学部が夏休みになると、キャンパスの中は観光スポットのようになってしまう。佐伯さんからは、附属植物園で会うことを提案されたが、そこは香織の領分だったので、構内にある総合博物館の横の広場で待ち合わせをした。
ぼくは、約束の時間よりも三十分ほど早く着いて、キャンパスを縦断する通りを挟んで建つ人文科学系の校舎を眺める。メールではなく、わざわざ会って話したいということは、やはり、リベンジ・ポルノを完全に抹消するのは不可能だったと告げられるのだろう。
早瀬耕『プラネタリウムの外側』初出2017(早川書房2018, p215)
「物語の中の北大」第6回は、SF小説『プラネタリウムの外側』です。物語の中心人物は北大工学部助教の南雲薫。彼は某研究所から払い下げられ、学内のどこかに設置されているという有機素子コンピューターを使い、会話システム、いわゆるAIを構築します。研究室の教授である藤野奈緒、学部2年生の佐伯衣理奈、そしてAIの「ナチュラル」らの思いが交錯しながらさまざまな実験が行われ、過去と現在・未来、本当の記憶とつくられた記憶、現実とシミュレーションの境界がふと曖昧になっていく世界が描かれます。
ちなみに今回の一節が描いているのは2017年の8月4日から10月1日の間です。なぜなら以下のような一節があり、そこで言及されている企画展とほぼ同じ名前の『惑星地球の時空間』が2017年のその期間に開催されており、ミュージアムカフェぽらすでは地層パフェを実際に味わえたのです。
「これで終わらせちゃ、駄目だってことか・・・・・・。プログラムを起動するまで一時間以上あるから、附属病院の食堂で、飯、喰ってくる」
モニタの電源を切って立ち上がると、佐伯が「わたしもお腹減った」とついてくる。
「病院の食堂よりも、総合博物館のカフェにしません?『地層パフェ』っていうのがあるそうです」
「チソウ・パフェ?」
「『地球の時空間』っていう企画展示のコラボ・メニューです」
南雲は、パフェにはまったく興味を持てなかったが、佐伯の笑顔を見て、附属病院のクラブハウス・サンドイッチを諦めた。
早瀬耕『プラネタリウムの外側』(早川書房2018, p230-231)
南雲は能力を持ちつつも成果を出せない任期つき助教。南雲の元でバイトをする尾内佳奈はポスドクで藤女子大学の非常勤講師。居場所のなかった佐伯は南雲の元で学部から修士課程に進学。登場人物の定まらぬ立場と、ありかもわからぬ有機素子コンピューターとその中の世界、そして北大キャンパスの描写があいまって、一種透明な空気感を感じられるのも本作の魅力です。