グリーンランド北西部、人が定住する世界最北の地「シオラパルク村」。毎年11月から3~4カ月間は太陽が昇らず、光のない冬が訪れます。人口40人ほどの村に街灯は少なく、頼りになるのはヘッドライトと月明かりのみ。そんな異世界も北大にとっては研究フィールドです。視界ゼロの極夜で、氷の張った海の上を疾走する研究者たち。彼らが最も頼りにするのはスノーモービルでもヘリコプターでもなく……10頭の犬たちでした。
【江口剛・CoSTEP本科生/水産科学院博士課程2年】
主な移動手段は犬、目的地まで一直線
午前9時。降雪量や雪の密度など定時観測を終えた研究者、環境科学院博士課程の黒崎豊さんは犬ぞり観測の準備を始めました。日本ならとうに太陽が昇って明るい時間帯ですが、12月のグリーンランドは日の差さない極夜の世界。手元も見えないなかヘッドライトの光を強め、ソリに機材を載せていきます。
海氷と雪に囲まれたシオラパルク。最近はスノーモービルで移動する姿も見かけますが、主な移動手段は今でも犬ぞりです。ベテランの犬ぞり北極探検家、山崎哲秀さんが10頭ほどのグリーンランド犬たちをロープで放射状にソリへ繋げて準備完了。村から離れた観測地点までは、黒崎さんと低温科学研究所助教の的場澄人さん、探検家の山崎さんら3人で向かいます。
文字通り「一寸先は闇」の光景が片道だけで1~2時間続きますが、ソリの進路はブレることなく目的地まで一直線です。どうやら過去何度も同じ場所で観測を続けるうちに、犬たちが道のりを覚えたそう。GPSでも位置座標が合っているか確認しますが、あくまで答え合わせ程度。ときおり山崎さんの鞭の誘導を添えつつ、基本的には犬たちに身を任せて移動します。海氷に穴をあけて海水の塩分や水温を測ったり、海氷上の雪を採取したりして観測終了。シオラパルク村へ戻ります。
シロクマ警報も犬、人より犬が多い村
午後4時、無事村に戻った黒崎さん。観測小屋でデータの整理に取り組みますが、その間も犬の活躍は続きます。北極に近いシオラパルク村では、シロクマが村に出没するのもしばしば。夜闇にまぎれて隣にシロクマ、なんてこともあり得る世界です。
その危険性を教えてくれるのも犬たちの仕事。シロクマの気配を感じ取ったら途端に吠えたて、住人に危険を知らせます。村の猟師は狩りに飛び出し、女性や子どもは家の中へ。もちろん観測に来た研究者たちも他人事ではありません。犬の鳴き声がうるさければ小屋の外に出ないのは鉄則なんだとか。移動手段だけでなくシロクマ対策の番犬としても活躍する犬、その数はシオラパルク村の人口より多いそうです。
なぜシオラパルク村なのか
日本からシオラパルク村までは最短でも片道2日間。デンマークを経由し、グリーンランドの玄関口で元米軍基地のカンゲルスアック、観光が盛んなイルリサットなど計6回ほど飛行機とヘリコプターを乗り継いで到着します。途中には1週間に1便しか出ない航路もあり、その日程にあわせて研究計画を練るほど。日本から遠く離れた極域でなぜ研究するのか、その理由はシオラパルク村周辺の特異な海域にありました。
グリーンランドの沿岸では冬の間、海が氷で覆われます。しかしシオラパルク村周辺では強い北風が吹くため、海氷ができてもすぐ南の沖合へ流されてしまいます。海氷のフタがなくなり海面が現れると、海からの水蒸気量が増し降雪に影響を与えます。本来なら氷が解ける夏を待たなければ海氷はなかなか減りませんが、シオラパルク村に近い海域なら冬でも海氷の増減が活発です。海氷の変化と降雪の関係を調べるうえで最適な立地だからこそ、黒崎さんはシオラパルク村で研究するのです。
極夜が明けて見える世界
2月中旬。海氷の水平線から淡いオレンジ色の光が差し、3カ月ぶりの太陽が顔を見せました。その暖かさと明るさは感動もひとしおですが、黒崎さんは極夜明け特有の面白い感覚があると言います。
「到着してからずっと真っ暗なので、正直どこに何があるのか分かりません。氷山の青さや村の外観も、太陽が昇って初めて実感できるんです。極夜明けが近づくにつれて村や地形の輪郭線が明確になり、視覚情報がどんどん更新される感覚は……グリーンランドならではですね」(黒崎さん)
前回の調査期間は2021年の12月上旬から翌3月上旬までの約3カ月間でした。黒崎さんは「犬たちと別れる時が一番悲しかった」と振り返ります。次回の調査予定は2023年の冬。シオラパルク村からグリーンランドの内陸に向かって犬ぞりで遠征し、氷床の上に新しい観測地点を開拓する計画です。
極北の地での研究生活、その下支えには相棒たる犬の存在がありました。