「北海道」と聞いて、クマがサケをくわえている木彫りを想像する人も多いことでしょう。ところが、世界自然遺産の知床に住むヒグマは、わずか5%程度しかサケを食べていないことが明らかになりました。なぜサケを食べないのか、調査・分析を行った、森本淳子さん(農学研究院准教授)に知床におけるクマの生態や、分析手法について伺いました。
(図1 サケを探すヒグマ 2012年秋・知床半島内の河川にて)<写真提供:森本さん>
そもそもクマは雑食
「ヒグマ=サケを食べる」というイメージですが、そもそもヒグマは雑食で、サケ以外にも草木、果実、昆虫、シカなどを食べます。秋に遡上してくるサケは、冬眠前のヒグマにとって大切な栄養源です。秋にしか食べられないにもかかわらず、ちょっと贅沢な食べ方をします。実は、卵が入っているお腹部分だけ食べてあとは捨てるのです。人間からするともったいないことですが、この行為は自然界にとって重要な役割を果たしているのです。
海と陸をつなぐ役割
海で育ったサケは、故郷の川に戻ってきます。ヒグマが食べて捨てたサケは、やがて自然に帰りますが、それと同時に海から運んだリンや窒素などの栄養分を、河畔の植物や水生昆虫に与え、周辺の環境を豊かにしています。海と陸をつないでいるキーマンが、ヒグマです。
サケを食べない知床のヒグマ
知床エリアの自然遺産以外では、河川の開発が進み、ダムや堰(せき)が作られ、川の流れを分断しているため、サケが自由に遡上できません。捕獲しやすい河口部ですら、ウライと呼ばれる漁法の網が張られ、周辺の農地の開発が進んでいるため、ヒグマはサケを捕ることができません。自由に捕獲できる環境が減っていることが、サケを食べない理由の1つと考えられます。
安定同位体による食性分析
私たちの研究チームは、人間の開発行為がヒグマのサケ利用に影響を与えているのではと考え、調査を進めました。ヒグマが普段何を食べているのかを分析するには、大きく分けて3つの方法があります。胃内容分析、糞分析と今回私たちのグループがおこなった、安定同位体による分析です。
「同位体」とは同じ原子番号の元素で、質量数が異なる物質です。この同位体には、放射線を出して変化していく「放射性同位体」と、変化せず安定している「安定同位体」(水素、炭素、窒素など)があります。この安定同位体の質量数の割合は、生物によって異なります。極端に言うと、1種類の食べ物、たとえばぶどうばかり食べていれば、ぶどうと同じ同位体比値(正確に言えば、濃縮するためやや高い値)になります。この性質を使うと、胃内容や糞分析だと、消化前の食事内容しかわからないのに比べ、数年前から数十年前と長い期間の食性を調べることができます。
今回は、ヒグマ(191体)の大たい骨の組織に含まれる炭素と窒素の安定同位体比を測定しました。そして、ヒグマの主な食物である、草本類、果実類、農作物、昆虫、陸上哺乳類(シカなど)とサケのサンプリングを行い、安定同位体値を比較しました。
(図2 ヒグマとその食物資源の同位体データ)<提供:森本さん>
結果から見えたもの
図2は、縦軸が窒素の同位体比値(δ15N)、横軸は炭素の同位体比値(δ13C)を示しています。ヒグマの同位体比値(○と+)が、各食物の同位体比を示す四角(黄緑色・緑色・山吹色・赤色・黄色)に接近しているほど,その食物の摂取割合が高いと考えられます。点線の○で囲まれているヒグマは、サケを確実に利用したと考えられます。
分析の結果、知床半島におけるヒグマのサケ利用の割合は、5%程度と推測されました。これは、北アメリカなどのヒグマと比べるとかなり少ない割合でした(北アメリカのヒグマのサケ利用は約30%)。また、子育て中のメスとその子供では、サケをほとんど食べていないことがわかりました。これは、オスによる子殺しのリスクを避けるため、オスに遭遇しやすい場所(サケを捕獲しやすい場所)をメスが避けているためと考えられます。一方で、開発がほとんど行われていない世界遺産地域のクマは、他の地域に比べ2倍以上のサケ利用を行っていると推測されます。この結果は、人間によってサケの利用が制限された可能性がある、ということを示しています。
今後の研究について
この研究の発展形として、人間が人工物を作る前は、ヒグマがどれだけサケを食べていたのか、それを明らかにする研究成果が先日、Natureの姉妹誌“Scientific Reports(電子版)”に掲載されました。北海道内の遺跡に残されたヒグマの頭骨を使った、食性解析です。
今後は「ヒグマと人のあつれきを減らし、共生できる土地利用のありかたを明らかにしていきたい」と将来の夢を語ってくださいました。森本さん、お忙しいところありがとうございました。
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このインタビューの様子は、CoSTEP制作のラジオ番組「かがく探検隊コーステップ」で紹介されました。ラジオはこちら
(左から)取材を担当したホウ・チュウハクさん(環境科学院修士1年)・山口なつきさん(歯学部2年)・青地絢美さん(工学部4年)