「北大に入った動機は、高校時代に何か動物に関わる仕事がしたいと漠然と考えていたからです。あとはスキーです。高校時代はスキー部でした。だから迷わず北大を選びました」と笑顔で話すのは、現在、慶應イノベーション・イニシアティブでベンチャーキャピタリストとして活躍する鳥居優人(とりい・ゆうと)さんです。鳥居さんは2008年に北大獣医学部を卒業後、東京の動物病院で獣医師として、ファーストキャリアをスタートさせました。獣医師からなぜ、ベンチャーキャピタリストとして金融の世界に入ったのか。そこに至るまでの経緯を鳥居さんにじっくりお聞きしました。
【千脇美香・ 産学・地域協働推進機構 産学協働マネージャー/いいね!Hokudai特派員】
スキー三昧の学生から獣医師へ
「大学時代はエレガントスキー部に所属していました。11月から5月までがスキーシーズンです。大体100〜120日くらいは滑りに行ってましたね。大学もスキーウエアを着て行ってました」と鳥居さん。テスト前にノートを見せてくれた友人には、今でも頭が上がらないといいます。当時40人いる同級生の中で小動物の獣医師になるのは2、3人ほどで、多くが大学院への進学や、製薬企業に就職していきました。
鳥居さんは「大自然に囲まれた北大ならではの環境で、卒業後のキャリアをあまり意識することなく学生生活を送り、高校生の時に漠然と思っていた動物業界での仕事につきました」と話します。そして、獣医師時代に参加したNPO法人でのボランティア活動がきっかけで、ビジネスの世界に興味を持つことになります。
ビジネスへの興味はNPOでのボランティア経験
「当時日本では年間15万頭ぐらいの犬猫が殺処分されていました。そのほとんどが、飼い主が飼えなくなったのではなく、産業構造上生まれてきた子犬子猫達なんです。一部のブリーダーが大量に生産して、セリに落ちた子だけがペットショップに行き飼い主が見つかる。そこに行けなかった子たちは小さなまま、保健所で殺処分されるという現実がありました。非倫理的な理由です。動物福祉の観点では、日本はめちゃくちゃ途上国だったんです。学生時代はその現実を全く知りませんでした。じゃあ、海外はどういう状況かというと、たとえばドイツでは1頭も殺処分されていないんです。その辺りに憤りを感じて、自分に何かできることはないかと考えたのが、NPOの手伝いでした」。
NPOでは、保健所で殺処分される運命の子犬子猫達を引き取り、きれいにして再教育し、新しい飼い主を探す支援の手伝いをしていたといいます。
「NPOの運営費は年間140万円くらいで、ボランティアベースでの運営がほとんどでした。とても意義のある活動でしたが、このままボランティアで活動していても限界があります。もっと構造自体を変えて、システマチックに行う。持続可能性を考え、ビジネスモデルとして成り立たないと、構造改革は難しいと感じました」。
鳥居さんは、NPO活動をきっかけにビジネスの勉強に興味を抱きました。また、自分の人生のキャリアプランを考えた時、獣医師という仕事が自分の一生の仕事ではないという感覚があり、転職を決意したと話します。
「当時の僕はビジネス=営業としか思っていませんでした。獣医師というニッチな理系のバックグラウンドに加えて、大学時代は雪山にばかり行っていたので、持っている情報量が極端に少なかったと思います。当時から色々な情報収集や出会いができていれば、修士への進学、MBA、コンサルなど、違うキャリアプランもあったのかもしれません。ただ、遠回りながら今キャピタリストとして仕事ができているのは、営業からビジネスキャリアをスタートしたことが、自分にとっては重要なパスだったと思います」。
医薬品の営業・マーケティングを経てMBAを取得、さらに経営企画へ
2010年8月に製薬企業大手の日本イーライリリーに転職した鳥居さんは、転職後、営業として4年間、マーケティング部門で3年間、その後、会社の派遣プログラムでスペインのMBAコースで2年間学びました。帰国後は同社のアニマルヘルスケア部門のエランコへ出向する予定でしたが、2018年に同社がアニマルヘルス部門を分離したことを機にエランコへ転籍、経営企画を担う社長室に所属することになりました。
「会社として独立したばかりのタイミングで、主に三つのプロジェクトを担当していました。ひとつは韓国市場の事業戦略の見直しです。製品ポートフォリオや商流設計、組織体制などが焦点でした。ふたつ目はインフラの整備です。イーライリリーからの独立前は、調達や生産などのサプライチェーン、販売や会計、人事やI Tに至るまで、業務管理のインフラは全てイーライリリーのシステムに則って行っていたものを、エランコ独自で作らなければなりません。明日給料日という時に、本当に給与が振り込まれるのかドキドキしたことを覚えています。三つ目は、バイエルアニマルヘルス部門の統合の準備です。会社の独立プロジェクトと他社との合併プロジェクトが同時に走る劇的なタイミングでした」。
