「ゲノム」-それはタンパク質を作るための情報、すなわち生物のレシピです。全ての生物はこれを持ち、生きるために必要なタンパク質を日々作り出しています。
私は、日本酒を作る際に用いられることで有名な「麹菌」のゲノムに“手を加えて”培養することで、本来麹菌が作らない化合物を作らせる実験を行っています。これにより、目的の化合物を作るために必要な遺伝子が分かり、その遺伝子によって作られるタンパク質の機能を解明することができるのです。
【江口桃香/総合化学院 修士1年】
(炊いたお米に培養した麹菌。初めはご飯に菌を生やすなんて考えられなかった…)
ゲノムって何?
ところで、皆さんは「遺伝子」と聞いてどんなイメージが浮かぶでしょうか。親から子へ受け継がれるもの。カラフルな二重らせん。1990年代によくニュースで流れた「遺伝子組み換え作物問題」…誰もが身近な言葉として認識していることでしょう。
そして、最近では「ゲノム」という言葉もよく聞くようになりました。「2003年ヒトゲノム解読完了」というキーワードは、学校の授業で覚えた方も多いと思います。
しかし、実際これらはどういうものなのか? 本当に皆持っているのか? どうやって改変するのか? など…漠然としたイメージなだけに、具体的なことは想像もつきませんでした。
(遺伝子組み換えペット GloFish® 遺伝子を変えて自然には無い色の魚を作ることができる)
<転載:www.GloFish.com.>
遺伝子は生物のレシピである
高校生物を簡単におさらいしましょう。生物の細胞ひとつひとつには、遺伝情報である「ゲノム」DNAが収められています。ゲノムは、短いDNAのまとまりである「遺伝子」がたくさん集まってできています。遺伝子がひとつひとつ読み解かれることによって、「タンパク質」が作られます。これをタンパク質が「発現する」と言います。発現したタンパク質は、生物が生きる上で様々な重要な働きを持ちます。
ゲノムの一部を変えれば、発現されるタンパク質は変わります。構造の異なるタンパク質は、当然本来とは異なる性質を持つようになります。つまり、ゲノムは生物の「料理集」、遺伝子は「レシピ」、タンパク質は「料理」といったところでしょうか。DNAはこの場合、「文字」にあたります。
“異種発現”によってタンパク質の機能解明を行う
タンパク質の働きを知りたいときのひとつのアプローチとして、「異種発現」という手法があります。
以下のイラストと照らし合わせてご説明します。異種発現とは、Aという生物のゲノム上にある遺伝子をBという生物のゲノムに組み込むことで、その遺伝子によって作られるタンパク質をBに作らせることができるといった手法です。先ほどの比喩でいうと「Aの料理本に載っているレシピをBに教えて、Bが料理を作ることができるようになる」となります。
どの遺伝子がどのタンパク質に関わっているかを、Bの“遺伝子を入れる前”と“入れた後”の分析によって理解することができます。
私の研究室では、麹菌をBにあたる菌として用いて、このような異種発現を行っています。
自然界には“スゴイ”化合物がいっぱい
これまでに、異種発現によってタンパク質の機能が解明された例はたくさん報告されています。例えば、薬になるような化合物を作る、といったタンパク質もあります。
私の研究室では「ホモイドライドB」という化合物を作るタンパク質が(一部)解明されました。(ホモイドライドBを作るには複数のタンパク質が必要です。)この化合物は、「コレステロール値を低下させる」性質を持っていて、薬に使える可能性があります。構造は下の図のように大変複雑で、一から手で作ろうと思うととても骨の折れる作業になります。でも、もしタンパク質が勝手に作ってくれればとても楽ですね。タンパク質の働きがわかると、このように複雑な化合物もパパっと作れるようになることもあるのです。タンパク質の働きがもっと解明されれば…いつか自由に作りたい化合物が、タンパク質によって自在に作れる…なんて未来が来るかもしれませんね。
(コレステロール値を下げる作用があるホモイドライドB。ごちゃごちゃしています…!作るの難しそう…)
DNAは目で見ることができる!
麹菌を用いた異種発現を行うときに、組み込む遺伝子を調製します。欲しい遺伝子を持つ生物から、ゲノムを取り出して、必要な部分を特殊な機械(「コピー機」のようなもの)を使って増やします。
ゲノムDNAを取り出すと、下の写真のように、白い沈殿として見ることができます。ちゃんとゲノムDNAが取れているか、「実感すること」ができるのです。
そこから、目的のレシピ(遺伝子)をコピー機(機械)でたくさん“印刷して”いきます。印刷したものにエラーが無いか、実際に確認すること(DNAの配列確認)も大事な作業です。問題が無ければ、調整した遺伝子を麹菌に取り込ませていきます。
これらの作業を繰り返していくにつれ、私の中では遺伝子はその辺の瓶に入っている試薬と同じ、”元素から成る化合物”だという実感を徐々に持つことができるようになりました。一方で、それを麹菌に導入する作業をすると、もう遺伝子を化合物としては見れなくなるような、とても不思議な感覚になります。遺伝子は試薬のような“物質”というイメージと、生物に取り込まれてレシピとして機能する“生命の神秘”というイメージが行き来する感覚、これは研究して初めて得たものです。
(【左写真】遺伝子の白い沈殿
【右写真】左はレシピをもらう前、右はレシピをもらった後
本来生育に必要な栄養が無くても生きられるレシピ
左はレシピが無くて赤くなっている…。生えも悪い、苦しそう。
右はレシピをもらっているから元気に生えている!)
ゲノムは私の手の中で改変される
「なんだか自分が神様になったような気分がする」…この研究をして1年以上が経ちましたが、未だにこんな錯覚をしてしまいます。ゲノムに手を加えると、その生物を変えることができます。すなわち、私の思いのままに生物を操ることができるのです。とは言えど、相手は生物。現実的には、なかなか上手くいかないものです。菌がなかなか育たなかったり、思っていたものと違うタンパク質を作ってしまったり…予想外のことがたくさん起こり、思うように研究が進まないときには、自分は神様ではなく、まだまだ「神様見習い」だなあ…と思う日々です。
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この記事は、江口桃香さん(総合化学院修士1年)が、大学院共通授業科目「大学院生のためのセルフプロモーションⅠ」の履修を通して制作した作品です。
江口桃香さんの所属研究室はこちら
総合科学院 総合化学専攻 生物化学コース
有機反応論研究室(及川英秋教授)
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