「小さいころに想像していた“何でも知っている博士”のイメージどおり」と理学部生物の学生たちに評される研究者がいます。ヒモムシの分類学を研究している柁原宏さん(理学研究院 准教授)です。臨海実習では「ヒモビル見つかったら私にください!」と学生たちに号令し、まるで少年のような笑顔とともに、ニコニコしながらヒモビルをサンプル瓶に入れていく姿は、学生たちのまぶたに刻まれていると言います。
なぜ、どういう意義があって、ヒモムシの研究をしているのでしょうか。そもそもヒモムシとは? 理学部生物科学科生物の学生佐藤さんと、ニョロニョロの生物が嫌いな社会人成田さんの二人がお話を聞きました。今回から3回にわたってお伝えします。
【インタビューワー:佐藤丈生/成田真由美・CoSTEP修了生】
美しきヌラヌラ・ヒモムシ
佐藤: ヒモムシって、柁原先生的に「こういうところが良いんですよ」みたいなのがあるのでしょうか。
柁原: ヒモムシを最初に見たのは修士1年のときです。きれいだと思いました。美しい。顕微鏡の下で見ると、ヌラヌラしている感じですね。谷崎潤一郎の小説に「ヌラヌラした」という表現が出てくる作品があるのですが、谷崎自身もそういう性癖を持っていたらしく、ひょっとすると自分もそういう「ヌラヌラした」ものを美しいと感じる人なのかなと思いました。
佐藤: ヌラヌラ。
柁原: ヌラヌラ。ヒモムシを見たのが先か、谷崎を読んだのが先か、もうだいぶ昔のことで、前後は忘れてしまいましたけど、美しい生き物だと思いました。
(中国揚子江河口の崇明島で採集されたインヒモムシYininemertes pratensis)〈写真提供:朴 太緒さん〉
佐藤: 確かに、同じ細長い動物といっても、ミミズとかとは違いますね。
柁原: ヒモムシには節が無いのがまた良い。潔い。
佐藤: 潔い。
柁原: 潔いっていうとちょっと語弊があるかもしれません(笑)。生き物は基本的にみんな美しいのですが、特段、良いなと思ったのは節が無くてヌルヌル、ヌラヌラしているのが良いと思いました。
そうめん、きしめん、それヒモムシ
成田: 私、顔と手足の無い生き物が苦手で。ヒモムシってパッと見、うどんのように1本につながっている。
柁原: 僕がまだ学生だったかな、京都大学の臨海実験所に併設された水族館にサンプリングに行ったときに、技官の人に「お兄ちゃん、何の研究してるの」と言われて「ヒモムシです」って答えたら、「あ、ちょっと見てもらいたいんだけど」って。待っていたら「これなんだけどさ」って言って、洗面器に流しそうめんみたいに山盛りになってるヒモムシを見せられて(笑)。水槽でヒモムシが大量発生することがあるんですよ。それをお箸ですくって(笑)。食べられるんじゃないかって思った。本当に麺です。そうめんみたい。
(繁殖したモエデヒモムシLineus sanguineus)〈写真提供:藤田宜伸さん〉
成田: きしめんでもない。
柁原: そうめん。あの太さはそうめんです。モエデヒモムシは細い。
成田: 他にもいろんな種類がいるのですか?
柁原: それこそ、きしめんみたいな平べったいオロチヒモムシもいます。
成田: 日本で一番長いヒモムシは。
柁原: 7メーター。サナダヒモムシ
成田: ううう
あらゆる場所にいるヒモムシ(ただし空中を除く)
成田: ヒモムシ、調べたら海の中にも淡水にも陸上にもいるのですよね。逆に、いないところってどこですか。
柁原: 空中(笑)
成田: 飛ばないんだ。飛べないですか。
柁原: ええ。飛ばないですね。
成田: いや分からない。飛ぶかも。
柁原: 例えば、滑空するカエルとかいますからね。
成田: じゃあ滑空するヒモムシが・・・
柁原: 滑空するヒモムシはいません。
成田: いませんか。
柁原: いません。
成田: そうか・・・ ヒモムシって普段はそんなに機敏には動かないのですか。
柁原: 動かないですね。たまに泳ぐときはありますが、それでも機敏じゃないですね。ゆらゆら。でも南の海にシュシュシュって泳げるのはいますね。
成田: これだからヒモムシが分からない!
