「今年最初のマスが帰ってきた!」の声に、急いで飛び出し魚道へ。流水の奥底に目をこらすと淡いピンク色の魚影が見えました。サクラマスです。時間にして数分の格闘の末、網で捕獲し確認すると、ヒレに目印となる切れ目が入っていました。それは、この洞爺湖に面した実験所の魚道で放たれて、自らの故郷に戻ってきたサクラマスであることを示していました。
【福嶋篤・CoSTEP本科生/社会人】
洞爺湖と有珠山の人々と環境を巡る旅
2017年9月中旬、私たちは、2日間の日程で洞爺湖周辺の取材に向かいました。これから3編にわたって、洞爺湖と有珠山の人々と環境、そして北大との関わりについてお伝えします。第1回は、北海道大学の施設である、北方生物圏フィールド科学センター水園ステーション「洞爺湖臨湖実験所」のご紹介です。
初日、私たちは札幌市内から車で移動し、洞爺湖の西に位置する洞爺臨湖実験所を訪れました。実験所では敷地内にある施設で一泊して取材を行いました。冒頭のサクラマスは2日目の朝、「まさか、こんな瞬間に立ち会えるとは!」と誰もが思った、奇跡的な出会いでした。
国内でも少ない臨湖実験所
「臨湖実験所」は国内大学の附属施設として4箇所あります。茨城県北浦の南西岸に位置する茨城大学広域水圏環境科学教育研究センター、諏訪湖畔に位置する信州大学山地水環境教育センター、琵琶湖のある滋賀県大津市にある京都大学生態学研究センター、そして今回訪れた洞爺臨湖実験所です。東北以北では、唯一の臨湖実験所となります。
実験所の施設紹介
洞爺臨湖実験所は洞爺湖畔に位置しており、周辺には有珠山や北海道有数の観光地である洞爺湖温泉街があります。また洞爺湖は有珠山の噴火により生まれたカルデラ湖として有名で、その面積は国内で9番目(カルデラ湖としては3番目)に大きい湖として知られています。そんな洞爺湖の自然に囲まれた実験所では所長の傳法隆さんと技術職員の阿達大輔さん、そして事務職員の東條智美さんの3名が勤務されています。敷地内には、学生実習室や実験室が入った管理研究棟の他、孵化室や水槽といった養魚施設があります。孵化室では孵化レーンが8レーン並んで設置されており、ここでヒメマスやサクラマスの卵を孵化させ、稚魚を育てます。稚魚が大きく育つと、孵化室を出たところに並んでいるFRP円形水槽(直径1.6m、16基)や大型円形水槽(直径5m、3基)に移されます。私たちも水槽の中を泳ぐたくさんのヒメマスやサクラマスを目にすることができました。
サクラマスはいたずら好き!?
「朝と夕方はサクラマス、そして昼はヒメマスに餌をやるんです。サクラマスは他の魚の尻尾に噛み付いていたずらするんですね。そうすると、尻尾がボロボロになっちゃう。ヒメマスはあまりそういうことはしないんですけど。」
阿達さんは私たちに説明をしながら、慣れた足取りで次から次へと水槽を移動しながら、手際よく流れるように水槽内に餌を撒く作業をしていました。阿達さんによると、サクラマスは魚食のため、他の魚の尻尾を噛んでいたずらすることがあり、それを防ぐために餌の回数を1日朝と夕方の2回にしているそうです。対してヒメマスへの餌やりは1日に昼の1回のみとなっているそうです。
洞爺臨湖実験所には魚道がある!
