空はまっ青に晴れていた。光があふれるほどに周囲に満ち満ちて、目が痛いほどだった。空気はつぶ立つように冷たく、新鮮で、肺が生き生きと呼吸しはじめるのが感じられる。ポプラ並木の果てに遠く人家が見え、その向こうに山脈が見えた。その間を埋めるのは白一色の雪だ。
「いい気分だ」
緒方が言って歩みを止め、大きく白い息をはいた。彼は長いマフラーを膝のあたりまでさげ、やや紅潮した頬で雪と青空をまぶしそうに見つめた。
「国立大学の学生は恵まれてますね」
信介が言った。彼は緒方の高校時代の同級生だという、北海道大学文学部の学生、北林勇三と並んでポプラ並木の下をゆっくり歩いていた。トミちゃんは彼らから少しおくれてついてきた。
五木寛之『青春の門 放浪編(下)』(講談社1974, p155)
冬の鮮烈な色彩と空気の中、ポプラ並木を一緒に歩いているような没入感のある描写。第11回となる「物語の中の北大」で紹介するのは、大長篇『青春の門 放浪篇』からの一節です。本作は1969年発表の筑豊篇から始まり、自立篇、放浪篇、堕落篇、望郷篇、再起篇、挑戦篇、風雲篇、そして2017年の漂流編と続く大作で、まだ完結していません。
主人公の伊吹信介は九州筑豊の炭鉱町に生まれ、早稲田大学入学で上京、さらに函館、札幌を放浪した後に東京に戻り、一時帰郷もします。しかし彼は落ち着くことはなく再び北海道の江差、さらにはロシアにまで渡ります。信介はさまざまな人々に囲まれながら、どう生きるかを探し、もがき続けます。背景には50年代、60年代の学生運動があります。
今回紹介した放浪篇では、信介は大学の演劇部の仲間たちとともに東京から函館にわたり、そこで共同生活と労働をしながら演劇を上演しようとします。しかしそれに失敗し、札幌にトラック一台で流れてきます。
引用したのは、劇団のリーダー緒方の高校時代の友人で北大生の北林をたずねたシーンです。上掲の信介の発言に対して北林は、学生生活は苦しくロマンチックなものではないと言います。それでも早稲田大学の学生である信介は「何という広々とした環境だろう」「月謝が安い」と反論します。東京の私立大学と北海道の国立大学の個性の違い、互いの見方が垣間見られるシーンです。ちなみに信介は早稲田大学文学部社会学に所属しており、作者の五木さんも早稲田大学出身です。これまで「物語の中の北大」で紹介してきた作品もそうでしたが、大学を舞台とした小説の主人公は、作者の分身であることが多いのかもしれません。
さて、信介と北林がポプラ並木で語り合ったのは1950年代前半。「山脈」と書かれた手稲山の姿は変わりませんが、その手前の景色は近年、高層マンションが増えたことで変わってきました。国立大学の学費もかつてほど安くはありません。信介が存命だとすれば90歳近い年齢だとおもわれます。もし北大を再訪することがあれば、彼はどのような感慨を抱くのでしょうか。