特別講師 池澤夏樹 氏(作家・道立文学館館長)
昭和天皇と生物学
昭和天皇は生物学者として知られています。どれほどの傾倒であったかと気になり、調べてみました。まず子どものころからとにかく生物が好きであった。皇居の中で捕中網を振り回して昆虫を捕り、植物採集をする。採集したものは標本し、さらには一枚の紙に植物の標本を1点貼って、周りに7種類の蝶の標本を貼るということをしています。つまりバイオスフェア(Biosphere;生物圏)のような1つの環境を、標本で再現しているのです。
また同じく少年時代、葉山の御用邸から三浦半島の三崎にある東京大学の臨海実験所へ連れていってもらい、研究者が標本採取のため海へ出るのについて行くことがよくありました。後には、標本採集のための「御採集船」として葉山丸という小さな漁船をつくり、皇居のなかには生物学御研究室を設けて本格的に研究を始めました。クラゲの類であるヒドロゾア(ヒドロ虫)を専らの研究対象としていましたが、実際には口の広い底引き網をつかって採集していましたから、何が上がってくるかわかりません。ですから、相模湾というフィールドが大事なのであって、そこにすむすべての生物が研究対象であったと言ってもいいかもしれません。
1941年には、コトクラゲという新種を発見しています。名前にクラゲとついていますが、いわゆるクラゲとは門のレベルから異なる、非常にめずらしいものです。一見地味なようですが、相当に大きな業績です。
やがて生物学御研究室は生物学御研究所になり、そこにはヒドロゾアのプレパラート標本が13,200点あったそうです。相模湾で仮処理したものを皇居まで持って帰り、片端から標本にしていたのでしょう。地味な仕事ですが、本当に好きだったのだろうと思います。
また、海洋生物のほかに「那須の植物」などという研究書も著しており、生物学御研究所には那須で採集した植物の標本が1500種残されています。那須は生態学的に非常におもしろい場所なのだそうで、これほどの熱意で植物も集めていたということです。
ヨーロッパの博物学は、王侯貴族の趣味から始まり、発達しました。ドイツ語にはヴンダーカマー(Wunderkammer)、「驚異の部屋」「不思議の部屋」という言葉があります。お城の中に特別の部屋をつくり、世界中のめずらしいものを集めて飾って、互いに自慢し合うことが流行しました。たとえば、熱帯に生息する鳥類は大変美しいというので収集が流行し、熱帯で鳥を捕獲し、はく製にしてヨーロッパで売るという商売が成立していたほどです。しかし、ヨーロッパの王侯貴族らに「集める」という趣味はあっても、自らフィールドに行くことはないし、まして標本をつくったり、分類して研究したりということまでする人はめったにいませんでした。
昭和天皇は、生物全般に対する関心と「科学する心」をもって、研究を残したのです。
人として生きることと科学
昭和天皇は、「相模湾産後鰓類図譜」(岩波書店刊、1949年)という本を残しています。後鰓類というのは、エラが心臓より後ろにあるという意味で、ウミウシのことです。ウミウシを採取し、標本作りと分類をして、ウミウシだけを集めた図鑑をつくっています。刊行されたのはまだ戦後の混乱期です。B5版の大型本で、後ろの方にカラーの図版が50ページほどついています。あの時期によくまあここまで彩色したと思うような色の再現性です。こういう場合、写真より画の方が精密です。人間の眼は機械的ではなく、対象を解釈しながら描いていきますから。
生物学で大事なのは、種の概念です。1つの名のもとに束ねられるものが、世界中に、あるいは一定範囲にいて、同じ種どうしの間では子が生まれるけれども、別の種間からは子孫が生まれません。この場合、大切なのは「普遍性」です。同じ名前のついた種であれば、世界中どこのものでも同じである。これが科学の自然観です。
また、実験について求められる科学的な態度としては、「再現性」が重要です。ある人が行った実験の結果をレポートに記す。それに沿って別な人が別な場所で実験しても、同じ方法であれば同じ結果が出る。それが確定されないと、科学ではありません。