1年弱で数年間分の仕事を経験した鳥居さんは、MBAで共に学んだ親友から言われた「ベンチャーキャピタリストに向いている」の一言が忘れられず、2020年にキャピタリストという仕事へキャリアを進めることになります。
製薬企業での経験を活かし、大学系のベンチャーキャピタルへ転職
現在、鳥居さんは慶應義塾大学のベンチャーキャピタルである慶應イノベーション・イニシアティブで活躍しています。
「獣医師、製薬企業と、一見遠回りに見えるような道を経て、今はキャピタリストとしてスタートアップを支援しています。特に会社の価値を向上させるところでは、保有する基盤技術の価値は何なのか、誰にとっての価値なのか。その対象の顧客に対して、どのようなタイミング、チャネル、メッセージで価値を伝えるべきなのかなど、イーライリリー時代に経験したことが役立っています。事業会社での実務を経験してきたことで、キャピタリストとして、会社の成長を意識しながら、事業計画書の作成や経営計画のアドバイスができます。今、バイオヘルスに投資しているベンチャーキャピタルの世界では、製薬企業出身のバックグラウンドを持ったキャピタリストの需要がとてもあります。でも、研究や開発部門出身の方が多く、コマーシャル部門、特にMR(営業)の出身者は僕一人くらいかもしれません」。
「創薬ベンチャーにとっての医薬品開発は、非臨床試験のデータ取得や、医薬品としての製造、ヒトを対象とした臨床試験のフェーズⅠあたりが中心で、ここがベンチャーキャピタルの支援対象になります。医薬品開発の後半にあたる製品を売り出すために行う大規模な臨床試験やその後の販売を担うのは、ライセンス導出先や売却先である大手製薬企業であることが多いです。とは言え、何のために薬が必要なのか、誰のためにどのような薬が必要なのか、既存の治療手段がたくさんある中でどのように開発を進めていけば、ペイシェントジャーニー1)や治療アルゴリズム2)にポジティブな変化をもたらす勝ち筋のある開発プランとなるのか、創薬ベンチャーがより早期の段階から考えることが重要だと思います。営業と経営企画出身の自分だからこそ、説得力をもって起業家の方と検討できると思っています」。
(鳥居さんは北大でも招聘されてお仕事をしています。写真は学生のアントレプレナー教育を行う「北大テックガレージ」でレクチャーを行う様子)
ベンチャーキャピタルの仕事、そして北海道への想い
「私のベンチャーキャピタルでの仕事は、価値のある研究や、世の中に送り出すべきシーズと出会い、それが将来患者さんを救う医薬品や医療機器になることを支援する仕事で、0→1に近い仕事です。今までの医薬品業界で培った様々な役割での経験をベンチャーキャピタルの世界で活かしていきたいと思います」。
鳥居さんは、転職から今現在に至る2年半で5社へ投資を実行し、そのうち2社では社外取締役として起業家と一緒になり、会社の成長と研究の社会実装を目指しています。
「投資したベンチャーの成功を支援するのがキャピタリストの仕事です。今は投資先を増やして、一つでも多くの研究の社会実装を支援したいと思っています。キャピタリストにとっての投資先の成功とは、短期的にはエグジット、つまりIPOするかM&Aで企業に買収されるかです3)。しかし、支援していた会社がIPOやM&Aをしてから、薬として患者さんに投与できるようになるまでには、その後数年から長いときは10年間くらい、臨床試験や薬事申請などを経なければなりません。その間キャピタリストとしては支援ができませんが、自分が関わった企業から出た技術が、製品として上市されるのを見届けることができたら、感無量だと思います」。
最後に北海道、北大の魅力と学生への想いを鳥居さんは語ってくれました。
「この4月から札幌に住んでいます。久しぶりに北海道に帰ってきて、人の温かさや 自然環境の素晴らしさをあらためて実感しています。都会に住んでいながら山が近くに感じることができ、海もそう遠くはなく、ご飯もおいしい。自転車で走っているだけでいつも幸せを感じます。道外でいろいろな経験をして、また北海道に帰ってきたからわかることですが、東京ナイズされたり比較したりすることなく、大自然の中で学ぶことができる北大らしい学生生活を送ってほしいです。多様性の話と近いですが、同じような考えやアイディアばかり集まってもビジネスとしては成立しません。北大らしさを追及して、いろいろな考え方の人に触れてもらいたいと思います」。
注
- ペイシェントジャーニーとは、病気を認識したときから診断や治療、完治、または終末期、看取りまでに患者が体験する医療的・心理的・経済的・社会的な体験。
- 治療アルゴリズムとは、ガイドライン等に沿った治療選択の決定基準。
- IPOとは、Initial Public Offeringの略語。証券取引所に上場する企業の未公開株を誰でも株取引が可能になり、売買可能にすること。M&Aとは、企業買収の総称。「Mergers(合併) and Acquisitions(買収)」。買収企業が被買収企業の支配権を獲得し、吸収したり、傘下に収めたりすること。