熱帯の泥炭地に広がる森林、そこにいま、開発の波が押し寄せつつあります。地球温暖化の要因とされる二酸化炭素の吸収や放出に、どんな影響があるのでしょうか。10年近くにわたり現地で観測を続けてきた平野高司さん(農学研究院 教授)に話をうかがいます。
なぜ、熱帯の泥炭地について研究を?
森林はふつう、大気中の二酸化炭素を吸収してくれる場所、吸収源(シンク)です。森の中の植物や動物、土壌中の微生物などは、呼吸することで二酸化炭素を放出しますが、年間を通してみれば、樹木が光合成によって吸収する二酸化炭素のほうが多いからです。
でも、泥炭地にある森林ではどうでしょうか。泥炭とは、死んだ植物が分解されないまま数千年にわたって堆積してできた有機質の土壌で、炭素を大量に含んでいます。泥炭が分解され、そこから大量の二酸化炭素が放出されるということはないのでしょうか。また、排水路が作られたり火災が起きたりして生態系が攪乱されても、あるいは気候が変わっても、二酸化炭素の吸収源でありつづけるのでしょうか。
(泥炭火災の様子)
泥炭地は地球上の陸地全体の3%ほどですが、土壌に含まれる炭素全体の30%ほどを蓄えています。それだけに、泥炭地の森林について、こうした点を明らかにすることは、地球温暖化への対処を考えるうえでも、とても大切なことです。
そこで私たちは、熱帯の泥炭地が広がる、インドネシア中部のカリマンタン州で、3種類の代表的な生態系を選び、8年ほどにわたってデータをとり、詳しく解析しました。シベリアなど寒帯の泥炭は草からできていますが、熱帯の泥炭は、草よりも分解しにくい樹木からできています。
3種類の生態系とは?
一つは、熱帯泥炭地にある森林で、人の手によって環境が攪乱されていない生態系です。湿地で、雨季には地面のうえに10~15センチくらい水が溜まります。乾季になったら普通の靴でも歩けますが、くぼ地に足を入れるとズボズボと沈みます。下の写真のように、高さ25メートルほどの樹がうっそうとしげっています。
(高さ約40メートルの鉄塔の上から。右手前に見えるのは、鉄塔の上に取り付けられた測定装置です)
二つ目は、排水された泥炭地にある森林です(下の写真)。右上のほうに、斜めに走る排水路があります。
(オレンジ色の測定用鉄塔。高圧送電線用の鉄塔を現地の人に建ててもらいました)
三つ目は、排水された泥炭地で、なおかつ、そこにあった森林が火災に遭った生態系です。三つの中でもっとも環境攪乱が進んだ生態系です。
(ここでは、高さ約4メートルの鉄塔に測定装置を取り付けます)
それぞれの地点で、泥炭とその上に存在する森林が、森林の上にある大気との間で、二酸化炭素をやりとりする様子を連続的に調べました。そして1年間の正味のやりとりを計算すると、なんと下のグラフのように、どの地点でも二酸化炭素を大気に放出していました。森林生態系が、二酸化炭素の吸収源(シンク)ではなく、放出源(ソース)になっているのです。しかも、森林への攪乱が進むにつれて、放出量が大きくなっています。
(年間の二酸化炭素放出量(4年間の平均)を、炭素の量に換算して表示しています。攪乱されていない森林でも、年間を通してみると二酸化炭素を大気中に放出しています。平野さん提供のデータをもとに作成。)
排水されただけで二酸化炭素の放出量が増えるのは、なぜですか
地面の上を覆っていた水がなくなると、空気中の酸素が土壌の中に入っていきます。すると、酸素のあるところで活動する微生物(好気性の微生物)が、泥炭を分解し始めます。その結果、土壌から出てくる二酸化炭素が増えるのです。
そのことは、さきの3つの地点で、地下水の水位と二酸化炭素の正味の放出量とを、年ごとに調べた結果にも表われています。どの地点でも、地下水の水位が低い年には二酸化炭素の放出量が多くなっています。
(横軸の地下水位は、1年間の平均値です。平野さん提供のデータをもとに作成)
さらに、グラフには示していませんが、エルニーニョ現象が起きた年には、二酸化炭素の放出量が多いということがわかりました。エルニーニョが起きると、年間の総雨量はふだんの年と変わらないのですが、雨季の始まりが遅くなり乾季の期間が長くなります。そのぶん地下水位の低い時期が長く続いて、二酸化炭素の年間放出量が増えるのだと考えられます。
なお、地下水位が下がって乾燥すると火事が起きやすくなります。火事が起きると煙が森林をおおい日射量が減ります。すると光合成が低下し二酸化炭素があまり吸収されなくなりますから、結果として二酸化炭素の正味の放出量が増えます。こうした火事の影響も観測データには混じっています。
森林生態系と大気がやりとりする二酸化炭素の量は、どうやって測るのですか
赤外線を利用して二酸化炭素の濃度を測定する装置と、超音波を利用して風速を測定する装置を使います。森林の中に建てたタワーの上にこれらを据え付けて、時々刻々の上下方向の風速と二酸化炭素の濃度が変動する様子をずっと測定し、データを蓄積していきます。
(二酸化炭素の濃度を測定する赤外線ガス分析器。必要な電源は太陽光パネルで得ます。)
年に4~5回、現地に行ってデータを回収し、それをパソコンで解析すると、森林生態系が大気とやりとりする正味の二酸化炭素量を求めることができます。観測機器やパソコンが進歩したおかげで1990年ころから急速に普及した方法(渦相関法)です。
現地へ行くには、成田からジャカルタを経由して、カリマンタン州の州都パランカラヤまで飛びます。観測地近くの町に泊まり、そこから観測地点までは、まず車で、ついでバイクに乗ってあぜ道を走り、合計1時間半ほど。生態学の研究のように、ずっと森に入って木の太さを測ったりするわけではありませんから、1回の出張は1週間ほどです。
今回の研究は、どのように発展していくのでしょうか
いま、つくば市にある国立環境研究所と協力し、熱帯泥炭地の炭素収支を見積もることができる「陸域生態系モデル」の開発に取りかかっています。モデルを作るのに、また作ったモデルが適切かどうかを判断するのに、私たちのデータが役立ちます。
また、人工衛星から熱帯泥炭地の地下水位を推定する方法と組み合わせれば、もっと広い地域、たとえばカリマンタン州全体の泥炭地が、二酸化炭素をどれだけ放出しているかを見積もることができると考えています。
(アブラヤシを栽培するプランテーション)
インドネシアでは最近、アブラヤシの栽培が政府によって奨励されています。果実から得られる油、パームオイルの商品価値に期待してのことです。それに伴い、熱帯泥炭地の森林にますます開発の波が押し寄せ、乾燥化が進む一因となっています。アブラヤシを栽培するには地下水の水位を下げないといけないからです。
熱帯泥炭地の問題は、今後も重要であり続けるでしょう。大学院の博士課程に、インドネシアからの留学生がいますので、今後は彼にも頑張ってもらおうと思っています。
※ ここに掲載したインドネシア現地での写真は、すべて平野高司さんに提供していただいたものです。