2012年3月に北海道大学を退職し、「 れきけん」の代表として、また建築史家として、道内の歴史的建造物の保存活用のために奔走している角さん。大学で教鞭をとっていたころよりも忙しい毎日を送っているといいます。
先日(2014年2月19日〜25日)開催されたイベント「技をつなぐ、未来を創る。〜れき・まち・ひろば in チ・カ・ホ〜」では、歴史的建造物の修繕・保存に関わっている建築技能者集団「建築ヘリテージサロン」のみなさんに協力してもらい、匠の技を体験できる市民向けワークショップを実施しました。歴史的地域資産である建物の保存や活用、それに関わる建築技術の継承に懸ける熱い思いなどを伺いました。
「NPOれきけん」の活動について教えてください。
歴史的建造物に代表される地域資産の保存活用の重要性が、強く認識されてきているにも関わらず、専門的な相談窓口や保存活動を支援する体制はほとんどありません。一方で、幸いなことに道内には数多くの歴史的建造物が現存しています。それらの多くは、建設当時の最先端の技術と、重厚で洗練されたデザインが施され、現代の都市生活にも継承し生かすことができるにもかかわらず、経済的な理由から解体せざるを得ない状況にあります。
歴史家としてもこの状況に危機感を持ち続けながら研究生活を続けてきました。とはいっても歳ですし、2年前に大学を退職するときには、これからは悠々自適にのんびり生活できるかなぁ…と期待していました(笑)。すると、同じ危機感を共有しながら付き合ってきた東田秀美さん(旧小熊邸倶楽部理事長)や、神⻑敬さん(まちづくりプランナー)ら若い仲間たちから「角さん、リタイヤーなんてとんでもない。これまでの活動をしっかり社会還元してください!」と発破をかけられてしまいました。確かに生涯にわたって、社会貢献ができたら幸せなことで、神長さんらと一緒にNPOの設立を決心し、再チャレンジの活動をスタートさせたのです。
実は、NPO設立よりも前に、建築ヘリテージサロン(北海道の建築技能者集団)を立ち上げていました。札幌市資料館の修繕管理計画のお手伝いがきっかけでした。僕のような研究者は建物の価値評価はできますが、技術的な修繕に関しては素人同然です。そこで、職人のみなさんに協力してもらうのが一番良いと考え、何度かお酒を酌み交わしながら修繕計画を立てました。その飲み会が、とても好評で僕も職人のみなさんも「このまま終わらせるのはもったいない。定期的に集まって情報交換していこう」と意気投合し「建築ヘリテージサロン」という会合をつくったのです。
今思えば、建築ヘリテージサロンを通じた職人さんたちとの強い絆があったからこそ、「NPOれきけん」の設立に踏み出せたのだと思います。いくら保存・活用を訴えても、それを支えてくれる職人がいなければ実現はできません。僕らのような調査・価値判断ができる専門家と、「技」をもった石屋さん、瓦屋さん、レンガ屋さん、左官屋さん、塗装屋さん、大工さん…といった職人のグループが車の両輪となって、この活動を支えることができるのだと思います。
この活動を通して技を残すことも大切だと考えています。しかし、職人の後継者不足は深刻です。さらに建築資材の確保も課題です。平成27年完了予定で進めている豊平館(開拓使が建造した西洋ホテル・国の重要文化財)の修繕で使われている屋根の亜鉛引き鉄板(トタン)は、国産品の生産が終了しているため、ドイツ製チタン亜鉛合金版を使用しました。本来は地場にあった建築資材も、海外製品に頼らざるを得ないのです。資金面の問題も山積していますが、市民向けのイベント開催を通してみなさんの関心をひきだす機会をつくることが、課題解決のカギに繫がると信じています。ワークショップに参加してくれたお子さんが、建築の世界を夢見てくれるかもしれませんから!そして、歴史的地域資産の保存は、コミュニティーの再建、時間の積み重ねを視覚化したいという市民のみなさんの希望につながるはずです。
北海道を拠点に活躍した建築家〈マックス・ヒンデル〉と〈田上義也〉の研究もライフワークとして続けているそうですね。
はい、学生のころからスイス人の建築家〈マックス・ヒンデル〉に関心をもって調査・研究をしてきました。「近代建築の開拓者」といわれたヒンデルは、教会を中心とした16余の建築物を道内に残しました。実は北大とも縁があるんですよ。北大のヒュッテ三部作、我が国最古のスキー小屋「手稲パラダイスヒュッテ」、「ヘルヴェチアヒュッテ」、そして秩父宮ヒュッテとも呼ばれている「空沼小屋」をご存じでしょうか?。これらもヒンデルの設計で建てられ、一部復原をしながら大変貴重な歴史的財産として受け継がれています。
さて、ヒンデルの調査を進めていた当時、札幌北一条教会(当時・札幌日本基督教会)の設計が、ヒンデルとフランク・ロイド・ライトの弟子にあたる田上義也の指名コンペで行われたことを知りました。そして、その取材のために田上先生を訪ねたことがきっかけで、「田上義也研究」と田上先生とのお付き合いが始まったのです。先生が亡くなったときには、お骨拾いまでさせていただきました。
田上先生から生前に寄託を受けた500数点にわたる図面と、先生が亡くなられたとき、奥様から4竿分の蔵書を譲り受けました。中にはフランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルの図面もあります。手書きの設計図を眺めていると、1本の直線からも建築家の思想、迷いの過程が伝わってきます。図面とは時間と国境を越えて理解し合える言語であり、僕らのような歴史家にとっても貴重な資料です。現在は田上アーカイブとしてNPOれきけんが管理していますが、いずれ公的な機関で保管・展示できないかと働きかけているところです。
これからも、地道に「れきけん」の活動を続けていきます。保存運動をしても9割の建物は壊されてしまうという現実はありますが、諦めないことが大切です。歴史的な文化財を継承していく過程は、僕らの民度・文化度を映し出していると考えるからです。