学校出てから十余年。社会人の私にとって、大学の授業はほど遠い場所になってしまいました。職場から近い北大には日常的に散歩に訪れていても、授業となるとなかなか散歩のようにはいきません。
「久々に、大学の授業を受けてみたい…」そんな思いを抱いていました。
ある日のこと。北大構内の掲示板を観ていると「公開講座」の存在に気づきました。北大の授業を社会人でも気軽に、しかも無料で受講できるという機会が公開講座です。これを知って、ピンとくるものがありました。
そこで今回は実際に私が公開講座を体験しての様子をお伝えいたします。大学の授業に興味がある社会人の方のお役に立てれば幸いです!
【藤本研一・CoSTEP本科生/社会人】
アッサリ見つかった公開講座
まずはリサーチから。「北大 公開講座」で検索してみると一番上に「公開講座開設一覧」が出てきました。
令和4年度の公開講座開設一覧をスクロールすると、文系・理系問わず様々な分野が揃っていることに気付きます。
「あ、この講座、面白そう…!」 私は元高校教員ということもあり、「近代日本語教科書を読む」という言葉に思わず反応していました。サイトから申し込むとそれだけで申し込み完了。ID・パスワード登録もなく非常に簡単です。こんなアッサリで本当に申し込まれているのだろうか…? 後日ZoomのURLが送られてきたことでその心配が杞憂に済んだことを知りました。
オンラインで開催!「近代日本語教科書を読む」
さて、私が申し込んだ「近代日本語教科書を読む」当日となりました。10月7日(金)17時半から19時までの開催です。ちょうど大学の1コマの時間と同じです。
この講座はメディア・コミュニケーション研究院准教授 伊藤孝行(いとう・たかゆき)さんが講師。定員10名と少人数開催です。
伊藤さんの研究テーマであり今回の公開講座のテーマでもある「近代日本語教科書」。これは明治から第二次世界大戦前までの戦前期に日本に留学した外国人学生に対し、日本語学習用に作られた教科書のことをいいます。
参加者からの一言自己紹介やクイズなども盛り込みつつ、和気あいあいとした雰囲気で講義が進んでいきました。
講座では、戦前期に書かれた「近代日本語教科書」を伊藤さんが研究するようになった背景や、「近代日本語教科書」の面白さなどが話されていきます。
講座のハイライトは『日暹(せん)会話便覧』というタイ軍人に対し書かれた日本語教科書の紹介です。1938年に作られたこの日本語教科書には当時の歴史背景が色濃く反映されています。
第二次世界大戦中にあたる当時、タイは日本海軍に潜水艦を発注していました。その際、派遣されたタイ軍人が実際に日本に来て操作法を学ぶだけではなく、なんと自国まで操作して帰ることが求められていたそうです。
操作を学ぶには日本語の知識が不可欠でした。そのため海軍で使用する日本語に的を絞った日本語教科書が作られたのです。この教科書の面白いところはなるべくスピーディーに習得できるよう、全編タイ語とローマ字で日本語の説明をしているところ。ふつうの日本語教科書は漢字やカタカナで説明をしていることが多いので大変珍しい特徴となっています。
講義の中ではこの教科書づくりに携わった泉虎一(いずみ・とらかず)という日本人僧侶についても説明がありました。伊藤さんが泉虎一のご家族に会いに行ったお話も伺い、伊藤さんがいかに研究へ情熱を注がれているかを学ぶことができました。
今回の公開講座の内容は、伊藤さんにとってのライフワークとも言える研究の紹介となっていたのが印象的でした。研究への思いを聞くうちに「もっと話を聞いてみたい!」という思いがドンドン湧いてきたのです。
伊藤孝行さんの研究室に行ってきました!
そんな流れで伊藤さんの研究室にもお邪魔しました。伊藤さんのご専門は外国人への日本語教育学と日本語学というふたつにまたがっています。実際、以前はタイの大学で日本語講師を勤めていた経験もあります。
伊藤さんに詳しくお話を伺ってみました。
「じゃない方」を行く!