そして、なんと言ってもこの実験所一番の強みは、全長40mの“魚道”です。本文の冒頭でサクラマスが帰ってきた“魚道”を持つ施設は洞爺臨湖実験所のみです。この魚道は人工河川として洞爺湖と養魚施設の間に2011年3月に設置されたもので、国内で魚道を用いたヒメマスやサクラマスの母川回帰の研究はここでしかできません。
母川回帰とは、サケマスが海で成長したあと、産卵のため生まれた川へと帰ってくることです。この能力、母川回帰能に着目して、いろいろな試験処理を施したヒメマスやサクラマスの稚魚の腹びれなどを切除することによって目印をつけて魚道へと放流し、その試験処理による母川回帰能への影響を解析するといった研究が進められています。実験所では主にヒメマスやサクラマスが養殖されており、実験所で行われる研究に活用されています。
人工と自然の融合
実際に魚道を目にして、「思ったよりも強い勢いで水が流れているな」という印象を持ちました。勢いよく流れる水は洞爺湖へとつながっています。ヒメマスやサクラマスはこの強い水の勢いに逆らって帰ってくるのです。魚道には等間隔に木の板が配置されていました。木の板は魚道の全てを塞ぐことはせず、3分の1程度の隙間が設けられています。その狭められた隙間に押しやられた水は勢いを強くして流れていきます。一方、木の板で仕切られた空間は水の流れがほとんどなく穏やかです。これは帰ってきたヒメマスやサクラマスが、過酷な魚道の川を登ってくるときに、一休みするために設けられています。
実験所の魚道はこのように計算された設計がなされている特徴を持ち、まさに人間がつくった人工的な河川だと感じました。同時に、故郷へと帰ってくるヒメマスやサクラマスが休む空間があるところは、人間的な優しさの一面も兼ね備えているように見えました。また、等間隔に並ぶ木の板の一部には苔が生えており、その姿は自然の中に溶け込んでいるようで、人工と自然が融合した不思議な存在感がありました。
洞爺湖の恵まれた環境
魚道の他にも、洞爺臨湖実験所は貴重な研究環境となっており、現在、日本大学など日本各地の研究者が洞爺臨湖実験所を利用しています。洞爺湖は、もともと湖水中の窒素やリンの濃度がそれぞれ1リットルあたり0.15mgと0.003mgと非常に低い貧栄養湖なのですが、有珠山の周期的な噴火があるため、そのたびに湖水環境が変化し、生物資源へ様々な影響を与えてきました。窒素やリンを栄養とする植物プランクトンの量は湖水環境に影響を受け、増減が生じます。すると当然、植物プランクトンを食べる動物プランクトン、さらには動物プランクトンを食べるヒメマスやサクラマスの生態にも影響が出てきます。つまり洞爺湖は、湖の生物資源を調査する人にとって、世界でも類を見ない研究環境であると言えます。
このような恵まれた環境での研究は、傳法さんや阿達さんによる毎日の下支えがあってこそ成り立っています。1年365日、マスへの餌やりなどを欠かすことなく続けているため、孵化したヒメマスや水槽で泳ぐサクラマスが成長していくことができます。特に冬場の寒さがたいへんだと阿達さんは話していました。「除雪なんかは体を動かすので、ポカポカしてくるけど、やっぱり湖の寒さがこたえますね。毎年、冬には吹雪いていても調査のために刺し網をかけるんですけど、その寒さが一番たいへんですね。傳法先生もそう感じていると思いますけど。」
もっと実験所の活用を!
また、実験所では研究活動のほか、教育活動にも取り組んでいます。具体的には、北大全学1年生を対象とした「海と湖と火山と森林の自然(フレッシュマン実習)」や、北大水産学部3年生を対象として実習なども行われています。しかし、現状、北大関係者の利用は少ないようです。
せっかくこのような貴重な施設があるのだから、北大の研究者や学生によって、教育・研究活動にもっと活用されないのは本当にもったいないと思いました。洞爺臨湖実験所の特長や魅力が知られることで、北大関係者にもっと活用されるようになれば、北大と洞爺臨湖実験所の両者にとってwin-winなんじゃないか、そんな将来が現実になると素晴らしいのではないでしょうか。
第2回では、傳法さんの研究と人柄にスポットをあて、ご紹介します。