「サンプリングは沼や湿原に入って行います。ガラスのスポイトで吸い上げて、ルーペで見て、『あ、いた、いた』っていうあの時、非常に感動がありますね。」
ルーペでのぞき込むジェスチャーをしながらにこにことそう語ったのは、洞爺臨湖実験所の所長を務める傳法隆さん(北方生物圏フィールド科学センター助教)。その感動の対象は「ミカヅキモ」と呼ばれる小さな藻類です。小さいながらも傳法さんを虜にするミカヅキモとは?その魅力はいったい…?洞爺湖3部作、第1回に続く第2回は、洞爺臨湖実験所を支える傳法さんとその研究に迫ります。
【中谷操希・CoSTEP本科生/生命科学院修士1年】
正確に分類することは細かい解像度で世界をはっきり見ることにつながる
自身の研究分野を「非常にマイナーな分野の、さらにマイナーな分野」と表する傳法さん。その研究内容はミカヅキモの分類です。一口にミカヅキモと言っても、その中にはさまざまな種が含まれています。それらの種は従来、見た目によって分けられてきました。しかしその特徴の曖昧さから、同種とされてきた中に実は別の種が混ざっているという問題が出てきたのです。分類によって種をきちんと理解することは、生態系を正確に把握することにつながります。生態系というのは、ある場所におけるさまざまな生物や環境のことです。生態系の中では生物同士はもちろん、生物と環境の間でも互いに影響を与え合っています。複雑な生態系を理解するには、それを構成する一つひとつを知らなくてはなりません。生物や環境という個々の要素がはっきり見えることで、さらに生態系をよく知ることができるのです。
なぜミカヅキモなのか:その面白さ
傳法さんは、ミカヅキモのDNAを使って、その種の分類とともにミカヅキモの進化を研究しています。どの種類が古くからあって、どの種類が比較的新しく生まれたのか知ることによって、面白いことが分かってくるというのです。
ミカヅキモが子孫を残す方法は、4種類あります。1つは無性生殖と呼ばれる、いわゆる分裂です。通常、ミカヅキモは1個体が2個体になる二分裂によって増えます。この場合、子孫と親の遺伝情報は全く同じです。しかし環境が悪くなると、遺伝情報を多様化して生き残りやすくするため、繁殖相手を必要とする有性生殖を行います。ミカヅキモの有性生殖には3種類あり、ホモタリズム、ヘテロタリズム、単為生殖と呼ばれています。ホモタリズムでは同種であれば配偶相手を選びませんが、ヘテロタリズムでは個体にオスとメスのような違いがあり、違うもの同士でないと子孫を残せません。また、単為生殖の種は相手を必要とせず、自分だけで遺伝情報の異なる子孫を残すことができます。
傳法さんの研究から、ミカヅキモの有性生殖はホモタリズムからヘテロタリズム、ヘテロタリズムから単為生殖へと進化する傾向がみられるということが分かりました。つまり、古い種では同種相手に生殖し、中間の種ではオスメスのような2種類の細胞が見られ、新しい種では相手を必要とせずに自身と遺伝情報が異なる子孫を残すというのです。どこにどんな種がいるのかを知る分類学のアプローチによって、子孫の残し方や性に関わる進化を見ることができ、さらにはある種が他の種から離れて確立した過程まで追うことができる、そんなところに傳法さんは面白さを感じるのだと言います。
ミカヅキモ研究に適した土地・北海道と、その拠点・洞爺臨湖実験所
ミカヅキモは沼や湿原、池などの、古くからある常に淡水が存在するところに生息しています。湖沼や湿原が多い北海道は、ミカヅキモを研究するのに最適な土地と言えるでしょう。その中に位置する淡水の研究施設、洞爺臨湖実験所は、ミカヅキモ研究の拠点としてまさにうってつけの場所なのです。実は洞爺湖内にはミカヅキモはほとんど棲んでいません。しかし、その湖畔に位置する実験所の室内には、道内各地や海外から藻類たちが運んでこられ、所狭しと並んでいます。ライトが当たりキラキラと輝くその姿は、まるで宝石のように美しく、思わず息をのみました。
北の所長さんは研究がお好き
山形大学での学生時代は理学部の生物学科で学び、その頃から研究が好きだったと語る傳法さん。国家公務員として大学に就職した後もその熱意は薄れず、研究できる機会をうかがっていたといいます。
「就職してすぐは大学でラジオアイソトープの取り扱いをしていました。でも、北海道の室蘭臨海実験所で実験できる技官を探しているよって話が来たときに、転勤して海を渡ってきました。研究自体がすごく好きで。最初は磯焼けの研究をしていましたが、そこの所長が淡水藻を研究していた市村輝宜教授に変わったときに、その下に移ってミカヅキモの研究をお手伝いするようになりました。市村先生が退官したときに、培養株などをすべて引き継いで、今もその研究を続けています。」
きれいに整理された実験室、几帳面な字で書かれたラベル…洞爺臨湖実験所のあちこちから、傳法さんの真面目なお人柄が感じられます。国内にも4施設しかない国立大学の臨湖実験所。その最北端の施設を洞爺湖のほとりで所長として守り続けているのです。
洞爺湖と有珠山、そして小さきものたちの研究
傳法さんの研究対象はミカヅキモにとどまらず、ミジンコから魚類まで、洞爺湖の食物網にも及びます。実験所のある洞爺湖は、火山活動によってできたカルデラ湖です。近くには20年から30年に1回の周期で噴火する有珠山や、有珠山の火山活動で誕生した昭和新山といった火山があり、噴火のたびにその影響を受けています。さらには温泉街からの排水や発電所、ダムの建設などによる人為的な影響を受けてきたという歴史も持つ湖です。この湖の中でどのような食物連鎖が起こっているのか、過去からの変化はあるのか、その変化は何によるものなのか、ということを調べることによって、湖の環境に人間の暮らしや火山活動がどのように関わってきたのかを知ることができます。特に火山活動の影響の解明については、短い周期で規則的に噴火する稀有な特徴によって変化の観測がしやすく、洞爺湖で明らかになったことが世界のカルデラ湖の研究で参考にされています。
この有珠山の特徴的な活動を通じて明らかになるのは、湖への影響だけではありません。洞爺湖三部作の最終回は、北海道大学の噴火予知研究と地元の方の火山との暮らしに焦点を当てて紹介していきます。