムを使った培地と同じように育つということに気づいたのが、発見への第一歩でした。
研究者たちはパスツールの時代から、あたりまえのように寒天培地を使ってきました。でも、なぜ寒天培地なのか、理由を深く考えることはありませんでした。今となってみれば、こう考えることができそうです。寒天培地では、生育を適度に抑制する物質があるおかげで微生物の集落(コロニー)が広がりすぎない、それが研究にとって好都合だった、だから使われ続けてきたのだと。
橋床さんは「生態化学生物学研究室」の教授ですね。研究室の中心的な研究テーマは何ですか?
植物や微生物の生態や相互作用について化学的あるいは分子生化学的な観点から研究することです。
たとえば、強い酸性の土壌に生えている植物の根から、そこに棲む微生物を取ってきて培養すると、酸性を中和するものがたくさんいます。植物の周りにいる微生物は、環境に応答して、環境を修復するような能力をもっているのです。こうした相互作用を媒介するのは、植物が作り出す化学物質であり、微生物が作り出す化学物質です。そうした化学物質について調べるのが、私たちの研究テーマのひとつになっています。
今回の発見は、こうした研究を進める中での、副産物的なものです。
植物の生態についての化学的な研究に関心を持つようになったのは、どうしてですか?
最初は、有機化合物の研究者として、バラ科の植物であるハマナスについて研究していました。バラ科の植物には無いと言われていたセスキテルペンと呼ばれる物質をハマナスで発見して、論文を20本ほど書きました。でも、「ふーん、変わった植物だね」と言われるだけの、生命現象の本流にはなりえない研究であったために、ほとんど注目されませんでした。
そこで、もっと多くの人が興味をもてるような研究をやりたいと思うようになりました。いろいろ調べているうち、植物は実は植物だけでは生きられないんだ、と知るようになりました。
たとえばタイの東北部に、地中から食塩が噴き出して、うっすらと雪のように積もっている場所があるんですね。そんなところでも、芝のような植物が生えています。それらの植物の種を、許可を得て日本に持ち帰って、塩分の濃さが同じような土に播いて、芽が出てくるのをワクワクしながら待ったのですが、ぜんぜん発芽しませんでした。現地の何かが必要なんです。例えば土の中に含まれる微生物が、大事な役割をしているのです。
こうした経験をとおして、微生物と植物の関わり合いという研究に少しずつシフトしていったわけです。
今回の発見を「プロス・ワン」(PLoS One)という雑誌に発表しましたね。PLoS(Public Library of Science)というNPOが発行する、オンラインの専門雑誌です。ここに発表したのは、どうしてですか?
私たちの研究は、分野と分野の境界に位置するものです。土壌についての研究でもないし、微生物のでもない。天然化合物の研究としてもしっくりこない。つまり、ふつうの専門誌はなかなか受付けてくれないのです。それに対し「プロス・ワン」は、学問的に興味深いものであれば受付けるという方針なので、ここに投稿しました。懐の深い雑誌の存在に感謝しています。
最後に、若い人たちへのメッセージを
この研究では「逆転の発想」の大切さを実感しました。こうした経験をするには、軟らかな発想とともに広い視野を持っていることが大切だと感じます。
論文の共著者でもある大学院の学生さんは、この成果を一部に含む学位論文を書いて、博士の学位を取り、ある大学の助教になりました。視野を広く持つことの大切さを、彼自身がみごとに体現してくれました。若い人たちには、ぜひ、いろいろな環境でたくさんの経験を積み、広い視野を培ってほしいと思います。
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