「あと5分だけ」とSNSを見続け、気づけば深夜。仕事や課題は締め切り直前にならないとやる気が出ない。部屋の掃除を始めたはずなのに、昔のアルバムを読みふけっている。
皆さんは、このような合理的でない行動をしてしまった経験はありますか?実は、こうした人間の「合理的ではない選択や行動」を、心の仕組みから解き明かそうとする学問が「行動経済学」です。
そこで今回は、北海道大学文学研究院で行動経済学を研究されている高橋泰城さんに、どのような研究を行われているのか伺いました。

意思決定の不思議なメカニズム
行動経済学とは、人間が必ずしも合理的な行動や決定をするわけではないという側面に注目し、その判断や意思決定の背後にある心理的、あるいは神経科学的なメカニズムを解明しようとする学問分野です。例えば、研究対象となる「合理的とは限らない行動」のわかりやすい例が「依存症」です。かつてはタバコがやめられないといった問題が一般的でしたが、現代ではSNS依存症などが、大学生をはじめとする若い世代の間でも深刻な問題として取り上げられています。
「その行動は果たして合理的なのだろうか?」「もし合理的ではないとしたら、私たちの心や脳の仕組みにおいて、どのようなプロセスで意思決定が行われているのだろうか?」行動経済学では、こうした問いを紐解いていきます。そして、このメカニズムを解明することによって、依存症の治療法を見つけ出したり、効果的な学習プロセスを構築したり、あるいは社会的な問題の修正へと繋げていこうというアプローチが、現在盛んに行われています。
行動経済学研究の3つの大きな柱
行動経済学の研究には、大きく分けて3つの要素があります。それが①時間、②リスク(不確実性)、そして③社会性(対人関係)です。これらは互いに深く関連し合いながら、人間のリアルな意思決定を解き明かす鍵となっています。
①「今すぐ」の誘惑に勝てるか? —— 時間とセルフコントロール
1つ目の柱は、「時間」が関わる判断や意思決定です。学術的には「時間割引」と呼ばれ、特に「セルフコントロール(自己制御)」の問題と強く結びついています。ここでは、「後で良いことがあると分かっていても、今すぐ我慢できない」という葛藤や、目の前の衝動を優先してしまう行動を扱います。単なる好みの問題ではなく、健康に悪いと分かっていても抜け出せない依存症など、深刻な「不合理さ」のメカニズムに迫ります。
②損と分かっていても買ってしまう——リスクと不確実性
2つ目の柱は、「不確実性」や「リスク」をめぐる意思決定です。伝統的な経済学では、確率に基づく合理的な判断が数学的に証明されています。しかし現実の人間は、当たる確率を過大評価してしまって宝くじを大量に買ったり、必要な保険に入らない一方で不要な過剰保険にお金を払い続けたりと、全く異なる判断を下してしまいます。人間の「不確実な状況で見せる不合理さ」を心や脳の働きから探ります。
③効率よりも「みんな平等」を選ぶ?——社会的意志決定
3つ目の柱が、利他性や公平性をめぐる「社会的な意思決定」です。伝統的な経済学では、頑張った人に多くの報酬を渡して生産性を上げる「効率性重視」が、社会全体を豊かにする合理的な選択とされます。しかし人間は、社会全体の取り分が減って貧しくなったとしても「格差の少ない平等な社会の方が心地よい」と感じ、効率よりも感情的に不平等を回避しようとすることがあります。このような「公平性と不平等」をめぐる心や脳の神経メカニズムも、重要な研究テーマです。
時間は意思決定を揺さぶる?
私たちの日常は、「今すぐ」と「将来」の選択の連続です。例えば「今すぐ遊ぶか、テストのために勉強するか」「今夜ラーメンを食べるか、将来の健康のために我慢するか」。こうした選択のカギを握るのが、研究の1つ目の柱でもある「時間」の要素です。時間の経過とともに価値が下がる現象である「時間割引」について、2つのアプローチが行われています。
1.「せっかちさ」を抑える臨床・実践的アプローチ
将来の価値が減る速度(時間割引率)が極端に速いと、目先の快楽を優先して依存症や人生設計の崩壊に繋がりかねません。医学や公衆衛生、教育学などの分野では、将来の破滅や不利益を防ぐために、治療や教育を通じてこの「せっかちさ」をコントロールし、割引率を低く修正しようと考えます。
2.「計画倒れ」を解き明かす行動経済学的アプローチ
問題なのは単なる「せっかちさ」ではなく、「時間の経過によって選択が揺らいでしまうこと(時間非整合性・選好の逆転)」だという捉え方です。「将来のために貯蓄しよう」と計画していたのに、いざその時が来ると「今すぐ贅沢したい」と自分で計画を破ってしまう心理や脳のメカニズムを解明し、人間の行動のくせなどを利用して自然にいい選択に促すナッジなどの仕組みで解決を目指します。
なぜ人間は「我慢」できないのか? —— 脳科学で迫る意思決定のメカニズム
「後で良いことがあると分かっていても、今は我慢できない」という現象の背後では、私たちの脳内でどのような変化が起きているのでしょうか。高橋さんは、脳科学的な視点からの研究も行っています。
欲望や我慢のカギを握るのは、脳内にある「報酬系」と呼ばれる神経回路です。薬物やアルコールだけでなく、現代ではSNSの通知や刺激に繰り返し触れることでも、この回路が活発に働きます。こうした刺激に何度も晒されると、脳内のシナプス結合(神経のネットワーク)が通常とは異なる状態へ書き換わっていきます。その結果、報酬に対する感受性が極端に高まり、「将来のために待つ」という自己制御が非常に難しくなってしまうのです。
ただし、「なぜ将来の大きな報酬よりも、目の前の小さな報酬に飛びついてしまうのか」という仕組みは、すべて解明されているわけではありません。この複雑なメカニズムの解明に向けて、現在も研究が活発に行われています。

2026年9月29日(火)のサイエンス・カフェ札幌「わかってはいるのに…—行動経済学の切り口から探る、判断のクセ—」では、高橋さんをゲストにお迎えし、簡単な思考実験を交えながら自分の行動や選択の不思議について分かりやすくお話していただきます。「わかってはいるのにやってしまう」日常のモヤモヤを、みんなで一緒に解き明かしてみませんか。
***
第148回 サイエンス・カフェ札幌
【タイトル】わかってはいるのに… ——行動経済学の切り口から探る、判断のクセ——
【日 時】2026年9月29日(火)18:30~20:00(開場:18:00)
【場 所】札幌市図書情報館1階(北海道札幌市中央区北1条西1丁目 札幌市民交流プラザ 1階)
【ゲ ス ト】高橋 泰城さん(北海道大学文学研究院 教授)
【聞 き 手】荒井 美幸(あらい・みゆき)/北海道大学CoSTEP「対話の場の創造実践演習」受講生
【参 加】事前申し込み不要、参加無料
【定 員】40名(直接会場までお越しください)
【主 催】北海道大学 CoSTEP
【共 催】札幌市図書情報館