毎週火曜日に市民向けの公開講義を開いている「平成遠友夜学校」。その活動の裏には設立者の強い想いと、札幌農学校の精神を受け継いできた歴史がありました。今回は設立者であり校長でもある藤田正一さん(北大名誉教授・元獣医学部)にお話を伺ってきました。
【上海一輝・CoSTEP本科生/工学院修士2年】
平成遠友夜学校の歴史をおしえてください
平成遠友夜学校はかつて札幌にあった「遠友夜学校」と深い関わりがあります。1894年(明治27年)に新渡戸稲造によって創設されたその学校は、正規の学校には通えない市民に対して広く開かれていました。そして、平成遠友夜学校もかつての「遠友夜学校」と同じ精神を共有しています。
(卒業生と教師たちの集合写真(1904年12月)。女生徒が多いのが見て取れます)
<北海道大学図書館北方資料室収蔵資料より>
「少年よ大志を抱け(Boys be ambitious)」や「高邁なる野心(Lofty ambition)」といった有名なクラーク博士の言葉には、「地位やお金ではなく、社会的に弱い立場の人のために、自身の人格形成のために学びなさい。」という意味が込められています。このクラーク博士が札幌農学校の学生に求めた精神が最も色濃く反映されていたのが、新渡戸稲造が開いた遠友夜学校でした。
この学校は、1944年、戦火の日本にあって軍事教練を拒否した等の理由から閉校を余儀なくされるまで50年間、貧しい家庭の子弟が教育を受けられる貴重な場として存在していました。運営は北大で学ぶ学生によってなされており、登山や海水浴、社会見学等の遠足、さらには学芸会なども学生は企画していたのです。
(遠友夜学校での学芸会の様子(1933年頃))
<北海道大学図書館北方資料室収蔵資料より>
平成遠友夜学校はかつての遠友夜学校と同じように、大学で学ぶ学生が運営と講義の両方に携わるスタイルを踏襲しているため、「平成遠友夜学校」と名付けました。北大の創期125周年記念事業の一環として建設された遠友学舎の完成を契機に、2002年より私と山本玉樹さん(北大元講師/科学思想史)で「クラーク講座」という授業を始めたのがそのはじまりです。「クラーク講座」は山本先生によって今も継続されていますが、私は2004年に、北大にあるたくさんの学部を利用したより多様な授業を提供しようと、学生と共に「平成遠友夜学校」として新たな講座を始めました。今年で10年目になります。
(10年来の付き合いという生徒の村井容子さんと共に)
なぜ平成遠友夜学校をつくろうと思われたのでしょうか
クラーク博士や新渡戸稲造が残した札幌農学校の精神を、なんとか伝えていきたいと思い、始めました。
かつての遠友夜学校で活動していた学生には、自分たちの持ち出しがあっても奉仕する、ボランティアするという精神がありました。自分たちのお金で教科書や鉛筆、ノートを買って、子どもたちには無料で与えていたこともあるのです。このボランティアの精神を、今の学生たちにも伝えていきたいと思っています。
学生ボランティアはどのような活動に携わっているのでしょうか
学生自身が夜学校の「教頭」として運営を行います。講義を行う先生を探してきて、依頼まで全て学生たちが行います。また、ときには学生自身が「先生」となり講義を行います。学生は札幌市民と交わることで大人になり、市民の前で講義を経験することで自身の専門への理解が一層深まるのです。
(講義を行う学生の「先生」を見守る藤田さん)
これからの夜学校は、どうあり続けてほしいでしょうか
遠友夜学校の本来の意味に立ち戻り、社会的な弱者に寄り添う存在でありつづけてほしいです。今は貧富の差が大きくなってきています。有名な大学に行く学生の家庭は、比較的裕福であることが多いのが現状です。優秀であるなしに関係なく、学びたい人が学びたい学校で学べるようするために、お金がなくて塾に行けないような人たちの助けになりたいと思っています。社会情勢の変化に応じて、その都度弱者のたち場の立つ人をサポートする組織であり続けてほしいです。
(首を痛められていた中、快く取材を引き受けてくださった藤田さん。ありがとうございました)