かつて日本中の温泉地などに20館以上あった秘宝館。しかし現在は熱海と鬼怒川の2館だけになってしまいました。北海道にも定山渓に秘宝館がありましたが、2009年に閉館されています。秘宝館研究の第一人者、妙木忍さん(国際本部 留学生センター・特任助教)は社会学・ジェンダーを専門としており、秘宝館の研究にもとりくんでいます。この3月にこれまでの研究をまとめた『秘宝館という文化装置』(青弓社、2014年3月)が刊行されました。
秘宝館とは何か、なぜ秘宝館研究をしているのか、お話をうかがいました。
【川本思心・CoSTEP/理学研究院 准教授】
秘宝館とは何なのでしょうか、なぜ研究しているのでしょうか
それを明らかにするために研究をしているのかもしれません。秘宝館は大昔からあるように思われるかもしれませんが、実は1970年代から80年代というごく限られた時代に生まれ、そして今消えつつあるものなのです。私は、秘宝館が生まれた背景、その展示の意味を、戦後の日本社会の変遷、女性のライフコースの変化も考慮に入れつつ読み解こうとしてきました。
秘宝館は性的な等身大の人形が展示された施設です。そのため必ずしも広く受け入れられてきたわけでもありません。一方で一時代を象徴する施設であり、多くの人々が訪れた場でもありました。私は秘宝館を「良い悪い」ではなく、この社会にうまれてきたものとして誠実に向き合い、その意味を明らかにしたいと思っています。
この本のおすすめポイントや執筆の経緯について教えてください
この本はこれまで書いてきた論考などをまとめ、加筆修正したものです。今回、嬉野と熱海の秘宝館についてさらに調査を行い、追記しました。嬉野は今年の3月31日に閉館してしまったので最後の機会でした。また、秘宝館の源流にかかわりがあるともいえる、ヨーロッパの蝋人形や医学展示に関しても加筆しています。
写真についてもできるかぎり掲載しています。秘宝館は展示施設ですので、資料として写真は重要です。秘宝館といっても場所によって特色があります。できるだけ多くの秘宝館の写真を使ってもらおうと、カバー用の写真を9点ほど選んで出版社の方にお渡ししました。女性の体が表現されている人形なので、もう少し控えめに使われるのかと思っていたのですが、そのまま大きく使われていてちょっとびっくりしました(笑)。でも私はこういった人形を美しいとも感じているんですよね。
この本を書くきっかけになったのは、2006年の関東社会学会です。私の学会発表を聞いた出版社の方から出版の御提案をいただき、それ以来、ずっと伴走していただきました。執筆準備は2013年度からはじめましたが、実際に本格的に執筆に入ったのは12月後半だったのでかなり大変でした。
秘宝館の調査はどのようにおこなったのでしょうか
社会全体のマクロな変化をとらえるために統計情報なども集めましたが、一番重要なのはやはり実際に秘宝館を訪ね歩くことです。2004年から研究を始めましたが、当時すでに秘宝館は減り続けていました。秘宝館を記録するなら今しかないと、2005年度のほぼ1年で日本中の秘宝館や性に関する展示施設などを回りました。秘宝館の経営者、展示施設の設計者の方々からお話を伺い、貴重な資料を見せていただくことができ、フィールドノートは25冊になりました。
今回の本に掲載されている秘宝館内の写真はすべて私が撮ったものです。秘宝館にはハンドルを回して動かすアトラクションも多いのですが、ハンドルを回すのと写真を撮るのを同時に行うのはちょっと難しいんですね。展示の前で右往左往しながら写真を撮っていたので、他の方には変な人がいると思われていたかもしれません(笑)。
本が出版されて一段落ですが、これからどのように秘宝館研究は展開するのでしょうか
医学展示で女性がどのように表現されているのか、ヨーロッパと日本の事例を元に研究を進める予定です。伊勢にあった日本初の秘宝館には医学展示があり、医学展示・医学模型と当初の秘宝館にはつながりがあったと考えています。それを実証的に明らかにし、秘宝館をより大きな流れのなかで捉えたいと思っています。
医学・博物館という切り口についてはまだ分からない部分も多いので、また一から出発する気持ちですね。昔、ある人に「秘宝館の研究をしていても就職できないよ」と言われたこともあります。でも、私はこの研究をなぜか自分の使命だと感じてきました。これからも、自分自身、なぜ秘宝館が気になり続けているのかを振り返りながら研究していきたいと思っています。
妙木さんの研究を紹介しているこちらの記事もご覧ください
- 【チェックイン】#57 博物館と秘宝館の接点(2013年11月15日)