われわれがもっている近代科学は、精密で範囲が広くて立派なものと言えます。それは、研究成果が継承できることに基づいています。普遍性や再現性がある確実なものだけを集めて、それを土台にして更に先へ出られるからです。しかし、たとえば文学は違います。文学は個人に属するもので、書き手が亡くなれば、その人の書き方はそこで終わります。真似をして書くことはできるかもしれませんが、それは真似でしかない。つまり継承することができないのです。科学の場合は、継承できることが基本条件であって、それでここまで拡大してきました。もしそこに怪しいものを加えてしまうと、それを土台にしたその先の研究は、やがて意味がないものになってしまいます。だから確実性が大事なのです。
では、科学とはこの近代科学だけなのでしょうか。文化人類学の分野で大きな仕事をしたクロード・レヴィ=ストロースは、「野生の思考(La Pensee sauvage)」という本の中で、「文化はどこにでもあってそれぞれに発達しているし、その文化をうむ人間の知力は、段階によっても人種によっても文化の発展段階によって違わない」、と述べています。
生きるために必要な自然相手の記述を文化と呼ぶならば、ヒトという種には、人として生きる限り、文化はどこにでもある。その中には科学とよべるものも多々ある。迷信もある。さまざまなものが混じっているけれど、人はそれによって生きているということです。
【質疑応答】
1.昭和天皇と生物学について興味深く聴きました。あるテーマに関心をもって調べものをするにあたり、どのように情報のソース、必要な本と出会うのですか?
僕の作家としての大事な仕事の1つに、書評があります。ふだんから、日々出版される本には関心を払っています。たとえば、各出版社が出しているPR誌(岩波書店の「図書」、新潮社の「波」など)を講読し、毎月送ってもらい、新刊の新聞広告、朝日新聞や毎日新聞の日曜日に掲載される書評欄、それらにも目を通します。こういうことを30年も続けてきましたから、相当な数の本が目の前を通り過ぎました。調べ物をするときには、たしかあれについてあの本があったなということをそのストックの中から思い出すのです。
僕はあまり蔵書をもっていません。増えてきりがないので始末してしまい、必要なときにはインターネットの書店などでまた買います。みなさんは図書館をつかうといいですね。品切れの場合は、「日本の古本屋」というサイトが便利です。昔は神田の古本屋街を歩いて探したものですが、今はこのサイトを使うとだいたい間違いなく見つかります。
それから物探しというのはひょいと飛び込んでくるものです。先日、(札幌の)大通りを歩いていて、なじみの古本屋に立ち寄り、店頭にある1冊500円の本の山を見ていたら、先に述べた昭和天皇の「那須の植物」を見つけました。こういうことを、セレンディピティと言います。非常に運のいい偶然のことです。1冊手に入れば、その参考文献からも必要な本にたどりつくことができます。
2.よい本というのはどういうものですか。池澤先生にとって、私たちにとって。またよい本の選び方を教えてください。
一定量の知識や読書量があると、ちょっとページをめくれば「これはダメだな」という本はわかるようになります。でもその先は、結局は好みの問題ですから、自分のなかに物差しをつくっていくことです。そのためには、まず量を読むこと。また、眼の効いた先達に頼るのなら、書評を読み比べてみてください。僕が書評でとりあげる本は、僕が面白いと思った本です。僕が推薦している本を買ってみて面白いと思ったら、次に僕が推す本も買ってみる。いろいろな書評を読み比べてみて、自分に合いそうだという書評家が見つかったら、その人の書評を追いかけてみてください。ひいきにするのです。積み重ねていくと、自分好みの本の系列ができます。
-講義を通して、池澤さんは「科学する心とは何か」と問いかけ、これから科学技術コミュニケーションを学ぼうとする受講生たちに大きな刺激を与えて下さいました。ありがとうございました。