物質中の電子はある時は電気を流し、あるときは光を放出し、またあるときは磁石のようにふるまうなど様々な性質を示します。これらの現象はそれぞれの電子の状況で、電子がよりエネルギーの低い状態をとろうとする性質から現れるものです。電子の周りの状況によっては通常見られない状態に最低エネルギーを見出して超伝導などの面白い現象が起こります。一方、最低エネルギーを見いだせず、不安定な状態となる電子もいます。このことを「フラストレーション効果」と言い、現在多くの研究者が注目しています。私もこの「フラストレーション効果」に注目していて、この効果が強く表れる籠(かご)の目のような結晶構造の「カゴメ格子」を持つ物質について研究しています。
【野口直彌・理学院修士1年】
(実験室 机の上は合成した物質で少々散らかっています)
電子のスピンとフラストレーション
電子は各々がスピンという向きのある磁石としての性質を持っています 。スピンには向きがあり、「上向き」「下向き」と区別します。物質中の電子には、隣の電子と同じ向きのスピンをとる「強磁性相互作用」が働く場合と、隣の電子と逆の向きのスピンをとる「反強磁性相互作用」が働く場合があり、いずれの場合も作用を受けてスピンの向きが定まれば、電子は安定した状態になります(下図)。
(電子が正方形上で強磁性相互作用または反強磁性相互作用を受けた場合のスピンの向き)
では、電子のフラストレーションの例として反強磁性相互作用が働く電子が正三角形の頂点に一つずつ存在するとき、スピンの状態はどうなるでしょうか。下の図で見ていきましょう。
(正三角形の頂点に存在する電子の間にが反強磁性相互作用が働いたとき)
まず一番上の頂点に上向きのスピンの電子を置きます。そうすると、左下の頂点にいる電子は上の頂点の電子と逆向きになるので、下向きとなります。そして、右下の電子は左下の電子の逆向きだから上向き…になると思ったら、上の頂点の電子とは向きが同じになってしまいます。この時、下の図のように右下のスピンが上向きでも下向きでもそれぞれのスピンの間で同じ向きの対が1つ、反対向きの対が2つになり、どちらの状態でもエネルギーが変わらず、一つの状態に定まりません。
また下図のように一つの正三角形でも―個エネルギーが同じ状態が6個もあります。実際の物質中ではアボガドロ数程度(アボガドロ数 NA = 6.02×1023)もの電子がいるので無数の状態が一つのエネルギーをとることになり、状態は一つに定まりません。このように結晶中の原子の配置が原因で電子が不安定な状態になることを幾何学的フラストレーションと言います。幾何学的フラストレーションの状況では通常の反強磁性状態に落ち着かず、通常起こらない新しい現象が多数起こります。
(反強磁性相互作用が働く電子が一つの正三角形で同じエネルギーをとる状態)
電子が強くフラストレーションを感じる「カゴメ格子」
結晶中の原子が正三角形をベースにした籠の状に並ぶ「カゴメ格子」(下図)を有する物質では上で説明したような幾何学的フラストレーション効果が表れます。
(カゴメ格子の構造)
幾何学的フラストレーション効果により状態が定まらないことで、スピンの特殊な量子状態Resonating Valence Bond (RVB)状態 が発現する可能性が理論的に予想されています。
しかし、この状態が発現するカゴメ格子を有する物質は非常に少なく、現在まだ数種類しか報告されていません。また現在報告されているカゴメ格子を有する物質も、カゴメ格子に多少の歪みなどがあり、理想的なカゴメ格子はまだ得られていません。そのため、世界中のフラストレーション関連の実験家が理想的なカゴメ格子を持つ物質を人工的に合成し、RVB 状態を観測しようと日々実験に励んでいます。
(カゴメ格子を有する物質 Herbertsmithsite〔上〕と kapellasite〔下〕)
理想的なカゴメ格子を持つ物質の追求
私もまた他の研究者と同様に、カゴメ格子を持つ物質の合成を試みています。上の図に示した herbertsmithsite や kapellasite はカゴメ格子を有しています。しかし物質中の亜鉛イオンがカゴメ格子を歪ませる原因となっています 。私はこの亜鉛イオンを、他のイオンに置き換える方法で理想的なカゴメ格子の合成に試みました。様々なイオンに亜鉛イオンを置き換える合成を行なった結果、カルシウムイオンに置き換える合成を行うことで、より完璧に近いカゴメ格子を有する物質の合成に成功しました。さらに、先日の学会でこの成果を報告したところ、非常に多くの方から興味を持っていただき、いくつかの共同研究も始まりました。今後は共同研究での様々な実験を通して、この物質で RVB 状態が実現しているかを検証していきたいです。
(合成の一場面 バーナーを使用して石英管に原料を封じています)
新しい現象を求めて
このように新しい物質を自分で合成して新しい現象を追求することが、物質合成の面白みです。カゴメ格子上の RVB 状態は新しい現象の一例でしかありません。今後はまだ観測されていない現象を求めて、様々な物質を合成していきたいと思います。
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この記事は、野口 直彌さん(理学院修士1年)が、大学院共通授業科目「大学院生のためのセルフプロモーションⅠ」の履修を通して制作した作品です。
野口さんの所属研究室はこちら
理学院 物性物理学専攻
高圧物理研究室(小田教授)
研究室HPアドレス
http://phys.sci.hokudai.ac.jp/LABS/kouatsu/