今回、本学大学院医学研究科教授(神経生理学分野)の田中真樹さんをリーダーとする研究チームによって、脳が時間を知覚する際の鍵になっていると思われる神経細胞が、サルの小脳の中に発見されました。大前彰吾さん、植松明子さんとの共同研究の成果です。
この神経細胞の活動は、一定間隔で繰り返し外部から与えられる刺激の「時間間隔(=リズム)」の情報を反映しており、未来に訪れる刺激のタイミングを予測するのにも利用されていることが明らかになりました。田中さんの研究チームは、このような「リズム知覚」を支える脳のメカニズムを解明する手掛かりとなる細胞レベルの証拠を、世界に先駆けて発見したのです。
今回の発見を導いた研究内容について教えて下さい
まずサルに対して、一定間隔で繰り返し外部から視聴覚刺激を与えておき、予告なしにこの「リズム」が突然崩れるような(一定間隔の刺激が現れるべき時に現れない)事態を発生させます。そして、その時に限って特定の方向に眼を動かすようにサルを訓練します。
訓練が終わったら、サルに再び同じ課題を行わせます。このとき、小脳の「歯状核」という部分のニューロン(神経細胞)の感覚応答(電位)を測定したところ、次の3点が明らかになりました。
1)一定間隔で刺激が提示されている間、感覚応答が大きくなっていく。
2)この感覚応答は、刺激を与える間隔が長ければ長いほど、それに比例して大きくなる。
3)小脳のこの部分に少量の薬物を投与して神経活動を抑え、同じ課題を行わせたところ、サルが眼を動かす反応に遅れが生じた。
これらのことから、サルの小脳歯状核のニューロンは、「直前の視聴覚刺激からどのくらい時間が経ったか」に応じて感覚応答を変化させ、その情報は次の刺激のタイミングを予測することに用いられることが明らかとなりました。つまり、サルの脳の中の、時間間隔(=リズム)の情報を処理していると考えられる部分が具体的に見つかったのです。
なぜ「小脳」、とりわけ「歯状核」という部分に注目したのですか
小脳は手や足の運動をコントロールするのに重要な役割を果たしていますが、運動をコントロールするには、「時間」の情報を適切に扱うことができなければなりません。実際小脳は、必ずしも運動を伴わない「リズム感覚」や「時間の長さの判断」などにも関係していることが、様々な先行研究によって明らかになっています。しかし、実際に小脳のどの部分のニューロンがどのように活動することによって時間の情報を適切に扱っているのか、という具体的なメカニズムはよく知られていません。そこで私たちは、その空白を埋めるための実験をする必要があると考えました。
今回発見したニューロンは、小脳の中でも「小脳歯状核」と呼ばれる、小脳で処理した情報の「出口」に当たる部分のものです。小脳核は三つあって、そのうちの一つが小脳歯状核です。
小脳歯状核には、小脳の中で大きな部分を占める「小脳半球」から多数のニューロンが伸びています。それだけではなく、大脳の重要な部分である前頭連合野や頭頂連合野にニューロンを伸ばしています。つまり小脳歯状核は、小脳と大脳をつなぐ「かなめ」となっている場所なのです。さらに、小脳の三つの核は、ネコだとどれも同じくらいの大きさなのですが、ヒトだと圧倒的に歯状核の割合が大きいのです。そうすると、ここの部分はヒトにしかできない役割を果たしているに違いない、と考えるのが自然です。そういうわけで、時間知覚を担っている脳の場所を探す研究を行うにあたり、小脳歯状核が有望なのではないかと考えました。
なぜ「時間」というテーマに取り組もうと思ったのですか
脳神経科学や心理学の分野で、空間情報処理についての研究はずいぶん進んでいますが、実は時間情報処理についてはあまり進んでいないのです。また、私たちの体には時間を直接測ることのできる「受容器」は存在しません。一方、生理学で扱うデータは時間の関数です。グラフの横軸が時間になっているということです。いわば、生理学そのものが、「時間」の概念と大変本質的な部分で結びついているとも言えるわけです。
臨床応用の可能性は?
私は、神経内科の先生方と共同研究をしています。今回の研究は、小脳の予測制御のメカニズムの解明を一歩進めることになります。したがってこの研究は、小脳疾患の病態理解に役立つとともに、将来的には小脳疾患の診断法や治療の評価法の開発につながるものと期待されます。
ここでいう小脳疾患とは、「脊髄小脳変性症」と呼ばれる病気のことです。この病気の患者さんには、歩行障害、眼振、構音障害などが生じます。治療の評価法というのは、どの薬がどの程度効いたか、どのぐらい治療効果があったかといったことを調べるということです。この研究が進展していけば、こういった臨床面での応用も期待できると考えています。
今後はどのようなことを目標にしていますか
「上流」と「下流」をやろう、と思っています。「下流」というのは、今回扱った小脳歯状核のニューロンが接続する先、つまり、大脳皮質や視床です。「上流」とは、今回扱った小脳歯状核に接続している手前の部分である小脳皮質のことです。これらを調べて、全体をシステムとして理解していこうとしています。
徐々に研究の範囲を「上流」と「下流」に広げて、脳というシステムの全体像を描きたいと思っています。
研究者としてどのようなポリシーを持って取り組んでいますか
この分野の研究は、ひとまとまりのアウトプットを出すまでに何年にもかかります。従って、1、2年やって飽きてしまうようなテーマを選ぶべきではありません。何年もの長期間関心を持ち続けられるような深いもの、取り組みがいのあるテーマを選ぶべきです。
また、ゴールがみんなわかっていて誰が真っ先にたどり着くか、というような、いわゆる「ラットレース」は面白くありません。そういった研究は、結局予算とマンパワー、設備などの資源に恵まれた研究チームが有利でしょう。そうではなく、自分が本当に面白いと思うことができる、オリジナルな研究テーマを選びたいですね。