URAとして働き始めて、それまでのイメージと違ったりしませんでしたか?
応募締め切りの一週間前に、知り合いの事務の方から「江端さん、こういうの向いているんじゃないですか?」と言われて求人情報を紹介していただきました。URAってなんだろう、と思って調べたところ、自分がやりたいと思っていたこととほぼ同じ仕事内容であることに驚きました。その勢いで、申請書には「この仕事が天職です」と書いたくらいです。
実際仕事を始めてみて、これほど自分のスキルや、今まで積み重ねてきた自分の経験を活かせる職だとは思いませんでした。期待していた以上、というか、いい意味で期待を裏切られました。

URAとして関わるありとあらゆる研究分野を適切に理解していくのはずいぶんハードルが高いのではないでしょうか?
やるべきことが多くて忙しいのは確かですが、実はそれを「苦にしている」という感覚は全く無いのです。おそらく、ものすごく好奇心が強いからだと思います。それから、いかに勘所をつかんで新しい分野を理解するか、ということが大切ですね。一からやっていたら当然間に合いませんので、先生方の作ってくださるポンチ絵、提供して下さる資料などから、どれだけ自分が吸収できるか、ということが重要です。

先生方の研究内容を限られた時間で見渡して、自分がどの範囲をカバーする仕事をすれば良いかを見極めます。URAは、そういうところまで含めて俯瞰していかなければなりません。URAならではの視点からいろいろな提案ができるか、あるいは自分が持っている幅広い情報をどうやってうまく先生方に伝えられるか、ということが問われます。
将来、北大のURAがどういう方向に発展していけばいいと思いますか?

ただし、北大ではそんなことは無いと思いますが、日本のURA全体を見渡してみて、もし十分な支援もなくフロンティアに放り出されて失敗したら、あるいは成功しても開拓が終わったら用済み、となるだけでしたら、誰もこの職に魅力を感じないでしょう。ですから、そこで何かを成し遂げたらそれがしっかり目に見える形で評価され、成果も担い手も定着するということがあってはじめて、URA事業、大学改革の成功と言えると思います。

(スタッフミーティングの様子)
我々の間ではよく、「URAという呼び方は適切なのか?」という議論をします。僕はいつも「「軍師」という呼び方がいい」と答えています。「軍師」だったらかっこいいじゃないですか。すごくなりたいと思えるじゃないですか。
昨年北大で開催され、江端さんが事務局長をされた第4回 URAシンポジウム/第6回RA研究会では、北大URAステーションのみなさんは同じTシャツ、ユニフォーム姿でしたよね?

(北大URAステーションのみなさんが着ていたTシャツ)
他の大学のURAの方も「着たい」と。北大のURAステーションのメンバーはチームワークがいい、一つになってるよね、と言われました。チームワークが可視化されていたんですね。皆さんに伝わったというのがすごくうれしかったです。
もちろんシンポジウム自体も、全国のURAが500名以上北大に集結し、そこで大変密度の濃い情報交換や議論が行われ、新しいネットワークも広がっていったので、大成功だったと思います。非常に多忙で大変でしたが、本当に、達成感の大きい仕事でした。
(チームワークでシンポジウムを成功に導きました)
最後に、URAで働こうとする方へのメッセージをいただけますか?

コミュニケーション能力が非常に大切です。コミュニケーションが大好きという方にはぜひメンバーになっていただきたいですね。コミュニケーションは学内の研究者を初めとする、学内外の様々な人たちとネットワークを築くために必須のスキルです。そのネットワークがURAの財産です。現在のURAステーションのメンバーは各々のキャラクターが際立っていて、楽しい職場ですよ。

こういったスタンスでの仕事に興味がある方、ものごとを俯瞰してみることができる方が向いていると思います。北大のためにどういう戦略を立てていくか、ビジョンとして10年後にどういうものがあった上での戦略か、ということを常に念頭に置いて仕事をすることが重要です。
さらに言うと、北大だけのことを考えていたのではだめです。日本全体のことを考えつつ、日本の中での北大の位置付けを考え、では北大はどうあるべきか、を考えることができる人に、ぜひ北大URAとしてのキャリアを考えて欲しいと思います。

(URAステーションの位置する創成科学研究棟(北キャンパス))