柁原: バリオネメルテスというヒモムシです。バリオスって素早いという意味のギリシャ語で、素早いヒモムシという学名。シュシュシュって泳ぐ。沖縄で見た時にびっくりした。最初、ヒモムシじゃなくて線虫だと思った。ヒモムシにはいろんな種類がいますね。
(参考動画:すばやく泳ぐヒモムシ。種類は不明)〈転載:Swimming Nemertean by Jeff Caplins〉
成田: すごいな、ヒモムシ。
柁原: すごくはないと思うのですけれど。
成田: その振り幅がすごい(やっぱり飛ぶかも・・・)。
雌雄異体も雌雄同体もいる。でもよくわかってないヒモムシの増え方
成田: ヒモムシって、どうやって繁殖するのですか。
柁原: オスとメスが分かれている種類が多くて、卵で増えます。でも一個体にオスとメスがある雌雄同体の種類もいるのです。淡水のヒモムシには雌雄同体が多いですね。
成田: オスメス一緒の種類でも相手がいないと繁殖できないのですよね。
柁原: 自家受精ということ? おそらく一個体が卵と精子をつくって、それで自家受精しているのかなと想像はしていますけれど。それを確かめた人はいません。
成田: ヒモムシ、分からないことだらけ。
柁原: そうですね。それこそ繁殖生物学、生殖です。それは、あまり多くの種類で分かっていません。
(参考動画:親ヒモムシから子どものヒモムシが直接生まれるProsorhochmus americanus)〈転載:Ribbon worm giving birth by Animal Earth〉
衝撃の捕食方法
佐藤: 実験室で飼育して増やせないと、行動や繁殖をきちんと観察することは難しいですよね。ヒモムシの飼育ってどうやるのですか。
柁原: 種類によりますね。何でも食べる種類と、「これしか嫌だよ」みたいなのがいて。ちょっと前まで釣り餌のゴカイを与えてイソヒモムシを飼っていました。
佐藤: ゴカイを食らう。
柁原: ヒモムシは吻を持っています。吻の先に針を持っている種類もいて、針で相手に傷をつけて、毒を出す。毒は神経毒だったり細胞毒だったりするのですけれど、神経毒にやられると、見る間に動かなくなってしまいますね。それまで泳いでいたのがシャキッとのびちゃって。で、動かなくなったところを丸飲みにしたり、胃袋を反転させて、消化液を出して、肉を溶かしながら吸う。
成田: 胃袋を出して溶かしながら。
(参考動画:吻を出す異紐虫類の一種)〈転載:ALIEN WORM SHOOTS GOOEY WEB by Animal Wire〉
毒で外敵から身を守るヒモムシ
佐藤: 逆にどんな外敵がいるんですか。ヒモムシって、ひも状で食べられやすそうじゃないですか。
柁原: ヒモムシのように体の柔らかい海の生き物たちは、柔らかいくせに生き残っているなりの理由があるのですよね。ヒモムシに限らずそれは多くの場合、毒だったりするのです。
佐藤: 体の中に毒があって、それで食べられない?
柁原: はい。イギリスに行ったときに研究者仲間から聞いた話があります。たぶんだいぶ盛っている話だと思うのですけど。かの国でも臨海実習があって、おかしな学生も何年かに一人ぐらいいるのでしょうね。世界一長くなるブーツレースワームがいて、それを食べちゃった学生がいたらしくて。「どうなった?」って聞いたら、「咽頭が腫れて、呼吸困難になって、気管切開した」って。たぶん、うそだと思う。僕をだまして(笑)。でも、毒があるのは本当なのです。
佐藤: ヒモムシ全員?
柁原: ほぼ全員。広島大学の浅川学先生と共同研究したときに、片っ端からヒモムシの毒性を調べてもらったことがあります。ヒモビルというホッキ貝の中に住んでいるヒモムシがいます。かなり高い比率、十中八九入っているのですよね。
成田: じゃあ人間、ヒモビルを食べていることに…私もガンガン ヒモビル食べちゃったかもしれない。
柁原: そうなの。みんな食べちゃってると思うのですけれど、調べた中では、ヒモビルだけは毒が無かったのです。
(「ヒル」という名前がついているがヒモムシの一種、ヒモビルMalacobdella glossa)〈写真提供:柁原宏さん〉
佐藤: それはやっぱり、安全な貝の中に住んでいるからですかね。
柁原: わざわざ毒を作ったり、貯めこんでも良いことが無いのでしょうね。
成田: もし食糧難が世界的に起きても、ヒモムシはタンパク源にならない。
柁原: ヒモビル以外は。あれ食べようと思わないですね。
佐藤: お召し上がりになったことはない? 生物学者は必ず自分の研究対象を食べてみようと思う、みたいな話、ありますけれど・・・
柁原: 一回も無い。
お話を聞いていると、ヒモムシの世界にヌラヌラと絡めとられそうになります。次回は、柁原さんらによる最新のヒモムシ研究についてお伝えします。そのヒモムシは意外なところで採取されました。
《第2回に続く》