公開講座、たいへん勉強になりました。その中でもお話なさっていましたがご専門は日本語学(国語学)と日本語教育学の両方にまたがっていらっしゃいますね。両者の違いを伺えますでしょうか。
はい、日本語学は言語としての日本語を研究する学問であるのに対し、日本語教育学は主として外国人に対して日本語を教育する方法を研究する学問です。
私は学生のころから明治から第二次世界大戦中の時期にあたる日本語について研究をしていました。それまでは日本語学しか研究していなかったのですが、大学院のとき、ひょんなことから日本語教育学の先生方とも出会うようになりました。日本語学の先生方とはちょっと違う考え方をしていらっしゃるところに興味を持ったんです。
どういった経緯で日本語教科書をテーマに研究することになさったのですか。
当時、大学の近くに都立中央図書館があったのですね。ここには実藤恵秀(さねとう・けいしゅう)という中国研究者が寄贈した「実藤文庫」がありました。この中に戦前期に留学生に対して書かれた日本語教科書が置かれていたんです。
明治期、実は日本にはものすごくたくさんの留学生が来ています。多くは当時の清国・中華民国からです。一説には日露戦争直後の1905年には東京だけで8,000人の清国(現在の中国)留学生が日本に来ていたと言われています。その留学生たちに日本語を教えるため、金井保三(かない・やすぞう)など国語学の世界でも著名な研究者が日本語教科書を書いていたんです。
実藤文庫で日本語教科書を見ていると、この近代日本語教科書という分野って、これまでの自分のバックグラウンドだった国語学(日本語学)と日本語教育学が重なる領域であることに気づきました。こういう経緯から近代日本語教科書について研究をすすめることにしたんです。
まあ、私がいま行っている内容というのは日本語教育学のなかでもマイナーなテーマなので「じゃない方」を突き進んだとも言えるのですが(笑)
「じゃない方」を研究すると謙遜なさっていましたが、誰もがこれまで注目してこなかった分野に光を当てる取り組み、大変だからこそやりがいがあったことと思います。
公開講座はデパ地下と同じ。公開講座で学問の「試食」を!
北大として一般の方々へ公開講座を行う意義にはどのようなものがあるとお考えですか。
学生時代に勉強を食わず嫌いしていることってよくあります。でも、社会人になったあと取り組んでみると意外と面白くなることがあるものです。
私は高校時代、化学や物理・数学が苦手でした。テストも赤点を取ることがありました。それがずっと心残りだったのですが、以前自分の研究で行き詰まった時に「気分転換したいな」と思い手元にあった化学式の問題集を解いてみたんです。すると時間はかかりましたが、内容がわかったんです。「ああ、十数年前の学生時代に戻りたい…!」と思ってしまいました(笑)。
高校生の頃って、時間制限がありますよね。時間制限があるせいで不得手なままになっていたことも、時間をかけて取り組むと分かるようになると気づいた瞬間でした。
これは公開講座にも通じると思います。中学や高校時代、何らかの事情で学習を棚上げしたまま過ごしてきた方も公開講座で学ぶことで再び学問に取り組むきっかけになるのではないでしょうか。コロナ禍では少なくなりましたが、ちょうどデパ地下のように色々試食をしてみてほしいなと思います。
学問の試食という発想、面白いですね! 貴重なお話ありがとうございます。
今回は北大の公開講座のうち「文系」分野のひとつとして、伊藤さんの公開講座を紹介しました。伊藤さんの話にあったように私は今後も「試食」を続けていきたいと思います。試食の第2弾は「理系」分野にあたる「時計台サロン 農学部に聞いてみよう」をお伝えします! お楽しみに!
令和4年度の公開講座一覧はこちらです。興味があるものがありましたら参加なさってみてはいかがでしょうか。
なお、この「近代日本語教科書を読む」は北海道教育委員会が運営する生涯学習プログラム「道民カレッジ」の1つにもなっています。