東日本大震災により被災した東北の浜には、巨大な防潮堤が築かれています。コンクリート製の防潮堤によって海と陸が分断され、津波被害から回復しかけた海岸環境が再度破壊されました。しかし、失われた海岸環境の回復と保全に尽力する方がいます。前編では松島肇さん(農学研究院 講師)からグリーンインフラストラクチャを中心に伺いました。後編は、海浜植物を育てて防潮堤周辺に植え、途切れた海と陸の連続性を取り戻すための活動団体「北の里浜 花のかけはしネットワーク(通称:はまひるがおネット)」の代表、鈴木玲さんを交えて東北の海辺の未来についてお話を伺います。
【成田真由美・CoSTEP修了生/社会人】
(2018年6月、ハマヒルガオなど海浜植物の花が咲き誇る宮城の浜)
<写真提供:はまひるがおネット>
被災地のためにできることを
東日本大震災以降、被災地のために何かできないかとウズウズしていた方は沢山いたと思います。そのおひとりである鈴木さんは、北大農学部林学科を1987年に卒業、雪印種苗株式会社に就職し、2000年頃からは、環境系の市民活動も行っていました。2012年、訪れた被災地で目にしたのは壊滅した海辺の風景。「僕は種から苗を育てて自然再生に関わってきたから、それで支援につながるようなことをしたいと思ったんだ」と鈴木さんは当時を思い出します。そこで、被災した浜に海浜植物を植栽するプロジェクトを計画します。しかし、鈴木さんは同時に「多くの方から支持されるような、尚且つ、新しいものを提案できるようなプロジェクトにしたかった。そのためには、相談やアドバイスをしてくれる人が必要だった。ただ植えるだけじゃなくて、モニタリングもして、その結果が良ければ他の地域への展開もしたかった。それには誰に対しても説得力のあるものが必要だ。」と考え、科学的に意義や効果を示すことができる研究者へ協力を依頼することにしました。
(鈴木さんは、はまひるがおネットの活動に加え、2018年度から北海道科学大学の非常勤講師も務めています)
民と学の協働 はまひるがおネットの場合
そこで石狩海岸の調査研究をし、社会的な活動にも関心の高い松島さんの名前が上がりました。その頃松島さんは、2012年から始まった防潮堤の工事のために再度破壊される自然環境を、負の側面として残すための調査をしていました。そんな時期に突然、鈴木さんからプロジェクトへの協力依頼がありました。松島さんは、鈴木さんの奇抜なアイデアや行動力、なによりも人を巻きこむ力に、一度はあきらめた被災した浜の再生が実現できるのではないかという気持ちが湧いてきました。意気投合したふたりは、代表を鈴木さん、副代表を松島さんとし、沢山の方の協力を得て2014年3月はまひるがおネットを設立しました。
植栽する苗は、仮住まいでの生活を余儀なくされている被災地ではなく、北海道で育苗することにしました。自然環境団体や企業、中学生らの協力により種まき、育苗、ポット上げと順調に進みました。2014年夏、順調に成長した苗を持ち、宮城の浜に向かいました。地元の協力者が声掛けをしてくれて、多くの地域住民が植栽に参加しました。2016年からは、地元での育苗も始まりました。自分たちの手で種から苗を育て、被災した浜に植えるという時間のかかる活動が地元への愛情を醸造し、震災で傷ついた心をゆっくりと癒すように、地域での協力の輪が広がります。
(2015年も沢山の地元の方が参加しました。青空に恵まれた宮城の浜での植栽風景)
<写真提供:はまひるがおネット>
花咲く防潮堤へ
しかし、2016年、北海道にも甚大な被害をもたらした台風が、浜に植栽した苗を全てさらっていきました。調査に行った松島さんと鈴木さんは、苗が流されて何もなくなった浜を、炎天下の防潮堤の上に座り呆然と眺めていたそうです。
防潮堤は、海浜植物にとって一番安全で生育もいい砂丘が出来る場所に作られています。ここより海側では高波で苗がさらわれました。しかし陸側には、盛土と一緒に様々な植物も運ばれ、浜の植生が破壊されています。海浜植物は、潮には強くても生存競争には弱いのです。外来種のセイタカアワダチソウなどに勝てるはずはありません。「やっぱり、ここが良いよね…。」と防潮堤の上で肩を落とすふたり。しかしコンクリート製の防潮堤には植栽できません。…と、突然鈴木さんがひらめきました「そうだよ!ここに植えちゃえばいいんだよ。防潮堤を砂で埋めちゃえば植えられる!」。
早速、地元の方々の協力を得て、関係各所への働きかけを開始します。この活動は、主に鈴木さんが担っていました。そして、彼の話に説得力を持たせたのは、松島さんがまとめた報告書でした。地道な活動が実を結び、宮城県の協力を得て防潮堤を試験的に砂丘化する事業が2018年度に実現しました。これは、県が定期的に行う河口に堆積した砂を掘り出す作業と同時に行われ、その時に出た砂で防潮堤を埋めるというものです。2019年初夏の頃、鈴木さんは多くの市民の力を借りて、埋められた防潮堤の一部に植栽をします。松島さんは比較検討のためのモニタリングを担当し調査報告書としてまとめます。
(防潮堤の下の方や隙間には、砂がついて海浜植物が自生し始めます。しかし、ここは台風などの高波で流されたりする不安定な環境です)
<写真提供:はまひるがおネット>
壊れた風景を住民の手で創り直すために
植生地を奪われたことにより生育できなくなってしまった海浜植物に、「ちょっとだけ手を貸す」ことが、いま自分たちのするべきことだと、松島さんは言います。鈴木さんは、種から苗を育てて植栽するという時間のかかる活動が「何かを生んでいる」と感じています。新しいハイブリッドなグリーンインフラストラクチャが、沢山の方の手を借りて宮城の浜に新しい風景を創り出します。人と自然のかかわりが地域の歴史を作ってきました。数年後には、住民が植えた海浜植物の花が咲き乱れる、砂丘のような防潮堤が見られるかもしれません。復興に向かう主体は、インフラ整備を行う行政ではなく住民です。このプロジェクトが被災地と呼ばれる土地に住む方々の心の復興につながると信じて、学の力と民の力の協働は続きます。
(おふたりの絶妙のコンビネーションで笑いの絶えない取材になりました。松島さん、鈴木さん、ありがとうございました)