国際訴訟や環境問題などの分野で弁護士として活躍している井上治さんは、1986年に北海道大学法学部を卒業。司法試験を受け、1991年に弁護士になりました。米国ニューヨークに渡り研鑽を積んだ後、2001年から牛島総合法律事務所で勤務を再開しています。
今回、「北大で学んだこと~法律、JAZZ、国際訴訟、環境と法について~」と題して北大生に講義してくれました。「ジャズは私にとってなくてはならないもの。実はサックスでプロになりたかった」という井上さんは、どのように国際的に活躍する弁護士になったのでしょうか。
「生き方のフレームワーク」になった北大での学び
「高校2年生まで建築家になりたかった」という井上さん。高校3年生の進路指導のときに「法律やったらどうだ」と担任の先生に言われたことがきっかけに、漠然と弁護士になりたいという思いをもったそうです。
北大に入学した4月。ジャズ研の「新入生歓迎コンサート」を見に行ったときのこと。「サックスを吹いていた先輩がかっこよく、ジャズ研に入りました」。ジャズにはまり、日々サックスを吹き、ジャズの本場ニューヨークに憧れをもつようになったといいます。
1年生の授業で印象的だったのは、環境問題に関する講義で、ローマクラブの報告書『成長の限界』を紹介した回。1960年代の先進国は経済成長が続いていました。しかしこの著書は、経済成長は永久に続くわけではなく、いつか限界が来ると主張し、当時のベストセラーになりました。爆発的な人口増加に対して、食糧と天然資源の不足、環境汚染などが関係して、成長の限界が来ることを、コンピュータ解析をして明らかにした本に、井上さんは「衝撃を受けた」といいます。この体験が、法律家としての後の仕事につながっていきます。
司法試験への挑戦
法学部に進んだ井上さんは、司法試験を目指して「法律相談室」に入ります。市民が困っている問題を持ち込み、法学部の学生が相談に乗ります。しかし、自分たちで問題の解決へ向けてのアドバイスが直接できない「もどかしさ」があったといいます。「自分の手で確実に結果を持ち帰ってもらいたい」。この想いが、法律の実務家になりたいと思ったきっかけだったのです。
4年生になって、進路をどうするか真剣に考えるようになりました。当時、楽器ばかり吹いていて、就職活動をまったくしていなかったといいます。「ジャズのプロの道に進むか、司法試験を受けるか、二択でした。だったら弁護士になるために司法試験を受けようと決心しました」。東京の予備校に2年間通って、3度目の正直で司法試験に受かりました。その間ジャズから一切離れていたそうです。
英語資料の要約に明け暮れる
司法修習生を経て、就職活動をしていたときのこと。英語でビジネスに関われる分野に興味をもっていた井上さんは、ビジネスに係る国際訴訟を扱う事務所を回ったそうです。
現在の法律事務所に入った初日。事務所に行くと、机に5冊の分厚い英語の書類が置いてあり、先輩から「君、サマリーをつくっておいて」と言われました。国際商事仲裁に関する証拠資料の要約が、最初の仕事でした。ジャズを通してアメリカ文化、そして英語に関心はありましたが、いきなり難題です。「自分の書類が目の前からなくなるのは、自分が理解して処理したときのみ。そうしないと裁判に負ける。やるしかない」と決意を固め、1年間そうした仕事に取組みました。
国際訴訟は刺激がいっぱい
そうした案件を扱うにつれて英語力がつき、事務所の中で「英語ができるヤツ」と認められ、国際的な仕事がさらに来るようになりました。主な案件としては、「外資系企業が日本で土地や建物を買い、店舗を構え商売する手伝いですね。賃貸者契約や行政の許可をとりつけたりしてきました」。
次のような国際訴訟にも関わりました。EIEI社は不動産管理会社で、バブル時代、超一流ホテルを買い漁って、「環太平洋リゾート計画」を立てました。そこで巨額の資金が必要になり、新生銀行から6000億円借りました。しかしバブルが崩壊し、新生銀行は自分の債権を回収しようとして、EIEIの優良資産を勝手に売ってしまいました。EIEIは優良資産がなくなって、借金だけが残ってしまったのです。そこで、EIEIは資産を取り戻すために新生銀行を訴えました。「私はEIEI側の弁護士を担当し、日米で訴訟合戦になりました。国際訴訟では巧みな駆け引きが展開され、大いに刺激を受けます」。
自分の得意分野を磨く
井上さんは「英語をうまくなりたい。英語で仕事をやりたい」という強い思いをもち続けました。それは、「アメリカ、特にニューヨークに行きたかったから。そこでニューヨーク大学ロースクールに行ったのですが、その近くにジャズクラブがあり、よく聞きに行きました」。弁護士で活躍する現在も空き時間をみて、ジャズの演奏会に出演しているそうです。
(井上さんが出した2枚目のCD「トランジェント・シティ / サイケデリック・ジャズ」)
「人間、関心があることに情熱を注いでいると、次第に結果が出てきます。私の場合、結果として英語の案件が得意だと認められ、さらに依頼が来るようになりました。いわば自分独自の『プラクティス』が確立してくるわけです。『こういう問題なら井上に頼もう』と認められるように、得意分野を磨くことが大切だと思います」。
環境問題に再び出会う
近年は、環境に関する案件を多く取り扱う井上さん。外資系企業は環境意識が高く、日本でビジネスを始めるために土地を買うときに土壌汚染対策に敏感だといいます。
「四日市や水俣等の公害問題では人権派弁護士が活躍し、社会的に認知されました。アメリカでも1980年代に土壌汚染が大問題になり、集団訴訟が続いたときに、弁護士が活躍しました。土壌汚染問題で大きいのは、対策費用に何十億円とお金がかかること。このようにビジネスも環境と密接につながっているのです。『環境って重要』という問題意識を共有することが大事なのです」。大学1年のときに衝撃を受けた環境問題に井上さんは再び出会うことになったのです。
「いろいろなことを勉強して、今関心をもっていることをつきつめること。それは無駄にならないし、将来何かにつながって、きっと発展していきます」というメッセージで講義を締めくくりました。