一台の診察車を武器に、大動物臨床医師として広大な北海道の土地を診察してまわる石井さん。人のように自分の足で病院までこられない大動物。彼らを診療するために、車に積んだ薬品・検査器具は、診療に使える全ての武器なのです。
ご自身の息子さんと同じくらいの学生達に向けて、授業「大学と社会」で講義をするために北大にきてくださいました。
1台の車を武器に、広大な北海道の土地を診察してまわる
NOSAI(釧路地区農業共済組合)に勤めて34年になり、そのうち25年間、臨床獣医師として臨床経験をしてきました。大動物臨床獣医師の仕事は、主に依頼を受けて往診による診療を行います。地域にある病気の全てを一人の獣医師が診るので、牛の病気なら何でも見なければいければなりません。365日24時間の仕事。吹雪でもマイナス20度でも出て行かなければならない仕事です。小動物臨床獣医師とは病気を治すという点で共通していますが、診療する産業動物は飼主の「生活の糧」であり「生業」である点では、かわいいので飼われている小動物とは大きく違います。
文系だった高校生時代
何かしようとしても、否定的な高校生でした。高校3年生の「啓示の1日」までは。つい2週間前も、大学3年生の息子とお店でしゃぶしゃぶを食べながら話していたのですが。息子の話にもあれだ、これだと否定的な言葉が浮かんできて、変わっていないなぁ、と思ったところですよ。わたしは文系の高校生だったので、倫理社会の授業でおもしろい!と、「血が沸騰」し、政治学でレポートを書くのも面白い!と夢中でした。将来の職業について真剣に考えていましたが、個々の職業選択では否定論が先立っていました。そんな頃、お世話になっていた倫理社会の先生に言われたのが「何か肯定的価値について話してみろ!」でした。
「啓示の1日」。釘付けになった1枚の写真
今でも忘れない高校3年生の2月、1枚の写真に釘付けになりました。小学校から競馬が好きな友人がいて、その影響で読んでいた競馬雑誌の記事「サラブレッドその誕生からデビューまで」中に、馬の診断をしている獣医師の写真を見つけたのです。目が釘付けになって離れませんでした。獣医師が手にビニールの手袋をして馬の肛門から手を入れ、子宮や卵巣の診断をしている写真。しばらくみて、突然、「獣医師になろう!」と思いました。自分の身体で、指先で、五感で感じて診断し、即物的リアリティの傍らで仕事をすることが、自分の救いになるような気がして魅力を感じたのです。
事実をどう解釈するかについて論争して楽しんでいる自分や同級生に嫌気がさして。そこに流されないようにするには、どこかにつかまらなければという気持ちがありました。つかまる杭は、「即物的リアリティ」もしくは「身体で覚える何か」なのではないか、私は、その時に思ったのです。「何か肯定的価値について話してみろ!」と言った先生。「先生、私はここにつかまっていけるよ」とそのとき言い返せる気がしました。ここまでが私の職業選択の一部始終です。
その後、「犬も猫も飼ったことがないあんたが何を言っているのか」と猛烈に反対する親を説得し、高校の恩師の支援も受けながら北大獣医学部に入学しました。
高校生の石井さんが、釘付けになった写真
仕事が終わってからの仕事
冒頭に述べましたが、大動物臨床は往診が中心です。診療所を中心にある一方面の地区の農家を担当します。すべてにわたり一定水準以上の診療能力を求められます。一方で、「深い井戸」を掘りたい気持ちもありました。自分にとって興味の持てることを探求したい。それは私にとって「蹄病」でした。
蹄病について、ご自身の靴を使って説明します
深い井戸を掘る
牛の蹄に穴が空き、そこにばい菌がはいって非常に痛いのが蹄病です。治らない、治す方法がわからない、そもそもなんでこの病気になるのかわからない!と、1年目の臨床獣医師として治療が苦手だった蹄病。分からなければどうするのか。仕事の後、図書館に行ってテキストを探しました。勉強会に参加して英語で書いている論文を読みました。ここでまた、1枚の写真に目が釘付けになります。どうも私は写真に釘付けになると人生が変わるようですね。蹄病は虫歯のようなものだと思っていたのに違ったのです。釘を踏んづけてできる踏み穴のような単純な病気ではないということがわかりました。
1枚の写真から頭の中がグルグルし、もっと知りたい、と大学に残っていた同級生に手紙を書いて必要な論文を郵送してもらいました。新しい知識が増えると、さらに分からないことが出てきます。それは、疑問が疑問をよぶものでした。学生時代に勉強をしなかった自分がどんどん勉強をするようになっていく。不思議ですね。でも、わたしは楽しくて楽しくて、仕方がなかったのです。
興味が、自分の世界を広げていく
1990年には、内容がおもしろくて和訳していた「Cattle Footcare and Claw Trimming」という英語の本が、私の翻訳を使って出版されることもありました。その年、リバプールで開催された第6回国際蹄病学会に行かないかと誘われました。みんなが言っていることが論文などを読んで理解できなかった私は、自分の不勉強が原因だろうと思いました。しかし、発表後の討論でトップ研究者が「みんな」に反論したのは、まさに私と同じ疑問だったのです。おもしろい。ますます蹄病のおもしろさに惹かれました。
ひとつの「世界」
講義の準備をしていて私の中で整理されてきたことがあります。獣医師も蹄病も、ひとつの「世界」でした。もともと、どんな獣医になろうかは考えていなかったわたしが、やってきた世界を読み、行動することで、経験を積んで自分が受け入れる世界に出会いました。分からないことがあれば、論文を読み、人にも聞き、自分も講演会をして、その世界をひたすら読み続けてこうしてきました。
みなさんがそれぞれ育ってきた環境やキャラクター、能力。その中でどう思って、選択していくのか。目の前に現れる世界をどう読むのか。どの世界にもどこまでほっても掘りきれない無限の深さがあると思います。
世界は単純にやってくるのではありません。悶々とした学生生活の中に待ち構えていたかもしれないし、悔しい思いによって蹄病への勉強に向かったように待ち構えられていたのかもしれません。たった1枚の写真に釘付けになったように、そのときの感性が影響しているかもしれません。その世界を行動するために決して逃げないでください。
「自分で考えて下さい。どうしたいか。何をしたいか。それは、一人ひとり違うのですから。」
最後まで質問に残る学生にも一人ひとり丁寧に答える石井さん
「夜は、「まるた(旧名:きよた)」で懇親会をするのでぜひ来て下さい。」といたずらな笑顔で学生に呼びかけられました。